将軍ヨアブはいません!
[歴代誌 第一 11:10]
ダビデの勇士のかしらたちは次のとおりである。彼らは、ダビデとともにその王権を強固にし、全イスラエルとともに、イスラエルについての主のことばのとおり、彼を王とした人々である。
観察
サウル王は死にユダ族だけであるが、ダビデがユダ族(12部族で一番大きい)の王となった。
預言的に預言者サムエルが油を注いで、実に苦しみの逃亡生活はゆうに8年以上続いていた。しかしそれがダビデの神からの訓練期間であった。
その苦しみの期間、ダビデと共に苦しみを味わってきたダビデの勇士たちの名簿がある。もともとはどんな人たちであったのか?
[サムエル記 第一 22:2]
そして、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。約四百人の者が彼とともにいるようになった。
黙想
開拓時代初期から、また中期から教会にいる人たちはみな、ダビデの勇士たちだと感謝した。
ダビデ軍の軍事最高司令者、将軍ヨアブが名簿にない。
ダビデが王になってからの苦しみは、なんと味方からだった。しかも、自分が権力を与えた将軍の不従順である。これは教会において、牧師が一番悩む事例ではないか。
[歴代誌 第一 11:6]
そのとき、ダビデは言った。「だれでも最初にエブス人を討つ者がかしらとなり、長となる。」ツェルヤの子ヨアブが最初に攻め上ったので、彼がかしらとなった。
【しかしダビデの悩みの種となる】
[サムエル記 第二 3:39]
この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように。」
共同訳では、【手に余る】と訳される。
そんなスタッフや長老、執事は嫌だなぁ、、、そう言う問題は良くある話だ。
ダビデの街、エブスの周りを再現したのもヨアブである。多くの戦いで勝利をもたらせ天下統一を果たす立役者であるダビデ軍の将軍ヨアブ。しかし、彼はダビデの勇士の名簿に名前は無い。むしろ、ダビデの息子、ソロモンの時代に粛清されている。
適用
信仰と従順はセットである。
神に立てられた器に対しても同じである。
ダビデはおかしくなってしまった。サウロでさえ、神に立てられた器として従順を果たす。ダビデを見習いたいものだ。
聖書は軍事的な誉れではなく、神に建てられたダビデをどれだけ愛して、従順になれたかを評価している。それがダビデの勇士たちだ!
祈り
私の神よ、私もどれだけの人がこの教会を一緒に立て上げてきたでしょうか。そのシーズンの中で既に去っていったものもいますが、彼らが立て上げたものもあります。私の不出来も認めます。人間関係を諦めて、愛することを諦めて、傷ついて去って行った人もいます。責めるのではなく思い出しては、これからも感謝を持って祈っていこうと思います。アーメン