湧flow -27ページ目

「観」と「眼」

ブログを立ち上げた時点では、こんなに次々といろんなテーマが出てくるとは思っていませんでした。予想外で自分でも驚いています。わさに湧いてくる感じ(^^;)(ジョジョビジョバー♪)。

文を書いていると、どの漢字を用いるか選択する機会がたびたび出てきます。仕事上では、修辞要項が定められているので、それに従いますが、個人的な文章は自分で選ぶことができるので、自分の感覚に最も近い文字はどれか…で、改めて感覚を見つめなおすことになります。
昨日の「眼」では、「みる」を「見る」にするか「観る」にするか、「め」は「目」にするか「眼」にするかで、少し悩みました。結局は、何も調べずに感覚で選んだのですが、今日はふと気になって、漢和辞典で調べてみました。

まず、「みる」。「見る」という行為は、外界と接触する第一の器官である目を用いて、相手と精神的な交渉を持つことを意味するのだとか。また、「観る」は、こうのとりを用いて神意を占うこと、「みきわめる」「くわしくみる」ことの意味。感覚で選んでましたが、自分が表現したいことに近くてよかった(^.^)。
次に「め」。「目」は文字通り目の形を表し、「眼」は、邪悪なものが神聖な場所に入らないようにするための目なんだそうです。つまりは、呪術的な力のある目。こちらもgood choice(^.^)。

調べたことによって、自分の感覚を再認識できて、「そうそう、こんな感じ(漢字?)」と、なんだかすっきりニコニコ

「わかりません」で書いた「好き嫌い」というアートの味わい方とは別のベクトルのアートとの関わり方もあります。
あまりぴったりではないような気もしますが、あえて言葉にしてみると、「好き嫌い」に対して「高い低い」という大きさの基準を持ち、その大きさを判断する方法としては、「心眼で観る」かなぁ…。

「好き嫌い」が個としての、アートとの関わり方であるならば、こちらは多くの人がもつ共通の感覚で観るということになります。「観る眼があるなし」というのも、おそらくこれ。
「好き嫌い」のベクトルが、大きさも向きも、個々人で全て異なっているのに対して、この「高い低い」のベクトルは、限りなく一つに近いところにあります。というか、理想の「高い低い」があって、全てはこれを目指しているという関係。
「好き嫌い」が「高い低い」に近いほど、おそらく作品と向き合ったときの感じ方を多くの人と共有できるということなのかもしれません。

理想の「高い低い」に近い眼を持つにはどうすればよいのか?
この「高い低い」感覚が、多くの人に共通で普遍的なものだとすると、おそらく誰しもどこかにこの眼になり得る因子を持っていて、最初からそれが作用している人もいれば、眠っている人もいるのかもしれません。
よく、質屋さんが跡取りを育てるのに、幼い頃から本物しか観せないで育てるとか、毎日お札を扱っている銀行の方が、手触りだけで偽札がわかるようになるという話から推測すると、普遍的な観方ができる眼は、とにかく「高い」作品(=本物)をたくさん観ていると養われる、ということでしょうか(個人差はあるでしょうが(^^;))。

「本物、質の高い作品」と言われるものをできるだけ多く観てみると、自分のセンサの精度が上がり、いつのまにか「目利き」になっているかもしれません。多くの人集めて、データとって検証してみたいテーマです流れ星

わかりません

「わかりません」
この言葉はいろんな意味で使われます。
  ・文字通り、言葉や文章の意味が理解できない場合
  ・言葉や文章の意味は理解できてるけど、意図が理解できない場合
  ・意図は理解できてるけど、同意または共感できない場合
などなど…。
個展に来てくださった何人かの方が「私は絵はよくわかりませんが、こんな風に感じました」と感想を述べてくださいました。この場合の「わかりません」は、おそらく
  ・絵に関する知識がない
  ・審美眼に自信がない
「わかること」を目的とする絵は、本来本の中の図などのイラストの範囲だと思うので、アートとしての作品は、観る人が自由に「感じること」ができれば、それでいいのだと思います。
「感じること」ができなければ、それが巨匠が描いた高価な作品でも、その人にとっては意味のないもの。これは逆も言えて、どんな名のない人や子どもの作品でも、観た人が感動すれば、その人にとっては、非常に大きな意味のあるもの。

「わかりません」が、「何も感じません」の意味で用いられる場合もあるでしょう。それはそれでもよいのですが、そんな方は、せっかくだったら少しは感じてみませんか?それは、必ずしも「きれい」「心地良い」という感情でなくてもいいと思います。
まずは、自分に「好き」か「きらい」かを問うてみる。
「どちらでもない」でも、無理矢理好きか嫌いかに分類してみる。分けたら、さらにどんな風に好きなのか、どんな風にきらいなのかを自分に問うてみる…。
「好き」「嫌い」は、非常にシンプルでデジタルな分け方ですが、デジタルも非常に細かくわけ続けていくと、限りなくアナログに近づきます。
作品を前にしたとき、作品の中に価値を捜すのではなく、自分がどう感じているかをなぞってみる。これもアート作品の楽しみ方、味わい方の一つだと思いますヒツジ

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あぁ、そうか!

あぁ、そうかっ!と思う瞬間があります。
しばらく時間をかけて、考えたり悩んだりしていたことが、ぽっと抜ける感覚。今日も一つ体験しました。

学生時代、アートとデザインにおけるコミュニケーションの違いとは…などと生意気に考えたり、議論したりしたことがあります。結局、「これだ」という明確な結論は出せなかったのですが、その時のことを、先日読んだ「ブーバーに学ぶ」の「我-汝」「我-それ」にあてはめて考えてみました。

「デザイン」は、もちろんデザイナー自身の美的感覚により行われますが、最終的には購入して、使用してもらうことが目的であるため、お金を出す人のニーズを想定して、その人たちが満足するような形や色、材料・質感などを決めて作り出されます。つまり、「もの」が形作られる最初の時点から、「機能」を切り離せず、また「伝わり方」に「売れて欲しい。受けてほしい」という大きな期待感が存在します。
これはどちらかというと、「我-それ」の関係(の要素が多いんじゃないかな?)。ビジネスの世界は、「我-それ」じゃないと関係が成り立たないことの方が多いし、「売れない」デザインは、やはりデザインとしては成功してないと思うので、これはこれでOK(私的にはですが(^^;))。

一方、「アート」は、自分の内面や感覚や感情、自分と表現しようとする対象物との関係を形にしようとするものですから、いったん形にして、それを展示するところでいったん簡潔する行為だと思います。そこに、観る人に対する「媚び」(媚びは上下関係を作ると思う)が入ると、それは数値化できない感覚で作品の上に表れます(と私は思う)。(ただし、商業的な目的をもって描く絵は、イラストレーションといい、描き手が観る人を想定して媚びる上記のものとはまた別)
つまり、「アート」は、つくる段階で自分と自分、自分と対象物との間で「我-汝」の関係が成り立ち、また展示する段階で「我-汝」が成り立つものなのではないか…。
これらの、「我-それ」、「我-汝」ともに、完璧にそれのみの状況は、おそらくありえないと思うので、どっちの要素が強いかで、要はバランスの問題かもしれません
これが、今日の「あぁ、そうか!」です。単に私の「こうであってほしいなぁ」という好みの問題かもしれませんが(^^;)…。

「コミュニケーション」というのは、私にとってオープンエンドなもののようです。考えても、行動しても、飽きることがない。
今、新たに頭の中で回り始めて気になっているのは、「伝わる」「伝える」と「通じる」の違いは何か…ということ。これからしばらく、ぐるぐる考えるのを楽しんでみます天使

Newtonの林檎

小石川植物園では、メンデルの葡萄とニュートンの林檎が肩を並べています。
ニュートンの林檎の樹を見上げていたら、引力に従って落ちるには、まだまだ時間がかかりそうな青くて小さい実が…。
なんだか、嬉しくなった一瞬(^.^)。
























































































































































伝わらなさ

「ブーバーに学ぶ」を読み終えました。
ふー………。涙を流して、天井見つめて、何かが胸の所に残っている感じ。今は、言葉になりません。
さっき、amazonでブーバー自身の著作「我と汝」(岩波文庫)を注文しました。

今朝の新聞で「伝わらなさを実感することはとても大事だ。」という一文をみつけて、心に引っかかりました。
自分にとって都合の良い反応を期待して「伝わらない」と「なんなのよ」とか「わかってないなぁ」とか、ついつい相手を非難する方向にいってしまうので(^^;)、「大事」とはなかなか思えないのが、私の実状。道は遠いですね。
ただ、このような人間関係のコミュニケーションってオープンエンドだと思うので、脳にはいい刺激なのかもしれません。

いっぱい活字と取り組んだので、少し何にも考えずにリセットしようかな黄色い花

Weak point

「英会話やりだしたの」というと、私の身近な人たちは「またぁ?」と同じような反応を示します。
海外旅行から帰ってきては「よし、今度こそ!」と英会話スクールに足を運び、最初は結構楽しめるのですが、3ヶ月もすると、「先生が変わって面白くない」とか「テキストがつまらない」とか、いろんな言い訳をしながら、いつのまにかやめる…というのを、何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返してきたからです(^^;)。

もともと、高校での転校を機に英語嫌いが始まり、大学に入ってからは、ますますやらなくなり、これまで、できるかぎり英語に触れずに過ごしてきました。私にとって英語は最大の弱点。思いっきりコンプレックスもってます(;_;)。

そして、今回の挑戦のきっかけは昨年の5月。2008年に個展をやることになっているRBRで、彫塑のワークショップを受けたことから始まりました。
ロシア人の先生のSteveのクラスの進め方が受け入れられず、最初の段階で意思表示せずに我慢をしたため、「一人でやるから、アドバイスはいらない!」と、途中で切れてしまったんですね…(__;)ハズカシ。(昨日のアサーションに通じるものがあるなぁ)
最後に通訳してもらって、Steveとは仲直りしたのですが、「これは、やっぱりよろしくない」と思い、数ヶ月後に英会話スクールへ。

今回は、最長記録です。もう7ヶ月も通ってます。ただし、進歩のほどが…(^^;)。
RBRは英語が公用語のようなところ。日本語でしかコミュニケーションできない私は、少数派のマイノリティーです。2008年の個展までには、もうちょっとなんとかしなくては。
アサーションも英会話も、あきらめず地道なトレーニング(一番苦手)が必要のようですカメ

アサーション

アサーション(assertion)。主張とか断言という意味だそうです。

「断りたいのに断れない、言いたいんだけど相手の意向とは違うので言えない…という状況で、率直に自分が考えていること、思っていること、感じていることをアサーティブに表現して、本当にわかりあえる関係をつくりましょう。」という考え方を、最近教えてもらいました。
仕事も経験を積んで、自分の言いたいことが多少は表現できるようになり(でも職場の人は迷惑してるかも(^^;))、身近な人とも、ぶつかりながらも、正直にむきあえるようになり、多少図々しく生きられるようになった今では、あまり関係のないことかなぁ…と思いながら聞いていました。

そんな私にも、ごく最近、このアサーティブな表現の仕方で悩む機会が訪れました。たぶん、新しい環境や、十分には知らない人との出会いによって、このような状況は生まれやすいのではないかと思います。

「たのむから察してほしいなぁ」と思いつつ、それがかなわないため、思い切って行ってみたアサーティブな表現。でも、どこかぎこちなくて、ストレートさに欠けていて、かつ若干感情的…。一番肝心なことを話題にすることもできず…。要は、うまくいきませんでした(^^;)。
でも、行動してみて「自分がどう思っているか、どういう考えのもとに生きてきたのか」がわかりました。また,今まで私の周りにいた人たちとの「言葉を交わさずにわかりあっていた情報の多さと深さ」に気づきました。
話さなくてもOKというのは,おそらく会話や態度によるコミュニケーションの積み重ねで「あぁ,こういう考え方,好みの人なのね」という判断が,お互いにできていてるから可能なんでしょうね。


思い切った決断による発言に、「そうか、そう思ってたんだねぇ」なんて相手はすんなり納得してくれませんでしたし、たぶん修復する機会も今後はないでしょうが、得るものは大きかったと思います。
今回の一歩は痛い経験でしたが、あまりおたがいを知らない場合や,考え方が違うなぁと思う相手とのコミュニケーションも場数を踏んで、お互いOKの結果を出せるようになるといいなと思います。
手を挙げて、広く多くの人に関わるつもりであれば、なおのこと。相手も自分も大事にするアサーション大事ですね
かお

紫の…