共喰いを読んだ | ふせい白書

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あらあらまたこんなことを?よろしくないわねえー。ちょっと成敗してあげましょうよ。

以前に書いた、田中慎弥がもらっといてやる、といった芥川賞受
賞作の「共喰い」を読んでやった。


何故かというと、東京都知事閣下をうならせるほどの作品だから
読んでおかないと田中様に失礼かと思ったからだ。

一言でいうと、「最高のでき」の小説である、というところだろ
うか。


彼はプロの作家なので、暇のついでにつたない批評を気が向いた
時に書いているような私が、このようなことを書くべきではない
とわかっているのだが、批評好きな私の悪癖とわかって読み進め
ていただきたい。


最高のでき、と書いたのは、特に好きな作家がいて、読むものが
すでに決まっていない人には読んでいただきたい、という意味で。


例えば私は村上龍の、主人公と同じ格好をしたくなるような作家
本人の趣味で文章を操っているような小説や、町田康や筒井康隆
が書くような思わずおかしくて鼻でクスッと笑ってしまうような
小説が好きである。単純にその2人の作品しか読んでいない、と
いうわけではなく、その他にも大江健三郎、中上健次、阿部和重
山田詠美、森瑤子など、読んだうちに入るのか入らないのかわか
らないが、それくらい読んだ上でそこにたどりついた。それくら
いって、上記の作家についてはほぼ全作品読んでいる。


とはいってもこの顔ぶれを選ぶ時点ですでに偏りはある?・・・。


おそらく、今回の事件「もらっといてやる」がなければ、立ち読
みをして買わずにいただろう。それは作品のできとは違う好みの
問題だ。


とても考え抜かれた作品である。考え抜かれているのはストーリ
ーという意味ではない。表現がである。


特に時間の経過については、そこに何かの伏線があったのか、私
は見つけられなかったが、川と町の風景とともに、しつこく常套
な表現に徹している。


引用
時間というものを、何の工夫もなく一方的に受け止め、その時間
と一緒に一歩ずつ進んできた結果、川辺はいつの間にか後退し、
住人は、時間の流れと川の流れを完全に混同してしまっているの
だった。


なんと素晴らしい表現なのだろうか。


時間に関する表現を探すときりがないのだが、その他の表現でも、


引用
夕食のあと琴子さんは店へ行った。遠馬は脂だらけの肉の皿を自
分で洗った。流し台の下で虫が鳴いた。


これも、してやられたって感じ。


最後の「流し台の下で虫が鳴いた。」は本来なくてもいいフレー
ズである。しかし、この一言でドラマに風情を吹きこんでいる。



これも

引用
あまりに大きなうしろ姿だったので、魚屋の方が猫の体の中を通
り抜けていった感じがした。


これも素晴らしいですね。いわゆる遠近法を文章でやってのけて
ます。


その続きで


引用
家一軒が通るなら、川底のごみや川辺に滞っている時間も、猫の
体を楽に通りぬけてゆきそうだった。



ここでも時間にこだわっています。時間について著者は何かを言
おうとしていますが、私にはわかりませんでした。


一度読んであげたらいかがだろうか。閣下のために。


んん、こんなにいいできなのに、私は著者の爆弾発言がなかったら

買って読んでないな。


勝ったのは文芸春秋だけど・・・。