それぞれの役割と働き(1サムエル30章)
【人間的な策の中では成功しない】
ダビデがサウル王から逃げるために、敵であるペリシテの領内に逃げ込む。確かにサウル王は追うのをやめた。しかしそれはダビデの人間的な策であった。この判断に際して「祈った」ことは記されていない。
ペリシテは「罪」の象徴、悪魔の陣営と比喩できる。今のパレスチナという地名もここからきている。
人間的な考えで、あくまの陣営のなかで、悪魔の陣営の中に隠れたダビデ部隊は、アマレク人(宿敵であり悪魔の象徴)に留守を襲われて女房子供全てを奪われてしまう。御心にそれでいくと悪魔の餌食になることを教えている。
【人類救済十字架の雛形】
そこでダビデは本気で主に求め、祭司の衣装であるエポデを身にまとい神に伺いを立て、アマレク人を追いかける。そして全てを取り戻す。これも、全人類を取り戻すという神の計画の雛形である。
【それぞれの役割と働き】
そこで面白いのは、ダビデの部下600人(400人から増えている)のうち、200人が疲れてついていけず、荷物の番をしていたということ。実際に最後まで戦って来た者と同じ分前をもらうことである。
これは、罪人の友 主イエス・キリスト教会に似ている。
私が神に呼ばれて地方でメッセージを語り伝道しているとき、留守を守る聖徒たち。これは私と同じ働きである。私の留守だからこそ、来て礼拝を守り、新来会者を受け止める人こそ、同じ恵み、祝福に預かるのだ。
[サムエル記 第一 30:1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,
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17,18,19,20,21,22,23,24,25]
ダビデとその部下が三日目にツィクラグに帰ったとき、アマレク人はすでに、ネゲブとツィクラグを襲っていた。彼らはツィクラグを攻撃して、これを火で焼き払い、
そこにいた女たちを、子どもも大人もみな捕らえ、一人も殺さず、自分たちのところへと連れ去っていた。
ダビデとその部下が町に着いたとき、なんと、町は火で焼かれていて、彼らの妻も息子も娘も連れ去られていた。
ダビデも、彼と一緒にいた兵たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。
ダビデの二人の妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。
ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。
ダビデは、アヒメレクの子、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」エブヤタルはエポデをダビデのところに持って来た。
ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」
ダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残ることになった者は、そこにとどまった。
ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡れなかった二百人の者が、そこにとどまった。
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ダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを討った。らくだに乗って逃げた四百人の若者たちのほかは、一人も逃れることができなかった。
ダビデは、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻した。ダビデは、二人の妻も救い出した。
子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。
ダビデはまた、すべての羊と牛を奪った。兵たちは家畜の先に立って導き、「これはダビデの戦勝品だ」と言った。
ダビデは、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来た。彼らは、ダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデは、この人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。
ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」
ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。」
その日以来、ダビデはこれをイスラエルの掟とし、定めとした。今日もそうである。
適用
留守を守ってくれるスタッフ、聖徒たちに感謝。同じ働き人として主の報いをさらに祈る。
祈り
妬み、やっかみを封印します。人を生かす心、言葉を選択する群れでありますように。霊的家族がこのキリストの体なる教会に出入りする術を教えることが私にはわかりませんから、あなたの知恵を求めます。アーメン