湧flow -4ページ目

Fame

外から聞こえてくる曲に呼ばれて、
大勢の若者が建物から流れ出、
川の水が氾濫するように路上で踊り出す。

Fameの1シーンです。
何故だか、私はこのシーンを泣きながら観てました。
突き動かされるように踊り続ける彼らと一緒に
自分も踊っているような気持ちになってo(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o~♪。

ニューヨークの芸術高校を舞台にしたこの映画は
テレビドラマにもなって、学生時代は深夜に放送されていたこの番組の大ファンでした。
英語の勉強には、状況説明のセリフの多いテレビドラマがいいんだよ
という話を聞いて、まずDVDを入手したのが、このFame。
青かった学生時代をも思い出させてくれました。

基本的に私は踊る阿呆の方なのですが、
Fameのリディア先生やリロイのダンスシーンは別。
彼らのように重力を感じさせない滑らかな動きと
メリハリの効いたダンスの前では、喜んで観る阿呆になりますヾ(@^(∞)^@)ノ。

先日亡くなったマイケル・ジャクソンのダンスも同様に
観る阿呆にさせてくれるパフォーマンスです。
     あっ、ちなみにVideo the Greatest HitsのDVD買ってしまいました(^_^;)。
     体育の集中授業で使われたBEAT ITが懐かしかった!

彼らのダンスに共通なのは、
流れていく感じ(共鳴って言い換えてもいいかもしれない)
その流れが響きが伝わってきて
観ているこちらにも踊っているような心地よさを与えてくれること。

ただ、身体を使った表現だからでしょうか。
どうしても、上記のようなCoolなダンスは、
あまり年齢いってからはできないようです。
映画の方のFameのDVDには、40以降の出演者のインタビューが入っているのですが
まるでネコ科の動物のようにしなやかだったあのリロイが、しまりのないオヤジになって…。
他の人たちはどうしてるんだろうと、ネットで検索したら、
あんなに細かったリディア先生が、倍以上に横に膨らんで…。
切なかったです(T_T)。

マイケル・ジャクソンも、亡くなる直前のコンサートのリハーサルシーンの動画を見る限り
切れのいい動きをしてはいますが、
あれを、あの年齢で維持するためには、
相当な無理をしたのではないかなぁ…。

ところで、
Fameリメイク版が作られているという話をちらちら見かけました。
魅せるダンスを期待してます男の子




若気の境地

若気の…
とくれば、続くのは「至り」か「過ち」ですが、
ネガティブな感じがするのは、
「若さ」をやっかむ年寄りの上から目線の表現だからでしょうか(-。-)。

藤田嗣治(レオナール・フジタ)の学生時代22歳で描いた作品が芸大に寄贈された
とのニュースを見ました。
独自のスタイルを確立する前の作品だし、
黒田清輝に師事していたそうで、確かに黒田清輝風で、
いかにも藤田って感じの乳白色の肌の表現はありませんでしたが、
振り向く感じのポーズの着物姿の女性の横顔は瑞々しく、
さすが…
と息をのんで見入ってしまいます。

画学生の時代の、しかも卒業間際の絵って
皆それぞれにある種の境地に達しているような気がします。
学生として学んだ結果の集大成というか…。

    その時にしか描けない絵
なんですよね。

来週から一ヶ月ほど芸大で公開されるそうなので、
観に行こうかなぁ。

蛇足ですが、藤田嗣治の写真を見る度に坂本龍一ってご親戚かしら?
と思ってしまうほど似てるんですよねぇ…と書こう思って検索したら、
どうやらそう思ってる人多いようですね
にひひ


ジャングル大帝再び!!!

ヾ(@°▽°@)ノヾ(@^(∞)^@)ノヽ(゜▽、゜)ノ(*゜▽゜ノノ゛☆
願いがかないます!

1/30に書き込みした「ジャングル大帝」の再録CDが、
10/21にコロンビアから発売されるそうです。

楽しみっベル

Good job

いやぁ、すごいねぇ。 いいねぇ。 嬉しいねぇ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。

最近、職場で何度かこんな言葉を口にしました。

私が「すごい!」と心動かされたのは、
著者や、デザイナーさんの仕事なのですが、
アート作品を見て、最近こんなに感動したことってあるかなぁ?って
考えてしまうくらいに、感激しました。

どちらも、予想している以上の結果をその仕事の中に見たからで、
一定の条件や枠の中で、どこか楽しんでいる余裕も伺わせながら、
十二分に込められた感性や技は

こんなに人を動かすことができるんだなぁと思いました。
大げさではなく、なんか涙出そうになりましたもん(ノ_・。)。

反して、
「まっ、この辺でいいんじゃないの? どうせ努力したって金に結びつかないし」
って手抜きする言動や仕事に対しては、自分のことはしっかり棚に上げて、
見境なく「バカっ!」って叫んじゃったりすることもあるくらいに立腹しますヽ( )`ε´( )ノ。

この二つの感情の動き方を見ると、
結局私の価値観って、

  一定の条件の中で、喜びをもって最善をつくす

ここにあるようです。
自分に対しても他人に対しても、受け入れられなかったり嫌になったりする時って
結局、これをやってない時なんだなぁ…UFO


ゆかしさと熱情

近頃ちょっと時間がない朝は、新聞を開いて一面や社会面を飛ばし、
 まず小説に目を通します。

「麗しき花実」

タイトルを見た時、正直「ぅんー? ちょっと…┐( ̄ヘ ̄)┌」と思ったのですが、
 乙川優三郎さんの文体が読みやすく、
 何より主人公の女蒔絵師「理野」がいい。
 一見弱そうに見えて、芯の強い理野の制作に対する想いと、
 つきそうでつかない、何とも歯がゆく奥ゆかしい恋。

ふと思い立って、ネットで検索したら、やっぱりファンが多いようです。
 あまり小説を読まない私は、乙川作品を他に知らないのですが、
 ファンの書いた文章を読むと、
 どうも他にも江戸期の女性絵師を主人公にしたものがあるらしい…
 そこで、早速Amazonで入手しました。
 「冬の標」

こちらは幕末、ちょうど篤姫の時代に、絵に対する情熱を貫いた「明世」が主人公です。
 育ちがお嬢様な分、理野より率直にはっきりと感情や意思を表に出すタイプですが、
 設定が、お家が何より大事という江戸期の武家ですから、
 武家の女としての役割、「仕来り」(しきたり:この言葉何度か登場します)に縛られ、
それらを振り切るように、抑えてきた熱情を解放するべく一人立つ…
ヽ(*'0'*)ツ かっこいい…

周りに登場する絵師の何人かは実在の人物のようですが、
理野や明世のモデルになった作家がいたのかが興味深いところです。

たぶん浮世絵だったら、もうちょっとストレートで雑多な感じになるんでしょうが、
取り上げてあるのが、工芸品として芸術性の高い蒔絵や、南画であることで「品」が出て、
作家の美意識が明確に表現できてるんだと思います。

最近は、絵にしても文章にしても「品」のあるなしに興味があるのですが、
どうも、肝心のところをむき出しには表現しないってことが「品」ってことなのかなぁと思います。
要は、露骨の反対。 が、しかし上品なだけでは人を動かしませんから、
いかに、むき出さずして、わかる人にはわかるように表すかっていう
一見矛盾したところにツボがありそうだと睨んでいますサーチ



 

師いわく…

毎月一回しかない絵画館の日本画クラスなのに、
3月、4月は、仕事が入って行くことができませんでした。
木曜クラスもあるので、
その日に会社休めば振り替えさせてもらえるのですが、それもかなわず…(ノ_-。)、
今日は、ようやく二ヶ月ぶりの受講です。

絵画館は国立競技場に隣接しているためか、
日曜は、大抵近くで何かイベント(長距離走とか自転車競技とか)をやっているのですが、
今日は着いた時間に、消防団のイベントの表彰式が行われていました。
午前中、何度も何度もヘンデルの「見よ、勇者は帰る」(よくメダルの授与に使われる曲)の
頭のところだけリピートして聴かされ、
終いには、聴く前から頭の中をそのメロディがぐるぐる回り、
わかったから…と突っ込みたくなりました(^_^;)。

さて、お休みだった二ヶ月の間にうちで描いたものを先生に観てもらって、
今日仕上げるつもりの途中段階のものにもらったアドバイス
   「デッサンはできてて形はとれてる。構図もいい。
    ただ、花のもつ質感というか柔らかさ、雰囲気はもう一つだから、
    それが表現できるといいね」
これ、前にも言われてきたことなんですが、
受験と学生時代に、さんざん石膏やら静物やらのデッサンをやったので、
   「まず正確に形をとる」
っていうのが、いまだに染み付いてて、デッサンの狂いが出るとどうにも気持ち悪い(-""-;)。
結局最初にそこに意識を集中してしまい、
対象に対して自分がどんな風に感じているか、
何を対象から受けているかの表現が二の次になってしまうのです。
アートの本質はそこのところなのに…。

写実に慣れていない状態であれば、形がとれずに必死になってるうちに
何となくその人の感じているものがにじみ出てくるのですが、
中途半端に技術が身に付くと、
技術先行で肝心のニュアンスや主題が伝わらない空っぽな作品(いわゆる上手な絵)になりがちです。
ここを突破して、無意識領域に自分の技術を明け渡して描けるようになれば、
ほんものの大人のアーティストになれるのですが、
それができるのはほんの一握り。
強靭な意思と個性、そして自分の作品を的確にとらえる感性と、たぶん高い知性も必要なんだと思います。
なんで、アカデミックな美術教育で、徹底的に技術を教えるのか…一時期疑問でしたが、
要は、一回構築して完成させた世界をある意味崩して、自分の力で乗り越えていけっていう
相当に厳しい教えなんじゃないでしょうか。

空っぽな絵よりは、
技術はないけど、その人の感情や本能が生々しく表現されている作品の方が
人を動かします。
美術に限らず、経験してしまったものは抱えてやってくしかないので、
身に付いたものを否定はしないけど、何とか少しでも乗り越えられるよう
ぼちぼちでも描くしかないんだろうなぁ…。
道は遠い走る人




苦痛と快楽、深さと軽さ

いつか観ようと思いつつ機を逸していた「おくりびと」が
 飯田橋ギンレイ(会社が法人会員になっているのでタダ(^_^))にきたので
今週いろいろと詰まった予定にちょっと迷いつつ、一昨日観に行ってきました。

さすがアカデミー賞受賞作品、同僚の忠告通りハンカチがしっかりと活躍。
来て良かったぁ。
意外だったのが、泣いた箇所に相当するくらい笑えるシーンが多かったことでした。

そして昨日は、井上ひさしさん脚本の「きらめく星座」を天王洲アイルの銀河劇場で観劇。
井上作品らしく、歌あり笑いあり、
そして涙ありできっちりメッセージの伝わってくる舞台でした。

休憩時間、ロビーの書籍販売コーナーを冷やかしていると
「TASHINAMI 嗜み」という雑誌が目にとまります。
文芸春秋が昨年季刊で創刊したらしいのです。私はこれ知りませんでした。
最近、便利だからと本のほとんどをAmazonで買ってますが、
たまには書店でゆっくり棚を見て回らないと、
本や雑誌との出会いはないよなと反省です。

さて、この「TASHINAMI 嗜み」ですが、
飛行機に備えつけてあるPR誌を質・内容ともに豪華にして広告カットしたようで、なかなかの充実ぶり。
残り少ない休憩時間を気にしながら、
結局、並んでいた2008年の春と秋号両方ともを買ってしまいました。

パラパラとめくって、「おっ」と気になった箇所を二つ(いずれも要約)。
劇作家の山崎正和さんのインタビュー記事から
     あらゆる人間の満足は苦痛と背中合わせにある。
     (プラトンだそうです)
岸田秀さんと三浦雅士さんの対談から
     人間というのは本能が壊れた狂った動物であり
     芸術というのは人間の狂気の表れの一つの形である。

これ読んで、
深さや苦痛だけ、または快楽と軽さだけを用いた表現が
アートとしては人を動かさないなぁと思っていたこと(つまりは両極必要)と、
私が苦しいなぁと思いながらも絵を描くことを諦めきれないことの
わけが少しだけわかった気がしました。
そぉかぁ、狂ってるからかぁ・・・なるほど・・ね叫び



I was satisfied with figure drawing.

大満足っ

ここのところ、負けた(何にだ?)感が強かった反動でしょうか。
今日は、久しぶりにクロッキー会に参加し、
ポーズの美しいモデルさんで充実した気持ちになりました(=⌒▽⌒=)。

おまけに、ちょっと試してみようかと買ってみた筆ペンの黒と朱(習字の添削するみたいな色)が、
なかなかいい味出してくれて、これもよかったです。

絵を描いてると、苦しいことの方が多いのですが
たまーに、こんなご褒美のような体験ができるのが止められない理由かもしれません。

今日のモデルさんは、2月にもいらした方でした。
いつか個人でお願いして、存分に描かせてもらいたい!
次のボーナス出たあたりで、計画してみようと思っていますアート


Soul-searching

なんというか…苦いです(´_`。)。

今日は、出版人美術展のオープニングパーティに行ってきました。
搬入日には、展示の位置決めまでしかいなかったので、

実際に壁にかけた状態を見なかったのですが、
やっぱり…、中途半端だったなぁと大反省しました(_ _。)。

これまでも、個展の直前まで手を入れ続けて、
時間切れっていうのはなくはなかったのですが、

充分に使いこなしてない画材でテスト的に描いてみたものを、
人前に出すこと自体が浅はかでした。 葉書誰にも渡さなくてよかった…。

GWで、いろいろ片付けたら、
また次の作品に向けて精進いたしますカメ

Installation

やれやれ、やっと搬入終了(-。-;)。

月曜から出版人美術展が始まります。
搬入日の今朝午前中まで筆を入れていましたが、
どうにか…というか、ほとんど時間切れで
昼過ぎに額装して会場のすぎもと画廊に持ち込みました。

準備する時間を考えると、6号(1号=葉書1枚)が限度だなぁと予測し、
また、初めて人前に出す顔彩作品なので、結果に自信が持てず、
点数は2点までで合計20号という制限なのに、思い切り余裕を残しての出展になりました。

自宅で額装した際には、十分な完成度とは言えないまでも、少しは様になったかなぁと思いましたが、
作品にして会場に持ち込むと、10号以上の油絵の横なんかには負けてしまって置けません。
この、負けるって感じは、どういう観点で言ってるかというと、
絵の善し悪しとか巧い下手ではなく画材そのものの存在感。
油絵の具って、それだけでパワーのある画材なので、画廊や美術館では他の画材を圧倒します。
逆に、実際に室内にかける場合、下手すると「うざい、重い」という感じになります。
要は一長一短、描く人と入手する人の好みの問題。

今回の制作では、
画材によって描き方が変わる分、描いてる時の心情も異なることに気付きました。
同じ水で溶く絵の具でも、
透明水彩絵の具は粒子が細かいので、水にお任せ+勢い(瞬発力みたいなもの)が必要になります。
あんまりこてこていじりまわすと、勢いが死んでしまうので、
考え込まずに、可能な限り一気に描いて、後は微調整。
最初の勢いで格好がつかずダメなら、あきらめて描き直すか、やめてしまうかの判断をします(x_x;)。

日本画は、下絵をきっちり書き、画面に転写するなどの一定の手順を踏み、
透明水彩より絵の具のコントロールがきく分、自分の意思というか感覚を常に問うことが必要になります。
「もう少し濃いめ? 白 足してみる?」
とか
「ちょい墨かけて暗くする? それとも隣を明るくすることでコントラスト強める?」
とか、基準を「バランス」がとれているかどうかに置きながら、
常に自分と対話している感じ。
構図やモチーフの選び方も、日本画の方がセンスがあらわになる気がしますし、
結構こわい画材かもしれませんアート