2017年8月読書メモ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

戦争継続に利用されそうになった大本営発表
 

 親泊大佐、佐々木克己大佐、広石中佐が入ってきて、いつものように大本営発表文を読み上げた。
これで明日の新聞には、この大本営発表(=ポツダム宣言受諾の大命に背き徹底抗戦を訴える内容)が掲載されるはずだった。
クーデター派の親泊は成功を確信したことだろう。ところが、ここで記者たちが疑問の声をあげた。
長年報道部で仕事をしてきた記者たちは大本営発表を細部に至るまで知り尽くしていた。
そのため、彼らは目の前の大本営発表の異常さに気付いたのである。
「全面的作戦を開始せり」という文言は、単なる戦況報道のそれではない。政治的・外交的な問題を含んでいる。こんな重大な発表をここでやっていいのか―。
ほかにも記者たちはまるで小役人のように事務手続きの不備を衝いた。
「参謀総長と作戦関係の第一部長、第二課長のところは赤鉛筆でスミと書いてあるだけですね、これでいいんですか」
「次長と大臣の花押が変だし、軍務局長の判もいつものと違いやしないかな」
そしてついに同盟通信の記者が、「この発表をとりやめるわけにはいきませんか」というに及んで親泊は焦ったらしく、
「生意気なことを言うな!貴様の言っていることは統帥権干犯だぞ。一新聞記者の分際で大本営発表を取りやめろとは何だ!無礼なことを言うな。文句を言わずに発表を社に送ればいいんだ」と怒り出してしまった。

結局、記者たちが政府筋に「これでよいのか」と確認したところで戦争継続派による捏造であったことが発覚。

 

                                        辻田真佐憲「大本営発表」

 

フェイクニュースやオルタナティブ・ファクトとの付き合い方は、既に日本は実地経験済。あの戦争を忘れない系の企画が戦争の悲惨さ(もしくは美化)ばかりなのはもったいない―こういう現在との地平線上にあるものこそメディア自ら掘り起こすべきだろうに―そしてできないからこそ軽蔑される。

 

 

教育再生会議をウォッチしていたものとしてはアフターフォロー。日本の教育を再生させるために選ばれた委員の実績は「このレベルの」子育てです。非専門家が専門家ヅラで介入できる敷居の低さが日本の教育問題の根幹の一つ。

 

これだけ何冊も連続して面白いと感じるのは、著者の問題意識が「合う」ということでしょう(―別段全ての社会学者・思想家を半径3m社会学者と見下しているわけではない)。同著は、自由・市場化を前提とする社会においては選択が増えることを無条件に善と扱いがちだが、選択するには一定の負荷・コストがかかるということ。なればこそ一定のパターナリズムの下に選択を無くしてしまうことを称揚する。たぶん過去の著作もそうだったが、同著者の問題意識は奈辺、長らく無批判に受け入れがちなものを科学や社会システムが進展した現代において再考することにあるのだろう。

7月~8月はどうしても戦争に関する諸々を考える諸作が並ぶが、戦前の諸反省に根付く戦後思想については何故か批判的に保守・右派系言説でしか熱心に語られない。「自我」の確立について西洋的近代の輸入ではなく、日本の歴史から救い出そう、リバイバルしようとした丸山、吉本両氏の言説は肯定的に保守派は語るべきだし、左派もまた左右の分断ではなく国民を統合する言説を評価すべき―。個人的には「忠誠市場」という発想が発見だった。市場において独占が起きた時、ロシアツァーリズムの例のように反動もまた強烈。

この時期だと「失敗の本質」を褒めるのが時節柄だけど、失敗の本質が各戦場において抽出される要素が似たものばかりで日本人として悲しくなるばかりなのに比して中立的に読める名著―思わず別に職場用図書として購入しました。飛行機業界を立て紐として、医療業界、法曹業界など比較的昨今の事例がふんだんに盛り込まれる。同著内でも戒められているように魔女狩りや事後解釈バイアスではなく、正当に問題分析から学ぶことの重要性はやがて、失敗を積極的に小さく・早くすることを求めるに至る。

AIに知的仕事が取って代わられる恐怖が語られるようになってきていますが、現時点で言えることとして蓄えるだけの知は既に外部化されている。その知をどうやって取り出すかは、検索力や検索するための基礎教養だったりするわけですが、それらをも包括する新しい知として「質問力」をフューチャーする。幼いころにはあれだけ質問を重ねていたはずなのに、やがて質問をしなくなるのはどうしてか?―これもまたア・ビューティフル・クエスチョンたりうる。