湧flow -6ページ目

感性の凝りには…

   アートを体験すること
   それは感性のマッサージ

元日の朝日22面には、東京都現代美術館キュレーターの長谷川祐子さんのインタビュー記事が掲載されており、
その中に、こんな小見出しがありました。
ご本人の言葉じゃなくて、この記事のライターさんがつけたもんだと思うので
長谷川さんご自身は苦笑いかもしれません(^_^;)。

昨年までの五年間、個展を開くことを目標に突っ走ってきましたが、
今年は、制作を楽しもうと思っています。
駆け抜けてみると、
いつのまにか
   自分の描くものに納得できなくて苦しい
からは、ちょっとだけ抜けたような気がします。
なんとなく、これからは辛さも含めて楽しむこともできるような気がしてます(^-^)。

今年の私のアート体験=感性のエクササイズは、
   楽しみながら描くこと
そして、常に念頭においておきたいのは
   バランス
感性と論理、心と身体、仕事とオフ
できるだけ振れ幅は大きい方が面白いから、両極全開でいこう!
周りにご迷惑かけない程度に…(;^_^A。

今年もよろしくお願いいたしますてんびん座


Resolution

身体が自然に動くような音楽といえば、やっぱラテンでしょうo(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o~♪。
「年賀状刷り歌」に選んだラテン音楽をiPodで聴きながら、
なんとか、木版4版による約150枚(4×150=600刷り(ノ゚ο゚)ノ)刷り上げ完了。

昨日は、マイブームのZUMBA(ラテン音楽のダンスエクササイズ。熱いです!)の今年最後のクラスだったので、
年賀状づくりの合間に、1時間半しっかり踊りまくって身体もほぐし、
筋肉痛も大したことなく乗り切りました。

半数ほどに一言添えてポストに入れて、
今年最後の英語のレッスンを受けにAngelaのところへ。

9月からTemple大学日本校のクラスも受講していたので、
これまでAngelaのレッスンは月に1~2回くらいでした。

彼女は非常に勘がよく賢いので、
私のいい加減な表現でもきちんと拾ってくれるのが長所でもあり、短所でもありますが、
来年は、個人レッスン一本でいこうかと思っています。
英会話学校では、お気に入りの先生の予約を毎回取るのは至難の業でしたが、
1対1でお願いしたレッスンなので、お互いの都合で決められるのが嬉しいo(^-^)o!

最初フリーカンバセーションして、
私がひっかかった表現などを拾って指摘してくれたり、他の表現を教えてくれ、
次に準備してくれている教材でレッスンを進めるのがいつものパターンです。
今日のお題は「New Year」が中心。
質問事項が書かれた何枚かのカードをトランプのババ抜きのように引き、
引いたカードにはこんな質問がありました。

What is your New Year's resolution?

アメリカでは、皆その年の最後に年初めの抱負(resolution)を振り返り、
新たな年の抱負を語りあうのだそうです。
最もポピュラーなのが、ダイエットなんだとか。

まだ、来年の抱負にまで想いが及んでいなかったのですが、急遽いくつかあげてみました。
1) I'm going to learn a kind of traditional Japanese painting "NIHONGA".
2) I intend to continue going to exercise twice a week.
3) I want to finish some wrinting works.

1)はすでに申し込みしてあるのですが、1月から日本画の勉強を始めます。
2)は、体調維持とストレス解消のため、できるだけ週二日フィットネスクラブに通うようにしているのを継続すること。
3)は、いくつか書きっぱなしにしている文章を仕上げようかな…と。

そして、「日本の伝統的なお正月の慣習や行事をあげよ」というカードが出たので、
できたての年賀状に「Happy Holidays!」と書いたものをプレゼント。
Angelaも「クリスマス時期のカードしか配ったことがないけど、今年はお正月用に年賀状を準備した」
とのことで、カードの交換になりました。
年賀状を買いにお店に行ったら、牛の絵ばかりで
「日本人は、なんでこんなに牛が好きなんだ?」と思ったという話には爆笑(≧▽≦)。

前回のレッスンの話題ですが、最近アメリカでは「メリークリスマス」って言わなくなったそうです。
ブッシュ大統領が「Merry Chirismas!」じゃなく「Happy Holidays!」と言おうと呼びかけたのがきっかけなんだとか。
「9.11の関係?」に、
Angela曰く
「皆が皆クリスチャンではないから」。
たしかに、今年L,L.BeanやYousenditからきたメールのタイトルは「Happy Holidays!」でした。
表立った掲示や広告に
「Merry Chiristmas!」
が残るのは、元々宗教関係なくクリスマスを年中行事にしてしまった日本だけになるのでしょうか…。

さて、今年も残すところあと40時間半。
来年の抱負は、もうお考えですか?
よいお年を時計


印刷マシン

また年賀状の季節が巡ってきた…
さて今年はどうしよう。

   年賀状の100枚くらいすぐだよ。
 以前、木版の先生が言ってらしたこの言葉。
    ふーん、そんなもんかぁ…( ゜∋゜)
と聞いたのを思い出し、木版でやってみようと決めました。

デザインを練ること二週間。
版木を彫って、色を変えて、気に入らなくてもう一版。
今日は一日年賀状づくりに当てているのに、
なかなか腰が上がりません。
昼近くなってようやくとりかかりました。
    100枚くらい…
    すぐなわけないじゃんΣ(・ω・ノ)ノ!!
ひたすら繰り返す刷りの作業に疲れ、後悔しましたが引き返すわけにはいきません。
三時すぎて、ようやく一版目が終了。

あぁー疲れた、おやつタイム。
充分休んで、二版目にとりかかります。

昔の労働者は、ひたすら同じ動作を繰り返す労働の時に歌なんか歌ったようですが、
数をこなす単純作業にはリズムが必要だって、よくわかりました。
さしずめ、今必要なのは「年賀状刷り歌」でしょうか。
頑張れ、わたし、
もう一息だ、
第二版目は…。

さきほど、今朝チェックしておいたジュリー祭りのTVを観て、
これから同じ姿勢の継続で痛くなった腰をさすりながら、第三版目の刷りに向かいます。

たぶん、元旦には届きません。

あらかじめお伝えしておきますねカメ


てんつくピーヒャラ

私と舞台の間に他の観客の背中はなく、
 数歩踏み出せば、確実に手が届きそうな役者までの距離は、わずか2~3m。
 目の前でダイナミックにストーリーが展開され、同じ時間と空気を共有しているという
 舞台でなければ味わえない醍醐味を、ぞんぶんに味わってきました。

数々の賞を受賞してきた
 こまつ座公演『太鼓たたいて笛ふいて』
 は、今回が再々演なのだそうです。

ずいぶん前にチケットを入手したので、席も確認していなかったのですが、
会場に着いて座席番号を見ながら席を探すと、なんと一番前の中央あたり。
 こまつ座の作品には、音楽を生の楽器でやるものがいくつかありますが、
 今回は最前列の中数席を抜いて、ピアノが設置されています。

開演時間、ピアニストが出てきました。
   近っ! まさに隣です。
 と思う間に幕が開き、登場人物全員が登場。
   わぁ、どうしよう! 大竹しのぶさんが…、
   こんなにも、こんなにも近い! 

舞台全体を見渡すのには不向きですが、
   表情の変化、 こめかみを流れる汗、 そして ダイレクトに伝わってくる声
 この迫力は、この席でなければ味わえないものだと実感しました。

「放浪記」で名を馳せ、
 戦争を鼓舞する小説を書き、
 従軍記者として東南アジアの最前線に赴き、
 戦争の陰と背景を直に味わい、
帰国後、反戦をテーマにした小説を書いた林芙美子の半生がこの作品のテーマです。

大竹しのぶさん演じる芙美子は、
  率直すぎるほどの強烈なキャラクターの内に、
  人としてのやさしさや純粋さを感じさせる女性
でした。
主役が素晴らしいのはもちろん、
 こまつ座作品のすごいところは、出てくるすべての役柄の魅力的なこと。
井上ひさしさんの脚本、そして演出、役者さん
それらが生み出す珠玉の作品を観た後は、毎回大きな満足感を得て劇場を出ることができます。

井上ひさしさんの作品には、反戦平和のメッセージが込められていますが、
それが薄っぺらにならないのは、
 反対勢力側も含む人間や物事の多面性が、
ユーモアも交えながらきちんと描かれていること。
時々、その一言に万感の想いがこもっているセリフに出会い、
ずんっと胸に響きます。

このぼーっとした幸せな感じ、
しばらくは浸っていられそう…演劇




無双格子とミノタウロス

いやぁ、あんなに混んでるなんて驚きです。
ピカソ展。

昨日は会社の創立記念日で休みだったので、
かねてから、終了前にウィークデーに行こうと思っていたピカソ展に行ってきました。
国立新美術館とサントリー美術館の二館同時開催という異例の企画なだけに、
頑張ってハシゴしようかとも思ったのですが、
なんだかんだ用足ししているうちに時計は二時を回っています。

もし一館だけ見るなら、まだ行っていない隈研吾さん設計のサントリー美術館だということで
とりあえず六本木へ。

ミッドタウンの三階美術館入り口に着きました。
えっ? チケット売り場に長い列!?
比率としては、50~60代の女性が一番多かったでしょうか。
何人かで連れ立っていらしているグループの方々が目立ちました。
これが週末なら不思議はないのですが…、
予想外の状況にすっかり意気が落ちてしまった私。

荷物をロッカーに預け、順路は4階がスタートだと案内され、
ノロノロとエレベーターに乗り込みました。

頭と肩越しに作品をちら見し、ため息をつきながら
  ねぇ、100号近くある作品をそんなにくっついて観てもわかんなくね?
と絵の前にへばりついている人の背中に心の中で語りかけます。

3階の会場に降りる木製の階段で、ようやく、ほっとすることができました。
隈研吾さんらしいデザインです。
吹き抜けになった部屋は、3階4階分の窓側には縦に長いルーバーのようなものが設置されており、
隙間から外の光がちらちら見えて美しい。
無双格子というんだそうです。

階段を下りたところの3階スペースは、上階に比べると人の密度が低く、
このあたりに展示してある闘牛や、牛頭人身の怪物であるミノタウロスの作品がいい!
原初的な力や性の象徴としての牛やミノタウロスが、
美しい色彩と繊細なタッチで描かれたものでした。

ようやく、満足できる作品と向き合えて、
先ほど充分に観ることのできなかった4階スタート地点に戻ると、
ちょっとだけ人が少なくなっていて、
観たい作品の全体像を確認する事ができました。

再び階下で、もう一度観ておきたい作品の前に立って思ったのは、
ピカソのすごさの一つは、その変化にあるということ。

先日観たハンマースホイやワイエスの作品が放つ
水の上に静かに広がっていく波紋のような繊細な波とは対極にある
大きくうねる波を感じる展覧会でした波




己の置きどころ

ワイエスを観ました。

前回のBunkamuraでの展覧会はせいぜい7~8年前だと思っていたら、
実は13年も前の事だと知り、時間感覚の変化と歳を重ねた事を認識した次第∑(-x-;)。
ワイエスも91歳だそうで、館内で流れていたインタビュー映像を見て、
その矍鑠たる様子に敬服しました。

今回の特徴は、最終作品に至るまでのスケッチやエスキスなどが展示してあること。
ワイエスの作品は、細密に描き込まれ、その完成度の高さも絵の品を構成する一つの要素ですが、
まだラフなスケッチやエスキスには、画家本人の感情やこだわりもちらちら見え、
最終的な作品との比較は、とても興味深いものでした。

また、福島美術館所蔵の作品には、懐かしさを覚えました。
これらの作品に会ったのは数年前、福島に出張した時のこと。
帰りの電車までに少し時間が取れたので大急ぎで美術館に立ち寄り、
入り口でワイエス作品の展示場所を聞くと、他の展示には脇目も振らず、
まっすぐ作品をめざし、許される時間を作品と向き合って過ごしました。

特に印象に残ったのは、入り口近くの自画像脇の説明書き。
  I wish I could paint without me existing
  ------that just my hand were there.
  できることなら私は自分の存在を消してしまって絵を描きたい。
  ---あるのは私の手だけ、という具合に。
また、図録にあった次の言葉。
「森の中や、野を一人で散策する時、私は自分の事をすっかり忘れてしまう。…」


いつの間にか自然に融け、自分がなくなってしまったような感覚。
それは喪失感ではなく、むしろ静かに満ち足りたようなもの。
私もほんの少しだけ、学生時代に行った白馬での風景画実習で感じたことがあります。
ワイエスは、己を自然の中に解き放ち、融け込ませ、
ずっとずっと描き続けてきたのかもしれません霧







見たい気持ち

「わの会」会誌用に
「応為栄女の筆の跡」と題した4頁ほどの文章を仕上げました。

頁制限があるので,書きたいことを絞り込んで詰め込む形になりましたが,
最後の項は「名入れ」で締めくくり。

応為の落款には
「応為栄女筆」
「応為酔女筆」
の2種類があり、判も1種類ではなさそうです。
また,先日世田谷技術館で観た「吉原格子先の図」は隠し落款になっており,
遊女を選ぶ客の提灯に,一字ずつ
「応」「為」「栄」
が書き込まれています。

「夜桜美人図」に関しては,全体に黒が基調の図なので,落款が見当たりません。
ただし,この絵は「無冠」ではなく,応為の作とはっきりされているということは,
どこかに証拠があるはずです。
パソコンで拡大して,どこかに隠れていないか探しましたが,ついに断念。
悔しい(-""-;)!
応為の絵じゃないかと言われてる「蚊帳美人図」は,無冠です。

これらを考えても,応為は描くことには熱意があったけれど,
名前を表に出すことには,あまり興味がなかったようです。
要は「見せたい気持ち」があまりなかった。
モノが非常に魅力的なのに,つくった人があまり見せることに意欲的でないと…,
  見たくなります(^▽^;)!

「応為栄女の筆の跡」では,応為の肉筆浮世絵と,
挿絵である「女重宝記」の共通点を抜き出し、並べてみるということを試みました。
着物の柄まで同じものがあり,制作年の近さを感じさせます。
応為独自の名前の作品は,北斎が亡くなるまでの三年くらいに集中しているようです。

頁の都合でできませんでしたが,応為名では描かなかった作品を探すため,
「北斎」の落款がある作品の中で、応為っぽいものを選び、
女重宝記や肉筆画と比較してみるのが,次の課題。

「見たい気持ち」に翻弄されるのも,また,楽しニコニコ


ハンマースホイ

「ハンマースホイを観ましたか?」
…???はんまぁすほい???(@_@)…
あっ,あの…
「さっきも堀さんとお話ししてたんですが,ぜひ観たいと思っているんです」

先日,川崎光草子さんという方の個展のオープニングパーティで
初めてお目にかかってご挨拶させていただいた歴史学者の先生の第一声は,
国立西洋美術館で開催されている
「ヴィルヘルム・ハンマースホイを観たか」
というものでした。
今秋は,見逃せない企画展が目白押しで、
電車内のポスターを見て気になっていたのが,この「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」。

なんだかんだバタバタしていて,風邪もひいたりして
なかなか足を運べませんでしたが,
ようやく金曜の夜行ってきましたo(^-^)o。

ポスターで印象に残った作品は、
白っぽい壁の前に立つ黒いワンピースを着た女の人の後ろ姿
「背を向けた若い女性のいる室内」

どきどきしながら展示室への階段を降りると,
18:00から向かいの講義室でスライドを用いた講義が行われるという張り紙が目に入ります。
本来なら作品を直に見てから,説明を聞きたいところですが,
せっかくなので,講義を聴くことにしました。

19世紀末に,ヨーロッパで活躍したデンマークの作家ヴィルヘルム・ハンマースホイは,
20世紀に入って,一時期世間から忘れられていましたが,
今,再び脚光を浴び,日本に紹介されるのは今回が初めてなのだとか。
建築物の外観、室内,人物,風景
どの作品からも感じられるのは「静寂」。
講師の方は「深い精神性」と表現されていました。

講義が終わり、ようやく展示室に。
まずは,スライドでも見た
最初に画壇に発表されたという妹アナの肖像画の前に立ちます。
静けさと品に満ちた秀作です。

100点近い作品が並ぶ中,
一角には,ヴィルヘルム・ハンマースホイと同時代に活躍したデンマーク室内画派の作品が展示されていました。
構図やモチーフは,確かにハンマースホイの作品と同じような作品です。
でも,何かが違う。
作品を人柄に例えるならば,これらの作品は,いろんなところに気のまわる愛想のいい普通の人。
一方,ハンマースホイの作品は,自分の興味関心以外は目に入らない
よく言えば,一点集中型の洞察力の持ち主。
別の表現をするなら,ひたすら内向する自閉的な人。
アート作品というのは,偏りやある種の毒気が魅力につながっていると思いますが,
ハンマースホイ作品の魅力は,この自閉性にあると見ました。
この他を寄せ付けない感じが,一時期忘れられていた要因かもしれません。

静寂さを感じさせる作家であるアンドリュー・ワイエス展も渋谷で開催されたようで、
こちらも,今秋はずせない展覧会の一つです。
同じ静寂でも,以前観たワイエス作品には,ハンマースホイよりも解放された静けさがありました。

あと,絶対見逃せないのがピカソ展。
これは,どこかで一日休みを取って,
ウィークデーに行かなくちゃ,充分に味わえないんじゃないかと思ってます。
何かと気ぜわしい,芸術の秋アート



核心の気配

向こうから情報が飛び込んでくるような,不思議な感覚。

恐らくは「知りたい!」という自分の強い想いが呼び寄せているのでしょうが,
まるで逆転しているかのように,どんどん葛飾応為(お栄)の資料が集まってきて,
今、そんな錯覚すら覚えています。

まずは

  江戸期の女性向けマナー本「女重宝記」(高井蘭山編,応為栄女画)

大学の附属図書館で2件ほど持っているのがわかったのですが,
もう少し踏み込んで探していると10年ほど前に復刻版を出した出版社があり,
ちょっとためらう額でしたが,GET。
お栄版北斎漫画という感じで,研究のしがいのある逸品です。

  江戸の閨秀画家(板橋区立美術館編)

先日「北斎のDNA展」で買った図録の説明に「参考文献:『江戸の閨秀画家』」とあるのを見て,
バックナンバーを所望したところ,品切れ(;_;)。
ネットで探したら,古本で扱っているところがあって,これも則入手。

  大谷コレクション肉筆浮世絵 図録(ニューオータニ美術館)

ニューオータニ美術館が,
無款ですが「応為の作品では…」と言われている作品を持っていることを知り、
図録を見て、「違いない」と私的に確信したので,これも入手。

きわめつけは

  葛飾北斎伝(飯島虚心著,鈴木重三校注,岩波文庫)

これを真っ先に読むべきでした。
杉浦日向子さんの「百日紅」は,かなりこの本を参考にされているようです。
北斎(鉄蔵)が応為(お栄)を「アゴ」と呼んでいたことが記され、
お栄は,
「奇女」
「みにくい,あごが出ていた」
「女仙人になりたかった」
「任侠の風を好み,気性が男っぽかった」
などと,風貌や振る舞いについては散々な書かれようですがσ(^_^;),
一方,どんな絵を描いたかとか,
北斎が「美人画の腕は自分より上」と評していた(ノ゚ο゚)ノ
などと,制作に関する記載もあります。

さて,材料がそろったところで,これからが腕のふるいどころ。
まずは「わの会」会報の次回のお題「女流作家」に投稿する文章としてまとめます。
乞うご期待メモ



北斎のDNA

お栄ちゃんに会えるo(^▽^)o!!

先週のNHK日曜美術館を見ていたら,板橋区立美術館で「北斎のDNA展」開催中で
北斎の娘お栄,葛飾応為の作品も展示されているというではありませんか!
もう,いても立ってもいられない気持ちで,今日板橋まで行ってきました。

応為の作品に初めて会ったのは,二年前の江戸東京博物館で行われた
ボストン美術館所蔵作品展「江戸の誘惑」の会場。
休日に行ったために非常に混雑しており,
人ごみに辟易して順を追って観ていく気になれず,
人の頭越しに,なんとなく眺めて,
「これは」と思う作品だけ近くに寄っていくという観方をしたところ,
ほとんどが北斎の作品でした。

楽器を演奏する三人の女性が描かれた作品が気になったので
これも北斎かなぁと寄ると,
「三曲合奏図」
作者の名前を見ると
「葛飾応為」
えっ,北斎じゃない?これだけ描ける画家なのに,今まで知らなかったなんて…。
脇の説明を読むと,北斎の娘で北斎の助手を務めていたとあります。
改めて,その絵に向き合うと
構図,デッサン力,色彩,すべて素晴らしく,
何より,女性が奏でる音が聞こえてきそうな躍動感。

その時から,すっかり葛飾応為に魅了され,
北斎(鐵蔵)と応為(お栄)を題材にした杉浦日向子さんの「百日紅」も何度となく読み,
北斎の作品を見ると,
「もしかしたら応為の代筆かも…」と,
まずは疑ってみるようになりました。

北斎の絵の背景を描いたり,時には代筆を請け負うことなども応為の役割で,
独立した作家として描いたとわかる明確なものは希少です。
これを逃すと,
またいつ本物を観るチャンスが巡ってくるかわからない。
逸る気持ちを抑えながら,展覧会会場に足を踏み入れ,まずは作品を探します。
ありました。
「吉原格子先の図」
A4程度の思いのほか小さい作品で,
この時期の他の浮世絵にほとんど取り入れられていなかった明暗の表現を巧みに用いて描かれています。
吉原の顔見せの格子から漏れる灯りの光と,遊女を選ぶ客の後ろ姿の逆光になった影。
会場内でひと際異彩を放つこの作品の前には,そこだけ人だかりが絶えることがありませんでした。
残念だったのが,ガラスから作品までの距離があり,絵の細部を充分に確認できなかったこと。
でも,その辺は美術館側も気を使ったようで,
図録には原寸大の破格の大きさで掲載してありました。

14:00からの聴いたMIHO美術館長の辻惟雄さんの講演会でも,
かなり応為に注目されている様子でした。
私が感動した「三曲合奏図」を褒め,

また,小布施にあるという作者不明の菊の花の絵を紹介される際,
「これは北斎じゃない。でも,これだけ描ける北斎門人は…,ひょっとすると…」
とおっしゃいます。
私などは,「北斎じゃない」ってところで,
もうすっかり「お栄に違いない!」と勝手に決めつけ,応為の作品4作目にカウントしましたヾ(@^▽^@)ノ。

北斎作品の中に,応為の筆跡をみつける研究,
どなたか,よろしくお願いしますm(..)m本