●思春期の頃の日記と対面
思い立ったように、「日記(15年ほど前に付けていたもの)を処分しよう!」 と思いました。
それまで、私の中で、まったく捨てる候補のモノではなかったんです。
でも、お部屋の隅にある、日記の束を目にする度、過去に足を引っ張られているような気が・・どことなくしていたんです。
今まで過去、しかも、一番つらかった自分の時代のモノをもう一度、目にすることは辛すぎて、中を開けることなんてできなかったんですよ。
でも、今回、「手放そう!」って決めて、もう一度、一ページ一ページ、目を通しています。
そこで、私、気づきました。
私、過去の悼みから解放されてきつつあるんだなって(*゚ー゚*)
ちょっと前までは、まだ「過去の悼み」が全然癒されていなくって、日記を開くなんてことは、腫れ物に触るみたいに怖かったんですよ。
でも、今、当時の自分を俯瞰するような感じで、日記を読むことができて、「あぁ、当時辛かったなーーー」って思います。
「私、本当にあの環境の中でよく頑張ってきたなーー」って思います。
やっと、自分を自分でぎゅうって抱きしめることができるような、そんな感じになってきました。
私、産後鬱でしたが、その前から鬱の傾向はありました。
高校のとき、保健室登校というのを経験していた辺りから。
ちょうどその頃、当時同居していた父方の母と私の母の折り合いが最悪で(いわゆる嫁姑問題)、別居の話が持ち上がっていたのです。
私、長女という役割の中で、精一杯、母と祖母の間のバランスを取り持つようなことをしていたんです。
「母と祖母が仲良く、この家が温かい雰囲気になるんだったら」と、自分のことは そっちのけで、必死でした。
でも、あっけなく、「別居することになった」って親から聞いて・・。
私の「努力」は、まったく報われなかったんだなぁって・・・、現実にもう、ついていけなくなりました。
当時の私は・・・
恐れでいっぱい。
自分が傷ついている、ということに気付いていない。
自己価値が低い。
自己犠牲。
自己信頼、自己尊重、自己愛・・・ない。
母からの呪いの言葉、父からの呪いの言葉が浴びせられて、安心感が得られない暮らし。
共感・理解に飢えた子ども。
日記を読み返して、「あぁ、こんな感じだったなぁ」って思います。
産後鬱はとっても辛かった。
でも、あのまま、鬱を経験せずに生きることは、私にとってはずーーーっとブレーキとアクセルを同時に歯を食いしばって踏み続けて生きるようなもの。
だから。
今、生きやすくなれたから、鬱を経験できて、良かったのかな、と今なら、思います。
以前は、絶望感や将来への不安感がいつも胸にありました。
今は希望をもって、子育てが出来ている気がします^^
育児が辛かったのは、ありのままの自分を愛せていなかったから。
私、今、お世話になっている方に、こんな話を最近したんです。
「傷ついた人は、人にやさしくできる」という言葉があります。
これは、「傷ついて、それを癒した人は、人にやさしくできる」ではないかと思います。
そうしたら、その方が同意してくださった上で、「傷ついたままの人は、さらに人を傷つけてしまう可能性がありますね」と、おっしゃって・・。
そうなんですよねー。
私の父も、母も、そして、幼少期に同居していた、私の祖母もきっととっても傷ついて、そのことに気付いていない人なんだと思います。
こう冷静に思えるのは、ようやく最近のことですが。
傷ついた人は、何気なく、人を傷つけるし、その前に、その人自身を傷つけるのが・・・悲しいかな、うまい。
よく耳にする言葉ですが、「不幸の連鎖を断ち切る」。
そのために、「癒し」は、効果があると思います。
自分にやさしくできるし、人にやさしくできる。
私、まだまだ、「昔の自分が抜けきっていないなー」と感じることもあります。
自ら、温かい家庭を欲しているのに、反対の行動をとってしまうようなことが・・。
でも、日記を読みながら、思いました。
長い間、ネガティブを積み上げてきてしまった私だから、完全に癒される迄は、ちょっと時間がかかるかもねーって思うくらいでもいいのかな、って気もしてきました。
焦らなくてもいいかな、って。
日記の束を全部読んで、「さようなら」したら、もしかしたら・・・次の一歩が踏み出せるのかもしれません^^