タテ軸の思考図 | フラクタルの森 玄明 陰陽学  

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タテ軸の思考図 

この図に有る七つの構成要素が何であるか
これらの要素が物事の情報を正しく伝えるために不可欠なものであるなら
この世で考えられ常識と思われていることの中に、非常に曖昧なものが含まれている可能性がある

 


例えば、この社会の中に様々な犯罪や出来事が起こるけれど、なぜ、それが起きたのか原因を探ることがある
「なぜ」「どうして」「なにゆえに」と、その動機や原因を探そうとするのだが、その根っことなる原因まで探せずに放置されることも多い
それは「なぜ」かと考えると、動機は人の心の中にあり、言葉で表現されたとしても、とても見えにくいからだ

そして、犯罪などで考えると、その何故を捕まえていないから起きることも多いのだ
犯罪も結果を得るために起きるのだが、他者の都合も考えず行動することによって起きる
他者の都合を考えず、他者の物を奪ったりするから犯罪なのだ
動機の中に「結果」ばかりを入れていて、その理由などが満たされていない為に歯止めがかからずに起きる
その思いの中身が見つめられること無くカラッポで「思い」の中に「結果」しか入っていない状態であり
要するに「結果至上主義」の状態である
「利己主義」と言っても良い

実は、このような状態があらゆるところに存在して、この社会を悪くしている
国際政治の中にも有る
紛争や戦争の中にも有る

そもそも、科学的な理解の中にも有る
そもそも、科学の発展の背景には「なぜ」を何度も繰り返し、その本質を見つけようとするところに有るのだろうが、それが中途半端で終わっている
「なぜ」まで至らず「どうして」「どのようにして」あたりで止まっている
深く探求されていないことが多いのだ
例を挙げようとするならキリがない

例としてダーウィンの進化論をあげてみよう

ダーウィンの進化論は、全ての生物種が共通の祖先から長い時間を経て、「自然選択」を通して進化しているというものです。 自然選択は「 自然淘汰(とうた) 」とも呼ばれ、 突然変異によって生まれた個体が、たまたま環境に適応したため生き残り、進化が起こる という考えです。

ここに記したものが進化論だというのなら、その進化論は不完全なものとしか言えない
整理してみると、「人間は共通の祖先から、環境の変化で突然変異自然淘汰を繰り返しながらたまたま、偶然に進化してきたということ」になる
これは論理上不完全であり、これを図表の中に入れるなら空白な部分がある
「どのようにして」には答えているが、「なぜ」に答えていない
要するに「動機」という人間的な所が無視されて、ここに「たまたま」とか「偶然」とかが入っているだけだ

この考え方は、無神論に繋がり唯物論の下地になっている
何らかの存在の意志の働きが有るのに、神も創造主も見えないために無視される
見えないから、分からないからと言って無視するのは知性としてはどうだろうか
無知の知」を認めることが出来ないということは探求を放棄している事である

たまたまとか偶然にという言葉は、犯罪の言訳でも便利な言葉である
犯罪でも自己責任能力の有る無しで裁判が行われることも有るが、これも同じことである
泥酔などで混濁して自己責任能力のないような状況下での犯行ならば罪に問えないというようなものだ
原因の背景にある原因は、どのようなものにも有り、思考停止もはなはだしい
犯罪の背景にも、必ず誰かの動機が存在し、動機の中身が必ずある
たまたまとか、偶然にとか起きる犯罪などあり得ない

この思考停止状態が、全ての犯罪に中にあり、すべての科学的背景にも有る
これが科学的発展を遅れさせている事にもつながっている

色んな未知のことを知るために科学的であろうとするのは良いとしても
科学的であるためには「論理的」である必要が有る
その論理性を満たすためには、この「タテ軸の思考図」の要素を埋める必要が有るだろう
論理性など無視して、方法論(どうやって)と結果(どうしたい)さえあれば良いとするなら問題が起きる

ある意味、諸悪の根源は非科学性にあるとも言えるだろう
どのような創造にも意志の力(思い)が働いている事
製品には設計図が必要であり、陶芸作品ができるにしても誰かのイメージが必要なのだ
この単純な科学的論理を無視するならば、
この社会に不都合な事が蔓延したとしても、それを修正することはできない