ジェジュンさんと天子ちゃん♡ -4ページ目

rさんへ(返信も兼ねた自身の脳内整理)

待ちに待ったジェジュンの来日(帰国)。

「コ〇ナさえ収まれば、また活発な日本ソロ活動が待っているはず!」と、ほとんどのファンはその日を待ち焦がれていたでしょうし、「だから待てた。」という方も少なくなかったのではないかと思われます。

ところが、新曲がソロではなくwith.。

予告もなく突然梯子を外された格好ですから、半端ない衝撃と心理的混乱に陥るのも当然でしょう。外部から批判される謂れもない話。

とは言え、衝撃の理由は、不安、心配、不満、不信etc言葉にできない微妙な感情まで含めたら、同じ方向性を持つジェジュンファンだとしても100%同じではないはずです。

ですから、これはあくまでも私個人の思い、私見です。その前提で読んでいただけたらと思います。

 

rさんが心躍らせて参加された「J-JUN THURSDAY PARTY with JAEFANS 2022」。

私はと言えば、前日のインスタライブでテンションがた落ち。そのためワクワクどころか、「これが最後になるかも?」の参加でした。それで、冷静になれて逆に良かったのかもしれません。

 

今回の「不安定な未来の話」に限ったことではありませんが、ジェジュンの核心を避けた回りくどい言い回し(言えない事情もあることは承知しています)は、毎度ファンを混乱に陥れます。

分かるようでわからないから(汗)そこに憶測、推測が加わった話が独り歩きをはじめ、さらなる混乱を招きます。

 

その推測、憶測には、各自の深層心理が反映されるのは言うまでもありませんよね。

rさんの「韓国活動へのシフト」にしても、ジェジュンが「活動拠点を日本から韓国に戻します」と言ったわけではありませんが、濁した話の中にそれを感じたわけですものね。

今回「なぜ喜べないのか」と人格否定まで加えて呟いていたいた方々の話には続きがありました。

「あの回りくどい言い方(濁し方)は、オンリーに対する当てつけ」。これも当然推測にすぎないわけですが、

立ち位置、視線の違いでここまで違った受け止め方になるのですから面白いと言えば面白い事例です。

 

このイベントに先立って、「ジェジュンは海外(日本)と韓国を行き来しながら活発な活動を展開してゆく予定」という韓国記事がありました。

オンザロード(書籍版)には「歌手はファンたちのために存在する職業」と書かれていましたが、「ファンたちの為」というより、「ジェジュンとその周辺の人たちの生計を支える為のビジネス」であり、「ファンが存在してこそ成り立つ職業」と言った方が個人的にはしっくりくる気がします。

ファン(へ)の愛情だけで成り立ったボランティアではない、あくまでもビジネスですから、想定される危険、あるいは危機的な状況になってしまった時のために前もって対策を講じておくリスクヘッジを怠るわけにはいきません。

コロナによって予期せぬ日活停止を経験したジェジュンも、、リスクヘッジの必要性をひしひしと感じたことと思います。

その一つが、一極集中から分散した活動形態(日本と韓国を行ったり来たり)という選択…いわゆる「保険」と受け止めました。

とはいえ、ゼロに近い状態からスタートした日本ソロ再始動。

ジェジュンの努力は勿論、ファンも盛り上げようと、成功させなくてはと頑張りましたものね。それを思えば、今後予想される展開をもろ手を挙げて歓迎とはいかないのは致し方ないでしょう。

「独立したシアの活動の助けになれば・・」というような話をジェジュンの口から直接伝えられてしまったら、過去の出来事を連想してしまい心配になるのも自然な流れですし、本気で応援してきたからこそ「今までの努力を水の泡にしても良いの?!」といった少々怒り交じりの虚脱感に襲われるのも、これまた自然な心理だと思います。

 

ただ、オンザロードの中で、グンソクさんは「ジェジュンはオープンマインドで自由な性格でありながら、冷徹な視線も持っている人」と話していましたし、お友達も似たようなこと言っていましたよね?

ソフトだが、音楽に関しては冷徹で手加減しない厳しさを持っている」。(字幕には「冷静」と出ていましたが、二人が選択した単語が냉철でしたし、話の意味合いからも冷徹の方がよりジェジュンの性格を表している気がします。私見)

そんな面を鑑みれば…単に「情に流されて」では終わらないジェジュン式の戦術込みのwithもありなのでは?と思いたくなるのです。買い被りでしょうか?

本当に単なるお人よし?

お人よしというか処世術?

 

またしてもオンザロードの話になりますが、ライフ・イズ・ビューティフルの主人公と消しゴムチョルスに自分が似ているというくだりがありました。

「ライフと消しゴム。二つの映画を見ていると自分の犠牲は犠牲ではなかったのだと思える。犠牲を払ったにしても僕は生きている。自身が慰められているようだ」とジェジュンは話していましたが、チョルスとlife主人公は、自分が犠牲になっているなんて考えてはいなかったと思うのです。だからこそ、美しいのであり価値があるわけで。

反面ジェジュンは犠牲だと自覚していました。

子供のころから感じていた息苦しさ。その中で幼少期、少年期を過ごしたジェジュンが身に着けた処世術だとしたら悲しいです。…話がそれましたね。

 

戻します。

 

rさんのコメントで一番気がかりだったのが「withの話で大拍手が起こり皆さんと思いを共有できない自分はここに居てはダメなんだと思った」のくだりでした。

歯切れの悪いジェジュンの話から更に増しただろう孤独感。その時の状況が文字からありありと伝わってきて苦しくなりました。

 

ジェジュンは執着と言いたくなるほどグループ愛が強い人。

甚だしくは、「グループの一員としてのジェジュンをファンは愛してくれている」と言うとんでもない誤解まで。

そんなジェジュンがソロ活動を始めたことで「ジェジュンが好き。ジェジュンだけが好き」というファンの存在を強く感じて自信をつけてゆく過程を私たちは見てきたではないですか?

これは推測とか憶測ではなく、。ジェジュン自身が口にしたことでもありますからね。「だけ」にはしゃぐ姿。「も」に拗ねるジェジュン。

だから「も」ファンが何と言おうと、「だけ」ファンをジェジュンが不快に思うわけがない。(今回の出来事で「だけ」ファンがないがしろにされたと感じた方もいらしたようですが…長くなるのでパスしておきます。)

だから、ここに居てはいけない存在なんかであるはずがない。

今回のイベントはジェジュンファンだけのためのイベントであり、注意事項には、ジェジュン以外の名前の入ったものは会場に持ち込み禁止と書いてありました。にもかかわらず出演者が「シア、シア」連呼では、あちら側のルール違反!ましてや、「いてはいけない存在」なんて感じさせてしまう事態にまでなるなんて!と腹も立ってきます。

でも、with音源発売、ドラマ放送開始も相まってPRの必要性もあるでしょうしビジネス事情と割り切りましょう。

 

今の状況で「そんなことないわよ」「また一緒にジェジュンを楽しみましょう」などと言っても、空々しく聞こえるだけだとは思いますが、深く考えすぎないで欲しいです。

現在、休む間もなく日本のお仕事に励んでいる(痩せたという報告)ジェジュンが見せてくれるもの。それに心が動いたら、それを楽しみましょう。

乱暴な言い方ですが、たかがファン活です。

ファンがいるからスターがいるのか、スターがいるからファンが存在するのか…そんなことはこの際どうでもよくて、選択権を持っているのはファン。

ジェジュンの未来の選択を支持するもしないもファンの自由ですもの。

 

でも、ソロバージョン楽しみ。

 

書いてみたものの、だから何なの?な話ですよね。

でも、いったん、私のコメント返しということでUPします。

 

コメントありがとうございました。

 

*痩せない天子

 

春の嵐

待ちに待った春が来て・・・・

待ちに待ったジェジュンと同じ空間で同じ時間を過ごし・・・・

「やっぱりジェジュンがいい。ジェジュンしかいない」と再認識し・・・

2枚目のソロアルバムリリースと日本ツアー予定ありの言葉に胸を躍らせ・・・・

自宅に帰るなり、アーカイブ神席で感動の復習をしたジェジュン尽くしの4月14日が過ぎた、その翌日…

ジェジュン関連記事やファンの感動の声の数々に交じり、見なくて良いものまで目にしてしまった。

 

「推しが喜んでいることをなぜ一緒に喜べないのか?(感情の共有)」と疑問を投げかけ、甚だしくは人格否定するる人たち。

 

私からすれば、

「推しが喜ぶからと、全て歓迎してきたの?歓迎できるの?本当に?まじりっけなしに?無理してない?」と疑いの目を向けたくなるのだけれど…其れもまた人格否定の好材料になるわね。

 

消費者のニーズに合わない商品は売れ残る。

選択権は消費者側にあるのだから、それは当然の結果。

ファンとスターの関係も商品購入と大した違いは無いと言ったら身も蓋も無いけれど、そういうことでしょ。

スター(芸能人)は、一人の人間であると同時に一つの商品。

ジェジュン自身が一番わかっていることだと思う。

 

だから、ジェジュンは努力してる。

いつも新鮮であるように・・・

何時も刺激的でありたいと・・・・

それは自分のためでもありファンのためでもあると・・・

 

その努力を否定したことは一度もないし・・・

万一否定したところで、やると決めたことはやる男だし・・・

そんな部分も含め尊敬している。

 

今回のドラマ主題歌もその一環なのだろうとは思う(そう思いたい。それ以上は無理)。

 

ただ・・・=「その結果物(方向性)をすべて歓迎する」こととは全く別の話なわけで。

「右向け~右」の号令で左を向いた者に落伍者の烙印を押すようなスターに明日は無いと思っている。

左を向いた者を右に向かせる「その次」を準備できる人だけがファンダムを維持して行けるのだと思うし、ジェジュンはそうやって私を納得(?)させ続けてくれた。

 

そんな私だから…余計「推しの喜ぶことをなぜ一緒に喜べないのか」という一般的に言えば真っ当な疑問に激しく疑問を感じてしまったのだと思う。

 

良ければ良い。

好きは好き。

嫌なものは嫌。

「自分の感情に正直なファン」も

「ジェジュンが嬉しいなら自分も嬉しいファン」も・・・

「ジェジュンだけが好きなファン」も・・・

「ジェジュン好きなファン」も・・・・

ジェジュンが好きだからジェジュンファンで「JAEFANS」。

 

至極当然な話が当然でないような雰囲気。

過去を思い出さずにはいられない雰囲気。

 

ジェジュンが運んできた春が嵐に変わりませんように。

 

 

 

 

春が来た

雨の日曜日。

ジェジュンさんが日本に帰って来た。

 

気にも留めなかった道端のタンポポ・・・

 

何気に通り過ぎていたY字路の分岐点に咲いた水仙・・・

 

見上げることもなかったしだれ桜・・・

鮮やかな春が目に飛び込んで来た。

 

春が来た。

待ちに待った春が来た~!

 

ネネちゃんとのツーショット。

ジェジュンさんが本当に日本にいるってこと・・・

実感わいてきた💛

 

 

 

やったやった

 

良くも悪くも諦めが早い私。

FNS歌謡祭。

期待していなかった。

「出られたらいいのにな~」という友達にも「無理なんじゃない?来年まで我慢我慢」なんて答えたり。

 

だから、今朝Twitterを見た時は手が震えた。

「だからKOREA」も嬉しかったし感動したし「ありがとう」だったけれど・・・

FNS歌謡祭出演決定には、また一味違った喜びと「ありがとう」がある。

ジェジュン不在の日本のTV歌番組。

寂しくてたまらなかった空席を、ジェジュンさんが埋めてくれた。

 

手が震えるほどの嬉しい驚きをありがとう。

 

そのうえ、かわいくファンと喜びを共有してくれるSSジェジュンさん。

FNS歌謡祭出演おめでとう。

 

削除されたヒラヒラブラウスInstagramは喜びのあまりのフライング?

そんなジェジュンさんも大好きだ!

 

飼い主の歓喜の声にもビクともしない。

本日も炬燵天子三毛猫

 

 

 

 

笑うが勝ち

 

「読んだ?」

「いいえ」

「読む?」

「うん」の流れで、いつの間にかファンから音楽評論家になっていた方の「笑うしかなかった」読んじゃったんですけど・・・・

 

あるじゃないですか?

ブログに限らず、YouTube、SNSでRT数やアクセス数を簡単に稼ぎたい時に効果抜群の手法。炎上。

もしかして、彼女の狙いに乗せられちゃった?気がしないでもないのですが・・・・

その結果、只今絶賛「う~~~~ん」中。

 

ファンが「良し」としたらダメなのかしらね?

感動したらダメ?

彼女が求めているものって客観的な感動?

そんなものあるのかしら?

 

一人ひとり主観というものがあるでしょ?

一人ひとりの視点というものも・・・・

だから、私が感動したものを彼女が「笑える」と捉えるのもありだとは思うけれど・・・その逆もありなわけですよ。

それなのに、「歌声を聞けただけで良しとするかどうかの問いをファンに投げかけた。」のくだりは、彼女の主観の押し付けとしか思えないのよね。それも常に上から目線。

ジェジュンが笑った理由も然り。

 

…というか・・・感動なんて主観的なものなのに・・・評論家と名乗る人が感動しないからと「ウ~~~ン」となる必要もないわけですよ。

シベリウスの名言にもあるもの。

「批評家の言うことを聞いてはいけない。これまでに批評家の銅像が立てられたためしはない。」

 

其れなのに読んじゃった(汗)…読んでモヤモヤしている自分。

其れこそ、笑えるわね。

 

ジェジュンさんのインスト「笑って・・・」。

そうよ。

笑おう。

眉間に皺寄せているより…笑うが勝ち!

*この写真見ると、鼻の奥がツーンとしてきちゃう。

これも主観的な視点のせいね。

 

*今年初の炬燵天子三毛猫