びっくり箱みたいな旦那 No.7 | バリ島でオリジナルシルバーを作る、感じる。

バリ島でオリジナルシルバーを作る、感じる。

バリ島で暮らしています。
日々暮らして行く中、自然を見ていて感じるインスピレーションを
デザインし、オリジナルシルバーを制作しています。
そんな毎日に感じる事を綴ってゆきます。

狩りの翌日は、遠く離れているけれども市場に行こうと誘われた。
カリマンタンの市場には、この村に来る前に何軒か寄ったことがあるので
想像はついたが、別にやることもないので着いて行くことにした。

村の市場に行くという何人かは、マイカーである水牛に
沢山のいろいろなもの、野菜やら果物やら
お手製の籠やらを山のように積んでいる。

まだ物々交換なのだね。
この時代、インドネシアはもう貨幣経済ではあったが
田舎に行くと物々交換は成り立った。

ちなみに、私が初めてバリ島に来た1984年(?)頃も
このバリ島でも物々交換ができた。
100円ライターとか、日本製のTシャツとかで
お土産物と交換したりしてた。
まぁ、今でも物々交換はあるんだけど、今のそれとは違い
もっと規模の小さなものも、その時代は交換できた。

市場に行きたいという人は、娘が嫁に行くので
その衣装を作る生地が欲しいとのことだ。
ラッキーなことに、その村の結婚式が観れるということ。
旦那はその一部始終を見せてもらえることになった。

こうして、その村にはなく必要なものは、隣村の市場など
少し遠出をして手に入れるらしい。
マイカーの水牛で、旦那は着いて行くことにした。
馬は乗ったことがあったので、水牛も同じ感じで何とかなるだろう。

一時間も水牛の乗って揺られていると市場に着いた。
市場には、色々なものが売っていたがお金での取引は殆どされていなかった。
そう、物々交換が主流で、この地ではお金にあまり価値がなかった。
お金よりも、自分たちが持っていないもの、の方に価値があった。
その市場では、奥さんたちが手作業で製作したよう洋服や小物
家で使われなくなったようなタンスや台所用品
食物も野菜はもちろんの事、肉類になるであろう動物は生きたまま売られていた。
乗り物や農業で使われる水牛も売られていた。

同じ村のこの市場に一緒に行こうと誘ってくれた人は
娘の婚礼用の生地を探しに行くというので、ついて行った。
服を作るだけの生地と、持ってきた野菜や籠が交換された。
しばらくお互いに交渉しあっていたが、話が合ったのか交換は成立した。

生地は手織りのものなのか?手の込んだものだった。

水牛に沢山載せてきた野菜や籠の殆ど全てとの交換だったので
きっと生地は高価なものなのだろう。

物売りの人と握手を交わし、しばらく世間話をした後
帰りの途についた。
娘をお嫁に出すお父さんは、嬉しそうに生地を水牛にくくりつけた。



この写真もお借りしたものです。
頭に飾る飾り付けが、バナナの葉で作るもので
バリ島の結婚式の家の前を飾るお飾りを思い出すようなもの。
でも、ダンスの時もそうだったけれども、鳥の羽で飾られているのは
ネイティブアメリカンを思い出すね。


その2.3日後には、結婚の準備が整い娘さんはお嫁に行った。
と言っても、同じ村の中での事だが。
家の周りでは野菜を作ったり、水牛やら鶏やらがウロウロできるような場所があり
近所の家とは随分と離れているので、同じ村と言っても
歩きでは少し時間が掛かる距離だ。

お見合いとか親が決めた結婚とか、お金持ちだから、とか
学歴があるから、とか、沢山水牛を持っているから、とか



今の結婚とは大違いで、そこにはお互いへの愛があるだけだ。



両親は、娘や息子が決めた結婚にあまり文句は言わない。
結婚の条件は、愛が全て、なのだ。


水牛に乗って、お嫁に行く娘さんは旦那さんになる人のところに行く時には
娘さんは、少し泣いていた。
これはきっと万国共通の思いなのだろう。


この娘さんに祝福あれ。



続く