バレンタインデーの朝、まあじぃ便を喜んでくれた友達の旦那さまが、天国へ…53歳…
不思議なんだけど、バレンタインデーに、朝からずっと考えていて、夜に連絡をもらいました。
わたしの命の恩人、鍼治療を勧めて紹介してくれたご夫婦です。
シドニーで膵臓癌がわかったのが、8月初旬、9月に鍼治療帰国で、鍼治療してる隣でずーっとおしゃべりしたの、思い出すよ。、病気を打ち明けて「友達に泣かれるのが、一番辛い」て、言うから、私はあえて、笑ってばかりで別れ際も、また、次回‼️バイバーイと、いつものように。
日本での治療に切り替えると決めて、12月初旬の帰国予定が、脳梗塞で、延期。半身が動かなくなり、筆談になったのに、いつもポジティブで。オーストラリアのスパルタなリハビリ頑張って、なんと、話すのも回復して、大晦日に、東京へ。
青空。お正月明けすぐの再会。
日本へ、モルヒネを打ちながらの移動。どんな大変だったか…
なのに、病室でも、まずは、わたしの身体の心配を先に。あとは、冗談と、まあじぃ便のお礼を。
身体は、ぼろぼろて言いながら、目がほんとに、キラキラしてました。実際9月よりも、チカラを感じたから、そう伝えたら、ほんとに❗️て、ニコニコ。
毎日たくさんたくさんの、お友達のお見舞いと、最愛の妻、そして、息子たちが24/7、ずーっと、シフト組んで寝泊まりし、濃密な家族の時間だったんだなと。
でも、再び脳梗塞。
もう、隠さないでいいよと言ってくれたから、シドニーの仲良しグループと、アポなしで。面会謝絶だったけど、気持ちを置いてきた。
そして、また、持ち直してくれた。
次は、また一人で。実は、顔を見なかったよ。薬が効いて寝ていたのに、病室に入れてくれたけど、フェアじゃない気がして、また、起きてるときにと思いました。その時はもう、家族も限界に近く、私にできる唯一のこと、鍼治療の先生に出張を頼みました。
4度目に行ったのは、シドニーからの友達二人を連れて。
バレンタインデー前の三連休にお世話になり、友人でもあるパパと行こうとしたら、その日の朝、一度家族を集められた、でも今は落ち着いた…と聞いて…
正直、きっとまた、乗り越えてくれるものと、思うようになってしまっていた。
バレンタインデーは、入籍記念日、家族で日付変わったときにお祝いし、写真も撮って、30年に突入した、その朝に急変。
お通夜は、5日後に、それはもう、変な例えだけど、普通の芸能人よりも多いくらいの参列者で、人柄と人望がしみじみよくわかりました。
東京タワーの夜景観ながら、まだ、フワフワと信じられない気持ちで、主人と息子と帰宅。
青空。告別式の朝。
平日なのに、すごい人。
お友達、銀行時代の同期の親友さん、高校大学と一緒に体育会庭球部だった親友さん、お二人の渾身の想いのこもった弔辞。
棺に花を手向けるとき、素敵な音楽が流れて、
友達が、気丈に、お礼の言葉で「これは、夫が大好きな歌で、病室でも口ずさみ、体を揺らしていました。
先日、歌詞が気になり、調べてみたら…わたしへのメッセージとわかりました」と。
最後は、庭球部の皆さんが、部歌、そして、慶應の塾歌で送り出す、愛がいっぱいの告別式でした。
シドニーで癌になったからこその深い縁。
この半年、もっと、何か手伝えたのではないかと思う。不完全燃焼の分、友達や息子たちをサポートするからね。
どうか、見ててね、わたしのお役目を果たすから。
ほんとにかっこよかった、出会ってから、今まで
ずーっと、ありがとうて言ってくれたけど、そうじゃないよ、私たちが、ありがとです。必ずまた会えるからしばらく待っててねまた、次回‼️