家族に尽くした1年 その14 四十九日まで | hachiのブログ…from time to time

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母の一人暮らしが 本格的にスタートしました。

すでに2か月やっていたので 母も周りも 戸惑うこともありませんでした。

 

懸念していたのは 母が、父の闘病中持っていた「私も頑張る」という気持ちが切れてしまい

父を失った喪失感や気落ちは大丈夫か?ということ

 

それがなかったわけではないとは思うのですが

傍から見ている限りは

とにかく毎日のスケジュールをこなすことが精一杯で

忙しいから考える暇もないという感じでした。

 

日課としては 朝起きたら私と兄にメールすること

曜日に応じた時間帯で 身支度をして 朝食をとり 外出または 訪問(リハビリ、ヘルパー、看護師さんなど)

一日の予定が終わったら また兄と私にメールすること

 

これだけで 疲れ果ててしまい

毎日早い時間に就寝しているようでした。

 

週末は私が行って ホテル勤務の兄は 火曜、水曜あたりに帰っていました。

 

といっても ヘルパーさんが週3来ていて 家の中は綺麗に整えてくれていたので

行く目的は 母の話し相手や 足りないものを届けることや 気晴らしに食事に連れていったりすること。

 

それと どうしても行かなくてはいけない理由は ゴミの処理でした。

生ごみだけは 週1ヘルパーさんが 出してくれましたが(量が少ないので 週1にした)

それ以外のゴミは 私が引き取りに行っていました。

毎日ペットボトルのお茶や飲料を飲むし 生協さんの冷凍食品などを お弁当以外は食べていたので

プラスチック類のゴミは 多かったので 取りに行かないとあっという間に溜まりました。

(ゴミの整理もヘルパーさんのお仕事にしてもらってた)

 

兄は 庭の手入れや ここ数年間で 溜まったモノたちを片付けることを中心にしてくれていて

兄がゴミとして お勝手裏に整理してくれたら 私が引き取りに行くというルーティーンでした。

 

父のものについては 母は 割合早い時期に 片付けてほしいと言い出しました。

ヘルパーさんをはじめ たくさんの人が出入りするので 父の寝具や衣類がそのままになっていることが

恥ずかしいので綺麗にして欲しいとのことでした。

 

父のものを片付けるのが 一番ハードルが高いと思っていたので

これはありがたかったです。

 

相変わらず 母の介護関係の施設の方々からとの連絡は多く

小さなことが 毎週のように起きるので 行かない日でも 母と関わらないことはありませんでした。

 

父の口座がなくなるので すべての介護事業所との口座振替のやり直しをしたり
連絡先の変更など たくさんの書類を書かなくてはなりませんでした。

 

さらに 水光熱費、NHK、ケーブルテレビ、ネット、クレジットカード、税金などなど

あらゆるものの口座振替の変更手続き

契約番号なども なにもわからないので 調べることからスタートして 

問い合わせして 用紙を送ってもらって変更してと やってもやっても終わらない感じでした。

ノートに書きだして やっていきましたが 想定していなかったものが出てきたりもしました。

 

その中には もうすでに破棄してしまったパソコンのセキュリティソフトが自動更新されていたことが発覚して

何年もムダに払っていたこともわかりました。

 

父のカードと口座がストップしたら そういうものも どんどん表に出てきました。

 

 

母名義のクレジットカードも 家族カードがなくなると 一緒に終了してしまうので

ネットで買い物して送るときにカードがあると便利なので

唯一の母が作ったカードのAEONカードを残しておきたかったのですが

それがどこにあるかわからないので 再発行の手続きもしました。

 

【介護プチ情報】

高齢の親御さんがおられて もしお母様が家族カードしか持っていないと

お父様亡きあと クレジットカードが無くなるので 要注意です。

買い物を頼まれても行けない時は ネットで買って送るというのが便利ですし

コロナのおかげで 置き配が一般化して 受け取る手間も少なくなったので

子供が親の名義のアカウントを作って 親のカードで決済して送るのは 良い方法でした。

(受け取りは ヘルパーさんが居るの午前中に置き配にしておくと 家に入れて整理してくれました)

高齢になってから新しくカードを作るのは難しいですし

早めにAEONカードなど 入会のハードルが低いカードをお母さん名義で作っておくのはお勧めですよ。

AEONのネットスーパーなら 少し買えば送料もないですし 食品からドラッグストア 衣料まであるので

遠距離で買い物を代わりにしてあげるのには重宝しました。

Amazonも同じく重宝しました。

Amazonは、私のアカウントでも 送り先毎に 支払情報を設定出来るので 実家宛は 親のカードを支払情報にして デフォルトを置き配にして父の生前から よく使ってました。私がお金を管理していましたが 私のカードを使うと 精算しないといけないし 兄にも見えないお金になりますので 親のお金は なるべく親の名義で利用するのが ストレスが少なくなります。



 

母が 健常者で まだ動けるときならば いろいろわかっていたはずで

ここまで大変ではなかったでしょうが

母の記憶が怪しく まだ一人で動くことも出来ないので 代わりにやるしかなく

これだけでも大変なのに

司法書士さんに 父の資産関係は丸投げしていなかったら

どうなっていたことかと思いました。

 

母の麻痺している方の脚には 金属製の装具をつけて 立ったり歩いたりを支えています。

それがないとトイレにも行けないのですが 硬いものなので

ずっとつけていると 当たっているところにタコや褥瘡が出来ます。

 

父の生前から あったことで、そのために フットケア専門の訪問看護師を週一回契約していました。

ただ 褥瘡が悪化した場合は 皮膚科の医師の処方がないと薬ももらえません。

 

何度かケアマネさんに介護タクシーを手配してもらい

父が皮膚科に連れて行ったようでしたが 曜日と時間が限定されていて 付き添いも必要で

父が居ない今 誰かが行くしかないのですが 私と母のスケジュールが平日で合うところがなく

ケアマネさんと看護師さんと連携を取り 予約を取り 兄が平日に連れていく。

そのあとは 投薬だけは 私が夜取りに行く そんな連携になりました。

 

夏が近づき ゴミの処理も長く放置しずらくなったので

ゴミを引き取りに行くのも回数が増え 母が起きる前や

仕事の後、夜中に 母には言わずに取りに行ったりもしていました。

 

三か月にまたがってはいけない四十九日も 5月末に決まり

公にはどこにも言ってませんでしたが いろんなところから父のことが伝わり

どこのだれか私にはわからない人からお供えも届きました。

母に聞いても 「わからないわ」ばかり

父方の田舎の親族からのお供え、母を案じての贈り物も 宅急便で届きます。

 

母が家に居るので 受け取れそうに思って送ってくださるのでしょうが

ほぼデイサービスで留守にしてることもありますし

もし在宅してインターフォンが鳴っても 出ることができません。

郵便受けに届く不在連絡票は 二日に1度のヘルパーさんが郵便受けから 持ってきてくれますが

それが届くと 不在連絡票が来たと母から電話があり

LINEでもしていたら 写真に撮って こちらから手続きも出来るのですが

それも出来ず。

結局 不在連絡票を受け取りに 行くことになり

私の家とは近いですが 宅配便のエリアが違うので 私のエリアに転送してもらってから

営業所に取りに行き またそれを実家に届ける。

お願いだから もう送ってこないでとも 思いました。


四十九日に向けての礼状や満中陰志の準備もや

法要の準備と手配 その後は 仏壇と納骨。

そこまでやったら一区切りだと 自分に言い聞かせて 奔走したものです。

 

 

母は そういうことを私がしていることを 理解できていないようなのも

しんどかった部分です。

 

兄は 地元に居ないので 細かいことや手続き等をする時間もないし 介護事業所とも私がコンタクトを取るしかなく

その代わり 帰省した時にまとめて 母が目に見える家の中のことをしてるので

母は 兄は自分の世話をしてくれていると思うようで 

それ以外の手続きがあるなどと 母には想像もできず

「自分は 毎日一人で頑張っている、お兄ちゃんは家の片付けてくれる 娘は週末に来てくれるだけ」と

そんな感じで  「お兄ちゃんありがとう」と言ってるのには 正直 腹が立ちました。

 

何かあると「すぐ来て頂戴」と電話してくるのは私で 

「すぐ来て 困るのよ」「持ってきて ないと困るのよ」とメールが来たら 行くしかなく

営業時間中に店を閉めて駆け付けたことも何度もありました。

行ってみたら 「いつでもよかったのに」と言われ キレて帰ってくるの繰り返しでした。

 

「あなたの知らないところで 私はあなたが生活できるようにいろいろやってます」と

言ってやりたいけど ぐっとこらえていました。

 

 

四十九日も無事終わり

6月になり 娘は安定期に入り 会社の同僚と食事に出掛け コロナを罹患してしまいました。

微熱が出ただけで 妊娠中期なので 胎児に影響もないことがわかり安堵しましたが

婿にも感染し 婿は 高熱が続いたりで 大変そうでした。

母のところに出入りするしかない私は 娘のために何もしてやれず

物資を送ってやるくらいで 申し訳なかったです。

 

 

母は母なりに 一生懸命頑張っていましたが

その綻びが 少しずつ出始めたのも 同じころでした。

 

その15に続きます。