先週2月21日(土)のTBSラジオ【ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル】「ザ・シネマハスラー」において お題 『20世紀少年 第二章』に炎上し続ける町山智浩氏にすっかり魅了されてしまった私です。

その時のポッドキャストは、こちら↓

オープニングトーク
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090221_opening.mp3
町山智浩の「ザ・邦画ハスラー」
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090221_hustler.mp3
ついでに、放課後駄話(前編)
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090221_podcast_1.mp3
放課後駄話(後編)
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090221_podcast_2.mp3
ま、HPは、こちら↓
http://www.tbsradio.jp/utamaru/podcast/
過去ポッドキャストはこちら↓
http://www.tbsradio.jp/utamaru/podcast/index.html


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そして、一昨日、私ごとですが、たいっへん 落ち込む出来事があり 真っ暗な気持ちになってしまい

気晴らしに、町山智浩氏のポッドキャスト 「レイチェルの結婚」を聞きました。

町山智浩氏のHPはこちら

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/

ポッドキャスト「町山智浩のアメリカ映画特電」は毎週木曜日更新だそうです。

「レイチェルの結婚」のポッドキャストはこちら


(ネタばれ 日本公開前です。 知りたくない人は聞かない様にっ!)


http://www.enterjam.com/tokuden.html 
 


これを聞いて、私は、癒されました。

なので、「勝手にテキストダイジェスト・新シリーズ『町山智浩のアメリカ映画特電』ーレイチェルの結婚

ポッドキャスト後半の一部のみです。そして、ネタばれです。知りたくない人は読まないでください。

















♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


お母さん慰めてくれるかと思ったら「なんであんたは弟を殺したの~!」と責めるんですね。

「お母さんは絶対優しくて絶対自分を守ってくれる」という子供の頃の考えが一気に突き崩される瞬間。

ヤク中の娘に弟を任せたのはお母さん。

実は本当に悪いのはお母さんなんですよ。

ところがお母さんは責任を回避する為に全部娘のせいにする。

最後には助けてくれるとお母さんにすがってきた娘に

「あんたせいよ。」と。。。地獄ですね。

ここからどうやってヒロインは救われるの~と思うくらい徹底的に追い詰められていく。

親とか、「絶対に正しくて守ってくれると思っていた存在」が間違っていることがわかると、

本当に目の前がまっくらになって愕然とするんですけど、

俺なんかほんとにそれを最近経験してですね 

「あ”~っ」て感じで 何も頼るもんはないんだと・・・経験したことがありますけれども、

頼れる人はいいなと思ってうらやましいですけど


ハリウッド映画とか、ぬるい映画は、「母親は最終的には本当はいい人でしたっ」て救いを残してるんですけど 

これはインディーズなので、とことん「そんな甘いことはないんだよ 現実ではっ」ていうことを叩きつけてきますけど 

それこそまさに卒業する為の映画ですね。 

主人公は大人になれてないところがあって、母親に甘えてるところとかあったわけですよ。

それを踏みにじられることで乗り越えていくという映画なので ぜひ見て下さい。


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪



これ聞いて 私は、癒されました。

そんな甘いことはないんだよ、現実では、って現実は認識した上で、乗り越える。






こういう話にぶつかるから、あたしは映画を見る訳だ。
(そして、宇多丸師匠とか町山智浩師匠の師匠の後を追って、ふんふん嗅ぎまわっているのは、


そこに私の求める答えが埋まっているからなのだなぁ。)







アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)/町山 智浩

¥1,050
Amazon.co.jp


http://www.satie-choco.co.jp/html/on_line/p01.html


私はSatieの生チョコがこの世で一番おいしいと思っている。


このチョコ、日本では、東京(銀座三越・日本橋三越)名古屋三越にしか出店していないらしい。

そして、日本橋三越では、私の好きな、シャポーショコラ(生チョコ)は、扱っていないらしい。

なので、毎年2月の14日に銀座三越でお買い上げすることとなる。

なぜ2月14日当日限定かと言うと、この「この世で最もおいしい」生チョコレートは室温で溶けてしまうからだ。

銀座近くの職場に勤めていた時は、昼休みに地下鉄で銀座まで移動、ひと箱買ってすぐ会社に戻り、周囲の人にひと粒づつふるまったりした。

ひと粒であったにも関わらず、彼らはそのおいしさを翌年の2月14日まで憶えていて、ランチタイムが近づくと私に「買って来いチョコレート」という視線を送ってきたものだった。


地下鉄の足元の暖房も大敵なので、銀座からそんなに遠くに運ぶのは難しいと思う。



だから、私は不思議なのだ。このチョコ屋さんがヴァレンタインに大行列なのが・・・






だって、クーラーボックス持ってヴァレンタイン・チョコを運ぶ女ってどうよ?


クーラーボックスを使わないとすると(普通使わん)、銀座で会って、すぐ渡してすぐ食べないといけないじゃないですか?

車で迎えに来てもらって(銀座は駐車が難しいかと...)、車で開けてすぐ食べる。。とか?
あ、銀座のレストラン予約しておいて(バブルな発想)、席についたらすぐ食べる。。(ムードなし)とか?

それか、すぐ 冷蔵庫のあるシチュエーションに移動するか。。。


(あ、ちなみにお店では、ドライアイスとか入れてくれません。11月までもちます。と説明されます。)

だから、あの行列に並んでいる女性達が、どうやってこの難局(?)を潜り抜けているのか、
どういう戦略でこの日のデートを組み立てているのか、知りたいぃ~♪のだ

沢山買ってる人なんて、どうしてるのか、ああ、知りたいぃ~♪


義理チョコとして、「配って終わり」にはできない。
会って、 「コクハクラブラブ」 チョコを渡して、「後で食べて下さいね。」なんていうこともできない。


「難度の高いシチュエーション」を必要とする、
「本命にしか使えない」チョコ

Satie



だから、世界で最もおいしい。。。クローバー




「不治の病」とか、「猟奇殺人事件」が物語に現れなくとも 、人生の道行きでぱっくり口を開けた悲劇は描ける筈だ。ラスト以外、大きな事件は起こらない。
けれど、「助けて下さーい。」と、叫びだしたくなる鬱積した不満がこの「通り」すなわち、美しき「レボリューショナリー・ロード」に溢れているのだ。
「生活の為の仕事のことを聞いているのではなくて、あなたのやりたいことは、夢は何なの?」とエイプリルが問いかけるファースト・シーン
何処の国の何時の時代でも勤め人は、この自問自答を繰返していると私は思う。
誰しも「こんな生活の為の仕事、もう嫌だ。」と思い、「自分はやりたいことがあったんだ。」と誰にともなく呟かずにはおられない。けれど昇給と安定も視界に入れつつ、「時間がないから、お金がないから、責任があるから、夢を追うことができない。」と己を誤魔化し続ける日々をおくる人間を責められる者は多くはない筈だ。
階段に佇んでパリ行きを夢想するフランクの後ろで、灰色スーツの大群が黙々と階段を降りてゆく。その構図ひとつで彼の不満を語り尽くす「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデス監督。
破れた夢に変わるものを見つけられないエイプリル、「夢」破れた彼女が、身近な対象に怒りをぶつけ、次に身近な対象で憂さを晴らし、思慮のない行動で自滅してゆく。
たぶん、この映画の弱さは、「それでは、エイプリルは、フランクはどうすればよかったのか?」というテーマに対してポジティブなヒントを残せていないところだと思う。
唯一の回答めいたものは、不動産屋の妻が、「あの夫婦は変わっていて、本当は付き合いにくかったのよ。」と炉辺でぐちぐちと喋り続けるラストカット。
妻のお喋りの最中、夫は、すぅっと黙って補聴器の音を絞り、 画面は音のない世界となる。
映画のエンディングとしても最高であり、夫婦 という関係に対する、ある種語りつくされたかたちでの答えとなっている。
嫁に逃げられない8ヶ条 釣った魚にも餌は必要
 2ちゃんねるのスレッドを紹介するサイト「2chコピペ保存道場」で「嫁に逃げられない8か条」と題され..........≪続きを読む≫



タイミングのいいトピックかと思いましてw、引用してみました。



今回も例によって、「勝手にテキストダイジェスト」シリーズ
【ラジオ ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル シネマハスラーコーナー】より

『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』

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リスナーの感想メールから

ラジオネーム:マリオシスターズさん
「この映画もはやホラーっす。独身の俺にはもはや手に負えないッス。絶対結婚したくないっス。」
宇「この映画みて結婚しないことに決めたっていうボンクラな男達がボチボチいるっていう。。。ヤッターっていう。。。俺の『結婚しない』に理由が見つかったーっっていう、なぜならレボリューショナリー・ロードを見たから。。。っていう人が結構いるっていう」

ラジオネーム:デムスラーさん
「映画館を出る時に、おばさん達の群れの『そうなのよね~』という悟った会話を聞きながら映画館を後にすると・・・」
宇「おばさんたちが『あ~、そうなのよね~こうなっちゃうのよね~ヒツジ』って。。。そんな割り切りでいいのかっ!ていうのがありますけれどね~」

----------以下 宇多丸師匠フリートーク----------------------------------------------------------

タイタニックの主演の二人が再びということで、注目されていますが
映画が好きじゃなくても「タイタニック」はわかりますよね。
船が沈んじゃうんですよ。それに乗り合わせてた若いカップルが、船の甲板でぎゃーみたいなw


タイトルの「燃え尽きるまで」そうかあの二人が、燃え尽きるまで恋愛してしまうのね~ドキドキ



って想像してしまうと、奈落の底に突き落とされる。

タイタニック素敵って思っている人程、映画に向かって「何でそんなひどいこと言うの」って言うと思うんですよ。

それは、作り手が完全に意図したことだと思うんですよ。


夫婦が壊れていく話
夫婦喧嘩がこじれていく話
そして致命的な結果を招いてしまう。

夫婦喧嘩シーンのおぞましさ

それは、シャイニング 「お前らがいるから小説が書けないんだー」っていうあのシーンの様な....

そこが見せ場だと思って下さい。

映画に人生のより暗い部分を求めていく人には、お薦めですっって、終わりかいっ!

これは恋愛テーマの映画ではありません。

「夫婦っていうこと」よりもっと普遍的な話をしてるかもしれない。

人はなんらかの幻想に酔っ払い続けないと正気では生きていけないという哀しい生き物なんだ、と

恋愛っていうのは、相手のことを好きになってると思う時には、
こんなに相手のことを好きなあたしが好き!とか、
もしくはこんなイケてるカップルの俺達が好き。
自意識にある「仲がいいカップル」とか「正しい家族」とか、
ある種の幻想に自分を当てはめることで人は正気を保っていくことができる生き物だと...





この話、日本に置き換えると

麻布辺りのいかしたクラブで、男が女に聞く。
女「シンガー志望」
男「今はフリーター」
女「将来何になりたいの?」
男「それがわかったら人生退屈だろ」
とフカしあってるカップル

コレ39歳位になると、バ~カって思いますけど

男「俺NYでサバイブしていた時は生きてる実感があったけど、日本てぬるま湯~っ」
女「あなたステキー~恋の矢

この二人が、自分探しとやらをするまでもなく子供ができてしまうヒヨコ

男は勤め人になる。
けれど、周りの詰まんない連中とは違うと示したいが為、「こんな仕事くだらねぇ~」って言い続けてる。

そして、10年たちました。


女「あなたNYならって言ってたよね?じゃ、NYに行きましょう!」男「え?」





この夫婦、お互いのことをちゃんと理解してな...いや、お互いを理解するってナニっていうことなのよ。

どんな関係であれ、恋愛なんて所詮、幻想に基づく共依存みたいなもんだ、って、高橋ヨシキさんも言っていましたが...

幻想に頼ってしか人は生きていけない。
普通は、大人になってゆくと自分や配偶者に託す幻想が限界に来ると、子供へと幻想の置き場を変えることでなんとか折り合いをつけてゆく。

この映画では、裏の家の夫婦は、より環境に順応している夫婦。
この裏の家の旦那の方は、エイプリルに「ここにはないなにか」を求めている。

不動産屋の奥さんのキャシー・ベイツ、彼女はタイタニックにも出ている!意地悪なキャスティングです。

彼女は「素敵な若い夫婦が来たのよ。」とあの夫婦に幻想を見ている。

問題は、自分達の幻想が醜い空っぽの幻想であったことに気付いてしまった時

この夫婦が夢を断念するきっかけは、子供だったから、彼らは子供に夢を託す気にはなれない。
ここにはないどこかに本当の私を実現する場があったのに。。という幻想を思い起こさせる存在が子供、
だからこの映画では、子供の存在は希薄
この夫婦にとっては、子供は「なかった方がよかったもの」

先週の特集の「ヘルボーイ ゴールデンアーミー」のヘルボーイのセリフ
「女が怒ってる時、なんで怒ってるか聞いちゃだめだ、もっと怒るから」


ケイト演じるエイプリルとけんかすると、レオ演じるフランクは、一見論理的に言い負かす。

フランク「今の君が間違ってる理由、ひとつ。。ふたつ。。。」って言い負かすじゃないですか

ボク、これ、やったことあります。

そして、女が、「あなたの論理内では正しいのよね いつもね、ぎゃ~っ」て、

これ、そのまま、まんまやったことあります...


女がなぜ「なんで怒ってるの」って聞くと怒るかっていうと、女は、論点の遥か手前から怒ってるから。

『アンタに見た夢は、空手形だったじゃないの、もともと愛してなかったんだわ』ということに気付いて、好きだった時の幻想を取り戻したくて、パリに行くと言い出す。

ボク、この通りのけんかしたことある。と思った画面がいっぱいあって、
感情移入というよりは、うわぁ~痛いなぁ~と

女がぎゃーって叫んだ後の「言ってやったわ」って顔してるその憎らしい顔、見たことあるって

と思いながら映画を見ていて。。。

女が怒ってどっか行っちゃって、気をもみながら酒を飲みながら待ってた、あの時間、過ごしたことがある...みたいなね...


夫婦が壊れていくこの映画、結論として幻想は断念していくしかないんだけど、

そんな悟りが開ければ苦労してないよっていうさ…

じゃ、悟りを開いた状態、夫婦で何十年も連れ添った、例えば、チャーミーグリーンの老夫婦

チャーミーグリーンを見て、あれ素敵って思う人はいると思いますが、

チャーミーグリーンのおじいさんは、『こうしてるんだよ、こうして乗り切ってきたんだよ』っていう暗黒の知恵がラストシーンで見られます。

これを暗黒と見るか知恵と見るかは見る人によると思う。

見た後、話し合いたくなる映画、原作も面白かった。
原作読むとわかるけれど、効果的に映画に置き換えてるのが良くわかる。

アメリカンビューティーに作品賞はあげ過ぎだと思っていたので、あれに作品賞あげたんだったら、
レボリューショナリーロードにあげないのはおかしいです。こちらの方が数段優れている。

俳優陣が素晴らしい。

ケイトは、不満を抱えてるといい演技をするんですね。
郊外の町にいる一番の美女。。の上限w
例えば、ペネロペ・クルスがいたら、ナニ?って思うし、

損な役をやってるのにディカプリオ、うまい!


注目して欲しいのが唯一物事を見据えてる役、神経を病んでいる登場人物 マイケル・シャノン
彼は、その土曜日7時58分のチンピラのお兄さん役で名演技を見せていた彼!
大げさな演技はしてないのに、神経を病んでる感じも誠実な感じも出ている。マイケルシャノンの名前を、奥さん覚えておいて下さい

幻想を売りつけてばっかのエンターティメントがはびこってるなか、
こういう本当のことを言う映画は貴重です。おススメです




。。。。。。途中の自分史に踏み込んだ部分が長くなりましたガーン

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ポッドキャストのリンクつけておきます。

http://www.tbsradio.jp/utamaru/2009/02/post_393.html


番組HPはこちら

http://www.tbsradio.jp/utamaru/index.html

TBSラジオ 21:30から



レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで (ヴィレッジブックス)/リチャード・イエーツ

¥809
Amazon.co.jp

MTVの映画情報番組内で、異分子でありながら怪気炎を上げている二人、善兵衛と鉄兵衛による、

「レボリューショナリー・ロード 燃えつきるまで」の解説

・・・の例によって勝手なテキストダイジェストです。


善兵衛:宇多丸(from ライムスター)
鉄兵衛:鉄平(MTV VJ)

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善兵衛「この番組特有の用語でB.O.L映画、 ブスでモテないOLが好きそうな映画というのがありますが、
史上最大の最も有名なB.O.L映画の代表格 タイタニック
自分勝手な女が自分勝手の限りを尽くしてそれで良しとする、それで終わるという...」



鉄兵衛「今だに馬鹿なカップル、BC達が」
善「BC戦犯達、フェリーでタイタニックごっこするバカが後を絶たないようで、甲板の前の方には行けないようになっていて」

鉄「そんなタイタニックを俺は今まで一度も見たことがないという、驚愕の事実。。。。もう、出航しちゃってたんだよね、乗り遅れた?。。」
善「すげえ人数でもう出航してたからね~」

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善「タイタニックコンビ、再び、と思ったB.O.Lが見に行くのは、つくり手の意図だと思う。」
二人「サム・メンデス性格悪っ!にひひ

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善「ある夫婦の物語、希望に満ち溢れた二人、お互いを理想化してて...でも、もう、次のカットでは、結婚して何年かたってて、いきなり、苦~いところから始まる お互いうんざりしてる。

夢も、『おまえらの夢ったってこんなもんだよな』という限界をみせて

目もあてられない展開になってゆく。」

善「あの二人(レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット)から連想する理想化されたカップルを利用して、
若い時の愛は幻想込みの愛、それが大人になって、人生の限界を知った時にどう変質していくかというのを、B.O.Lを物語に引き込んでおいて、地獄の底に叩き落すという意図があると思う。」

善「夫婦のネガティブ面をこれでもか~と描いていく。」

鉄「鉄平的に『ぐるりのこと』とか見て『寄り添って、一緒に生きてくことはすばらしい』と思ったけれど、今回のこれ見てい絶対結婚しね~って叫び

善「逃げ場を一個一個論理的に断ってくじゃない。
理想には限界がある。
凡庸に幸せを築いている、裏の家の家族の幸せも断って行く。
自分の人生に対する可能性がなくなると、人間は地獄に落ちていく。」


・サムメンデスの奥さんがケイトで、ケイトがレオを指名した件

鉄「ダンナ微妙じゃねはてなマーク

善「世界の理想のカップルであるお前達を、俺の手で叩き壊せと爆弾

鉄「どんなヘンタイ夫婦だよ目

善「俺達はそれを描くことによって。。。『夫婦だけど』、ああいう馬鹿夫婦(ここではエイプリル&フランク)=BF?・・・と俺達(サム&ケイト)の間に隔てがあるとすれば・・・俺達夫婦の地獄メラメラをわかってやってるってところで・・・、さらに、あえて相手役にレオを選ぶと言う・・・サム・ケイト夫婦のインテリジェンスっ」



善「タイタニックに感動したあなた船、騙されてどんどん見に行ってください。」

善「やっぱり、結婚は地獄ドクロ、結婚は人生の墓場ドンッという結論に相成りました~。
結婚制度終了~(善兵衛、満面の笑みグッド!)」
2008年春のゴールデンウィークのこと である。
ケーブルTVのカウントダウンジャパン07/08の放送を、なんとなく見ていた。
突然、そこに、ケルトでアコースティックなバンドが登場!
ロッキンに、アコースティックバンド !!
なんだなんだ、このグループ
こんなの全然知らなかった。日本のグループなの?

曲は終わって 次のバンドに変わる。
あのバンドの名前は一体?
カウントダウンのHPをチェックする。「ガイジンがいるバンド……」

きっとこれ! アイルランド系のアメリカ人がメンバーにいて、
バンド名に アコースティックって入っているし

OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND

そして、プロフィールを見て、本当に驚いた。
TOSHI-LOWって書いてあるけれど、このバンドは、BRAHMANの別ユニットってことなの?

世紀の大発見をした様な気分になる。
夏のROCK IN JAPAN FES に出ますように!と念じてみる。

けれどovergroundacoustic undergroundは夏フェスには出演しなかった。
その代わり、今回初出演でトリを務めるBRAHMANのライブをこの際きちんとチェックしようと心に決める。

2008年8月2日土曜日

リップスライムの次のステージがBRAHMAN である。
リップのライブ前のサウンドチェックの時間、
ピコピコと電子音が流れるステージの後ろから、バンドの演奏が聞こえて来る。
本番さながらなプレイ、それはBRAHMAN だった。熱い、熱過ぎる奴らだ。

リップのライブが終了し、一緒に楽しんでいた、ヒップホップのイベントで知り合った友人達は、この後はテントに戻るという。

決めたことだ。ひとり残り、ステージ前の中央部に自分の居場所を決める。
最前部ではないので、モッシュは起こらないだろう。

BRAHMANの音楽は、ロック、パンク、ハードコアといったジャンル分けは困難であるそうで、さらに、BRAHMANとほぼ同じメンバーで、民族音楽色の強い、アコースティックのOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGRONDを結成している。
完全に余談だが、「事務所に、格闘技練習用のリングを備えている」という話も読んだことがある。一体彼らの視線は何処へ向いているのか?

サウンドチェックが終わり、 まるで経かコーランを唱えるかの様なオープニングの音楽が流れ始めた。同じく、なにやらスピリチュアルなイメージの映像も流れ始める。コアなファン達は、両手を合わせ、高く空に掲げている。
「なんか、マズいところに来ちゃったかも?」と心配になりつつ、けれど、この場を離れる気にはならない。

パンクの作法を知らないので、「その激し過ぎるパフォーマンスってつまりどういうことなの?」という疑問にさいなまれながら 、初体験のモッシュの波に飲み込まれそうになる。
そばにある柵にしがみついているのがやっとで、小柄な女の子が果敢にモッシュするありさまが信じられない。

そして、ついに、ライブ終盤、ダイブ禁止のこの夏フェスにおいて、アーティスト自らがダイブ。
その姿が、聴衆の波の中に沈み、視界から完全に消えると心配無用と思いつつ、動揺を抑えきれない自分がいる。
しかし、彼は、まるで地から沸く様に、ファンの手により聴衆の頭上高く抱えあげられ、その場に君臨した。まるで蓮の上に乗ったブッダの様だ。こんなアーティスト冥利につきる構図が他にあるだろうか?
理屈ではなく、意識の底で、「これは、たぶん『アリ』なんだ。」と納得してしまう。


そして、08/ 09カウントダウン ジャパン
願いが叶って、大晦日にOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDが出演する。


あの夏の夜に伝説的ライブ を行った、BRAHMANのメンバーで構成されているこのグループ

あの、ちょっと強面なTOSHI- LOWは、このケルト風アコースティックバンドで、一体どんな表情を見せるのか?

カウントダウンジャパンの楽しい雰囲気に、ついつい自分の酒量を見失い、動けなくなった私は、欲張ってステージをはしごするのは諦 め、ちょっと早めに、OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDがスタンバイするコスモステージへ向かった。
早めの到着が功を奏したのか、最前列をゲットすることができた。
ローディーの方達による入念なチェックを眺めてその技量に関心しているうちに、バンドメンバーが、ステージに現れた。

あの、「地から沸いたブッダ」の様だった、、ちょっと不可解で、「怖い」、TOSHI-LOW
彼は、そのオーラを消し、静かにメインボーカルの傍らに佇んでいた。

最初の英語の挨拶では、客の反応が薄かった。「ほら、やっぱり日本語だ。」と、流暢な日本語で、喋り始めたマーティンは、「こんばんは、キマグレンです。」と、お約束であるらしい挨拶をキメる。
マーティンのトークの間、しゃがんで水を飲んでいたTOSHI-LOWは、何も言わず上目使いでそんな彼を見据えている。

この豹変ぶりは何なんだろう?優しく音に寄り添う様にギターを奏でる様は、別人の様である。
最前列でなければ、彼がTOSHI-LOWであるかどうか、自信が持てなくなったことだろう。

まるで、あの人みたいだ。「デトロイト・メタルシティ」の「クラウザーさん」
ポップ音楽を好きな心優しき青年が、悪魔系デスメタルバンドのボーカルとして活躍するというあのお話の主人公の様だ。

けれど、ライブが佳境を迎えると、あの、TOSHI-LOWの片鱗が降臨した様子で、
音楽のグルーヴは、ジャンルに囚われるものではないのだと、確信する。

その後、いくつかのインタビュー記事などを読んだのだが、彼らの中に、この二つの音楽性の異なるバンドが同時に存在する理由は、私にはわからなかった。
彼らは、訳知り顔の解釈など許さないのだろう、きっと
いや、実は彼等にもよくわかっていないのかもしれない。

けれど
二つのバンドが、語りたい、吐き出したいともがくその言葉の底には、核を同じくする叫びがこめられていると感じた。

そしてひとつだけ、わかった気になったことは
彼らは、己の立ち位置が
それが人々の頭上にある時も 地下深くにある時も、
同じ価値を持って、同じ視線の先をめがけて奏でているだけなのだろうということだった。

「風が吹いているようだった。」

このひとはひとりにならねばならなかったのだ。

ただひとつ、彼の声だけがそこにあれば、それでよいのだ。


今思えば、私は、”ハナレグミ”について何も知らなかった。
2007年6月に日比谷野外音楽堂で行われた”ファンキー大百科”で、”サヨナラCOLOR”を聴いたことがあるくらいだった。
だから、この日も「また”サヨナラCOLOR”を歌うのかなぁ?」等と、つまらぬ予想を抱いていた。
何と浅はかなことか。




この日のGALAXYステージには、客席からあたたかな視線が注がれていた。
2008年9月、 あの夏の夜、日比谷野音の外で聴いた彼の声は、空から降り注ぐ様だった。
皆、あの夜から、彼を見守っていたのだ。
そんなうちとけた空気の中で,野音のあの日と変わりない、しどけない様子で彼は佇んでいる。

けれど、あくまで孤高
”ハナレグミ”と名乗るからにはそれなりの理由と自負があるのだ。

「今日はバンドの人が多いから」とギター一本でステージに現れた彼
口調は控えめであるが、目には強い光を宿している。
視線は、この会場に集っている、かつての仲間達に向けられている筈だ。挑戦なのだ。
今日は、あの日の犬達がこのフェスで一堂に会するグランド・クロスが起こったのだ。

今日が、彼らのその後を見届ける千載一遇のチャンスであることに気付いた私は、
「暮れのこの忙しい時に3日もフェスに費やすなんて」と思いつつ、八方手を尽くして28日のチケットを譲り受け、この日を楽しみにしてきた。

ステージ上の彼は、パラパラとしきりに譜面のようなものをめくっている。
演目をこれから決めるとでも言うのだろうか?

いや、きっとあれには何も書いてないのだ。
目のやり場に困った時の為のものなのだ。
ひょっとしたら、ラクガキがしてあるだけかもしれない。
彼独特の自由で繊細な節回しが、譜面に頼るものである筈がないのだ。

”君と僕とは 遠い昔に
出会ってたような 気がしてる”(音タイム)

「みんなにゴザをひいてもらって座って聴いてもらいたいくらい」 と語り、
何度も「気持ちいい」と叫ぶ、永積

ブルーの照明に染まったステージを見つめているうちに、だんだんとここが、青い空の下の芝生の上の様に思えてくる。
屋内の薄暗い会場であるにも関わらず、澄み切った空気に包まれているような錯覚に陥る。
もう私達は、彼の魔法にかかっている。

”キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
どこにでもあるような 家族の風景”(家族の風景)

皆、それぞれの、けれどおそらくそう大差はない、誰もが思い出として大切にしている情景を思い浮かべているに違いない。

皆が彼の一挙一動を注視し、誰も声をたてない。
フェスにおいて、こんな光景は見たことがなかった。

彼は、すっと一呼吸おいて、「オリジナル・ラブを歌います。」
客から、「ひ~」とか「ほ~」とかいう悲鳴の様な喚声が起こり、GALAXYステージはさらに静まり返る。

「音の返しを抑えて下さい。」とライブ中にステージからスタッフに指示を出し、
ギターを調整し続ける永積

静まりかえった客席と、
無駄な反響のない空間の中で 、
彼の声だけがクリアに甘くこの空間を漂い続ける。

そして、
メロディーは彼のフローから 、
リズムは彼が叩くギターから 、
そして、
少しめんどくさそうに 、
時折、 じゃらんっと弦を爪弾いてみせる。

私の前にいた男性が 「いい声だなあ」と感に堪えたように連れの女性に囁いた。

永積は、ギターをアコースティックに変え、
「音無しで踊れるか試してみよう。」と客席に語りかけ、ギターでリズムだけをとりながらステージ上を練り歩いている。

そんなスタイルで披露された“ボクモード・キミモード”
合間に“ポリリズム”も挟み込み、会場を沸かせることも忘れない。

この時、ステージ裏には、自身がゲストヴォーカルを務めるスカパラダイスオーケストラの面々が集っていたらしい。
仲間から、いかに崇敬されているかが、窺い知れる。

永積がステージで呟く。

「聞こえる スカパラの声が」
「聞こえるスカパラのの足音が」

挑発されて、堪えきれなくなったのかスカパラのドラムの人がステージに登場し、 そしてすぐ、恥ずかしそうにステージを横切り、走り去っていった。
フェスらしいあたたかな交流風景だ。

そして最後の一曲

「闇の向こうの光を見に行こう」と語りかける新曲“光と影”

演劇的ですらある彼の歌声
芝居のセリフだったら感情表現過多かもしれない。

けれど 、

諦観 、慟哭、憐憫の感情が、戦慄(おのの)き震える声に宿り、
その声に掴まえられた我々は、彼のいる、そして私達もよく見知った思い出の場所へと連れ去られてしまう。



ついに、ステージから彼が消え、私は、取り残された様な気分である。
まるで、風が吹いているかのような心地良さだった。


「ずっとこの余韻にひたってたい。」と私は想う。はかない願いだ。

現実は、爆音のロックフェスの会場で途方にくれる以外になす術はない。


そうだ、もう彼のあの歌声以外、受け容れることができなくなっている自分がここにいる。


なんということか。