術後約2ヶ月が経ちました。
少し楽になったと思っていた神経痛は、低気圧のせいか、最近また時々疼きます。
先月、術後検診に行ってきました。
旧主治医のY先生は、良くないことがあると怖い顔で、怖いことを言う。そんな先生でした。
現主治医のポテトヘッドは、良いことも悪いことも、優しい顔で優しく伝えてくれます。
どちらも私にとっては恐ろしいです。
病理結果、播種が、2つあったそうです。
CTに映っていない2mmくらいのものを手術で見つけて一緒にとってくれたそうです。術後、1つしかなかったよと聞いたのはなんだったんだろう。寝ぼけてたのかなぁ。
ポテトヘッドの表情も声色もいつもと変わらず穏やかで、それが意味するところの主治医の見解は、読み取れませんでした。
でも、多分こう。
数年後に「再発」と診断されるであろう危険因子を事前に取り除くことができたよ、よかった、よかった。
そして、Y先生ならこう言う。
やっぱりCTに映る播種は、氷山の一角にしか過ぎない。また再発すると覚悟しておきなさい。
どっちも真理だと思うし、それ以上の「意味」はこれまでも自分で見出してきた。
精神論ではダメなんです。
傷付くのも、辛い思いするのも全部自分で、私の人生の責任は、私以外他の誰にも背負えない。
それは、今回の再発が分かってから手術前もずっと考えていたことで、過去6年の病状を振り返ると、2.3年後に再発したって何も不思議ではない。
その時、何を後悔するだろうか、何を諦めなければよかったと感じるだろうか、ひたすら、ひたすら考えました。
そして私は決めました。3年後、30歳で再発すると仮定して、それまでにやりたいことを、3つ、決めました。
1つ目は、留学です。
文章を書きたいと思ったのもそうだけど、私は、人の心を動かす仕事がしたい。仕事でなくてもいい。お金より大切な、価値を生み出したい。そのために勉強したいことが山ほどあって、アメリカのextensionに進学したい。これは実は半年くらい前から思っていて、留学センターに行ったり、英会話に通ったり、なんとなく準備を進めていました。
2月の検診で何もなく、主治医から許可が下りたら、1年くらい行こうと決めていたのです。
そして2つ目は結婚で、3つ目は出産です。
正確には、出産が1番最初に思い浮かびました。
次の手術、胸腔鏡ならまだしも、万が一肺全摘となった場合。片肺で子どもが産めるだろうか。もう何回目の手術だろう。手術の度に身体には負担がかかっていて、出産自体もそうだけど、その後の子育てだってとにかく体力が必要で。卵巣の凍結保存までして、切に子どもを望む私としては、次の再発までに、何としてでも産まないと!ほとんど条件反射的にこう思っていました。
2月下旬でした。
これを全て、パートナーに話したら、「全部叶えよう」と言ってくれました。
ただでさえ再発して手術をしなければいけないのに、こんな滅茶苦茶な計画に対して、どれだけ大きい器があったらそんなこと言えるんだろう。
留学なんて言ったら笑われるかなぁと思っていたけど、彼は全く笑わなかった。
「やりたいことを絶対にやった方がいい」そう言ってくれました。急に人生が明るくなったような気がして、再発が分かったばかりなのに、ワクワクが止まりませんでした。
こんな風に再発を前提に生きるなんて、批判もあるかもしれないけれど、いつも先のことを考え過ぎて身動き取れなくなってしまう私にとって、3年というタイムラインは結構ちょうどいいのかもしれない。
そこから、1人ではなく、2人で、2人の将来について話し合い、よく考えたら滅茶苦茶な計画であることに気づき(遅い)、改めて優先順位を考え、3月、結婚することを決めました。
ということで、結婚します!来月入籍します!
留学に期限なんてないもんね。おばあちゃんになってでも絶対行くぞ。やりたいことだって、日本にいても、どんな形でもできる。もう一回自分の気持ちに向き合います。
病気に振り回される人生だけど、病気のおかげで人生が動いた。
ちょっとだけロマンチックなお話でした。
写真は、元旦に登山した長野の車山です。