家族に尽くした1年 その17 母の脚 | hachiのブログ…from time to time

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四十九日が終わり 次はお仏壇の手配と 納骨 初盆について考え始め

父から母への名義変更手続きや口座変更の書類が続々と来て

印鑑ばかりをついていた6月初旬のある日

 

生協のお弁当配達の配達員さんから電話が掛かってきました。

「今日 新しいお弁当を届けに行ったときに 保冷ボックスの中に 昨日の手つかずのお弁当がありましたが

 お母さん お身体どうかされましたか?」と。

 

生協のお弁当は 月~金の平日は 毎日作り立てのお弁当が15時頃に届けられていました。

その際に前日の空のお弁当箱を返却するのですが

デイサービスの日は 朝 玄関横に置いている保冷ボックスにお迎えの人が 空のお弁当箱を入れてくれることになっていました。

 

母が倒れた最初の頃は 土日も頼んでいたのですが

土日は 冷凍のが金曜に届けられるため 冷凍は美味しくないと父が断り

生協で注文してる 普通の冷凍食品(餃子やとんかつ 魚など)をチンして食べてました。

 

その日は平日でしたが たまたまデイサービスを休んでいて

脚のことで リハビリ病院に 介護タクシーで通院して戻ったため

お弁当を台所へ運ぶ人が居なくて 母も 週末と勘違いして 疑問にも思わず

冷蔵庫の中のもので 夕飯を済ましていたようでした。

 

生協さんの配達サービスは 高齢者の安否確認を兼ねているため すぐに連絡が来たので発覚しましたが

このことが 綻びに気付いた最初の出来事でした。

 

高次脳機能障害は 認知症とは違い

破損した脳の部分の機能が できなくなっていく感じで

母の場合は 曜日や日にちがわからなくなります。

 

そのため 毎日日めくりをめくらないと 今日がいつかは覚えておけませんし

予定もカレンダーを確認しないとわからなくなります。

 

介護事業所は どこも訪問前に電話が入りますし

私も 夜のメールで 明日のスケジュールを確認して伝えてました。

通院やワクチン接種などが入ると いつものスケジュールが変るので

何回も言わないと忘れてしまいます。

 

脳出血の直後は 高次脳機能障害だけでしたが

そこから年齢を重ねて それなりに物覚えも低下はしていましたし

特に 直近のことを忘れてしまいます。

面と向かって会話したことは 比較的残りますが

メールや電話で伝達したことは 残りにくいようでした。

 

あと 一人になってからは 常に緊張していて

忘れてはいけない ちゃんとしなくてはいけないと思うことで

不安が大きくなっていて いつもと違うことが起きると動揺することが増えてました。

今 こうして思い出しながら書いていると

私を悩ませた「私が困るのよ どうにかしてちょうだい」は だいたい不安なときに出てきていたなと気付きました。

 

その時は ただ一方的に自分が困ることを押し付けられていたように感じて その言葉は聞きたくない言葉になっていました。

 

 

母の脚の具合も だんだん悪くなってきていました。

装具の金具の接触による褥瘡がひどくなってきて 

薬を塗ってもなかなか治らなくなりました。

 

フットケア専門の訪問看護さん

ケアマネージャーさん

身体を見てくれる訪問看護さん

脚の装具を担当しているリハビリ病院のスタッフさん

それと母と兄で 話し合いの時間を持つことになりました。

 

皮膚の褥瘡が治らないので定期的な皮膚科への診察が必要なこと

褥瘡の根本原因でもある装具の見直しをするために

リハビリ病院への通院をすることになりました。

 

リハビリ病院は 母が入院していたこともあるし

現在でも訪問リハをしてくれている関係で

介護タクシーで 母が一人で通院しても 受け入れてくれること。

保険証と支払いは 後日私が仕事の後行くことで 了承してもらえましたが

皮膚科は 個人経営のクリニックで 誰か身内の方の付き添いしてもらわないと困るとのことで

定期的な通院は難しく 母の内科のかかりつけ医の方で 同じ処方薬を出してもらい

訪問看護師さんとフットケアの看護師さんで 当面は経過観察することになりました。

 

感覚のない方の脚ですが やはり傷があると 力が入れにくいようで

母の歩き方のバランスが悪くなり 今までなんなく歩いたところでも うまく歩けなくなってきていました。

 

 

同じ頃 母の靴(介護シューズ)が傷んできたので 新しいのを買って欲しいと連絡がありました。

装具をつける為 室内でも介護シューズを履いていて

外用と家の中用 ちょっとお出掛けする時用に デザインのあるものを持っていました。

サイズは 装具をつけている方が 長さも幅も大きいものでした。

 

今まで 父が注文していたので どこに頼むかわかりませんでした。

こういうときも母は

「全部お父さんがしていたから 私はわからないの。どうしたらいいの、困るのよ」でした。

 

ケアマネさんに連絡して聞いてみると 私の方で注文したことはありませんが

以前 デイサービスのKで 注文しているとお父様から聞いた気がします。と教えてもらったので

Kに聞いてみると「いつも注文いただいてますので頼んでおきますね」と請け負ってくれました。

 

このKは 私も一度挨拶に行ったことがあり 担当のスタッフさんも若いけどいい感じの人でした。

母は倒れる少しまで 市町村の介護相談員をしていた経歴があり

ある意味介護の専門家でもあったので そのスタッフさんは

「いつもお母さまからいろんなことを教えていただいていて 不自由なお身体になられてからも

本当に前向きで 尊敬しています」と言ってくれてました。

経営が大手の関係で 介護事業所の中で 唯一メールでの対応をしてくれるところで

私も連絡が取りやすいので 安心していました。

 

母の靴が左右違うことも分かっていてくれていて 前の注文と同じもので お母さまにも試してもらってから注文しますと言ってくださっていたため すべてをお任せしました。

 

外部に発注するため 先に入金しなくてはならず 発注書もメールに添付してあり

左右サイズが違うことを確認して入金しました。

1週間ほどして 靴が届き 母も喜んで新しいものに履き替えました。

今回新調したのは 家の中用のもので 履く時間が長いものでした。

 

数日後 母から 夜中にトイレに行く際に 転んでしまったけど 大丈夫だったと連絡がありました。

その時も 「気を付けてね、トイレに行くときは携帯を持っていって 困ったら 何時でも電話をくれたら行くからね」と話しましたが 転ぶこともある程度に考えていました。

 

それから2~3日後 「足が痛いの」とメールが来ました。

褥瘡のところかなと また看護師さんに診てもらうように 連絡しました。

 

帰っていた兄から連絡があり

「母さん 歩き方が どうもおかしいんや。痛いのもあるけど 重心がおかしくなって 脚が前に出せなくて

家の中でも立ち往生してるので おかしいと思って 靴を見たら 左右同じサイズやった。」と。

 

え?そんなはずない 確認したのにとメールの発注書を見たら

サイズは ちゃんと左右違うのですが ワイズ(幅)が左右一緒でした。

表記でいうと 左23.5(5)右24.5(7)で カッコ内がワイズなのですが そのワイズを見落としていました。

何度も注文しているところで 前のも見て 母にも試着もしてもらったと言われていたので

ちゃんとしてるはずという意識があり 見落とししていました。

 

装具よりも小さい靴で 足がしっかり入らず バランスを取れなくなったようでした。

 

兄がまだ捨ててなかった古い靴に履き替えさせると 

母も「楽になったわ」と

キツイと感じてはいたようですが 新しいからだと思っていたそうでした。

 

Kに連絡をして 状況を説明しました。

私も見落としたのだから スタッフさんを責める気はありませんでしたが

事実を報告して 正しいサイズを注文してもらうことにしました。

もちろん その新しいものの代金も払うつもりでした。

 

数日後 いろいろ調べた結果 スタッフさんのケアレスミスによるサイズの注文間違いであることがわかり

お母さまのように 靴がないと歩けない方であることを認識していたのに

絶対やってはいけないミスで 謝罪に行かせていただきたいと。

 

そこまでしていただく必要はないですとお断りしましたが

謝罪しないと私の気持ちが収まりません。と懇願されて 謝罪に来ていただきました。

 

その靴事件が引き金になったかのように

母の転倒が続き うまく歩けなくなり 給湯器事件のデイサービスの所長さんからも

「お母さま 最近足の具合が ものすごく悪いです。 デイに来られても 歩けないことが多く ほとんど車いすでお過ごしですし 送迎の際も 階段が登れず 抱きかかえて家の中のお連れしてます。足の筋肉の緊張が 僕が知ってる限り7年間で一番ひどい状態で いつ転んでもおかしくないので 家の中で車いすを使うことも検討されては?」と報告がありました。

 

母からは「最近 足がうまく使えず困っています。でもこれは私の中の恐怖心によるものだとわかっています。なので恐怖心に打ち勝たねばなりません」とメールが来ました。

 

たしかに麻痺になった最初の頃は 恐怖心が障害になっていたので リハビリを繰り返していくうちに それがなくなるとうまく使えるようになっていたと 理学療法士の方からも聞いていたので 母も今回使えなくなってる原因は 恐怖心だけだと思っているようでした。

 

 

その後も 母は 家の中で 転倒したり立ち往生することが増えていきました。

夜中にトイレに行こうとして ベッドから立ち上がれず2時間かかって立ち上がったとか

転んで 這って部屋に戻ったとか、トイレに行くことになったらどうしようと思うとよく眠れなくなったとか。

 

私も心配で片時も携帯が手放せなくなり 睡眠が浅くなっていきました。

また耳鳴りが 酷くなってきたのも この頃です。

 

そんなに心配なら 私が実家で寝起きしてやって ずっと面倒を見てやるべきではないかとの葛藤に苦しんだのも この頃からです。

結局、一緒に居ないので ずっと心配で いろんなところから電話が来て振り回されて 結局怒りながら駆けつける。

でも仕事もあるし 自分の体力にも全く自信がありませんでした。

母と暮らせば おそらくケンカ(私が怒る)ばかりだし 母と同じ部屋で寝る自信もありません。(同じ部屋で寝ないと意味がないので)

仕事は休めないし でもある意味仕事という逃げ場を持ってることが 私の精神安定剤でもありました。

 

介護経験者のお客様や 私を近くで見ているダンナは

「一緒に住んだら 多分倒れるから それだけはしない方がいい」とアドバイスをくれていて

特に 数年前にメニエールで倒れた私を心配してくれていました。

 

そんなある日あと数日で妊娠8か月になる娘から

「切迫早産と診断された。入院はしなくていいけど トイレ以外は横になるようにだって。

会社に連絡したけど 明日から 急遽産休に入ることになったわ」とLINEが来ました。

 

お盆前から有休消化して産休になるはずだった予定が 一か月以上繰り上げて

家で療養することになりました。

 

 

もう何が何だかわからない状況になりました。

 

その18家族に尽くした1年 その18 娘の出産準備とリハビリ入院 | hachiのブログ…from time to time (ameblo.jp)

に続きます。