あれから5年 | そぉまの脳内散歩道 ~にのあい時々ROCK~

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嵐の相葉さんとにのあいとROCKが大好き♡
そんなそぉま脳内をてちてちしては徒然なるままに、
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なぁーーーんの役にも立たないブログです(*´∀`*)/


あの日、5年生への進級を控えていた息子②も

本日中学校を卒業いたしました。







卒業式後に教室に戻ると、
黒板にはカウントダウンカレンダー。

クラスの女子が作ったそうです。





終わりであり、始まりでもある「0」。







5年前、息子のクラスに転校してきたAさん。

彼女が暮らしていた町から福島第一原発までは60kmほど離れています。

Aさんの同級生はそのまま町に留まる人がほとんどでした。



Aさんのご両親は「ここで娘を育てていても大丈夫だ」

という安心を得ようと、娘の行動範囲・自分達の生活圏内の放射線量を

個人的に細かく計測しました。



その結果を見たご両親は、

いろいろ考えた末に娘を転校させる決断をしました。



当時、わたしは学年委員をやらさせていただいていた関係で

Aさんのお父さんと何度か話す機会がありました。

転校させないこと・させること、どちらが正解かわからない。

自分は仕事の都合で週末しか会いに来られないのに、

どこまで娘をフォローしてあげられるのか。

いろいろな不安を感じていましたが、

それでも大きな決断をしたいちばんの理由は、娘への愛情でした。



「娘を守るためにいま自分にできることはこれしかないので。

いろいろお世話になります。よろしくお願いします。」

と、深々と頭を下げたお父さんの姿がいまもはっきり思い出されます。



そんな出会いだったのでこの5年間、

Aさんのことはいつも気にかかる存在だったのですが

心配ご無用!と言わんばかりにいつも明るく

友達の中心で楽しそうに笑っていました。

Aさんは強くて賢い女の子でした。



ご両親もきちんと彼女に話をしたのでしょうが、

お父さんとお母さんの気持ちも自分への愛情もきちんと受け止め、

なぜ自分が住み慣れた町や仲のよい友達と離れなければいけないのか。

ということと、きちんと向き合って日々を過ごしてきたのだと思います。





あの日から5年がたった今日

彼女は卒業生代表として、立派に答辞を述べました。

そしてこの春、自分が生まれ育った町の高校へ進学します。







どんなに時間が経っても

失った何かを埋めることはできないかもしれない。

でも、この5年で育ったものもある。

希望を感じることができた日でした。



一歩、一歩。