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絵の具力

Fame 2009

Power Balance

CRAZY about ART

あいだにあるモノ

いろ・色・イロ

直感メーカー

イラクでピカソの作品発見!

で? どんなの?
裸婦ですね。 …んー…(-""-;)
  「真贋は定かでない」。 
そうですかぁ…  私は何となくホンモノでない方(ニセモノ)に賭けようかと思います。

写真は小さいし鮮明でないし、どうやら枠を外して絵を折り畳んでいたような劣悪な保存状態だし、
ピカソ作の根拠とされている肝心のサインも、美術館所蔵のハンコも写ってはいないので、
証拠など何もないんですが、小さな写真から受ける印象から
なんか、違うって気がしました。

もちろん、私はピカソ作品の評論家でも、鑑定士でもないので間違っている可能性は高いですが
これまで私が画集や展覧会で観てきた作品に感じたものとは
   「何となく」違う感じ
を持ったわけです。
これって論理的に説明できるものじゃなくて「直感」。
直感は、脳の中で何かのやり方を体得することを司る部分から生まれるんだそうです。
脳の研究をされている池谷裕二さんの
   「単純な脳、複雑な『私』」
に、そんなことが書いてありました。

何度も何度も繰り返して身に着けた後に、自動的に無意識にできるようになることって、
自転車に乗ることや、キーボードのブラインドタッチなどいろいろあるようですが、
美術の分野は、観る方もつくる方も、
特にこの「直感」によって判断される部分が大きいと思います。

もちろん、持って生まれた能力や性質っていうのがあるので、
訓練さえすれば、誰でもまったく同じような状況になるとは限らないと思いますが、
   たくさん観る、たくさん描く または つくる _________________φ(.. )
って行為が、審美眼や作家としての腕を上げるってことじゃないでしょうか。
下地無しの判断は単なる適当。 でも適当がたくさん積み重ねられていくと
 いつしか「直感」になる…
   好きこそものの上手なれ
っていうのは、そういうことなんだなぁと、いまさら納得しました。

こういう何かを体得したり、直感を生むのは脳の基底核という部分が担当しているらしいです。
基底核=直感メーカーと勝手に命名(^_^;)。

繰り返し、繰り返し、ただ繰り返す。
いつしか「直感」が、自然に湧き出て流れていきますように…みずがめ座



南の島の仙人

この夏長野で、一時間に一本しかないバスを待つ間、
いろんな画集を引っ張り出しては眺めていました。

こんなに美術系の画集がそろっている様を見るのは、
おそらく大学時代の図書館以来で、なかなかに幸せな時間:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。
今、勉強中の日本画の参考になるように
できるだけ日本画のものを選びます。

日本画の画材で今までやってきた洋画風に描くと、どこかしっくりせず
何が違うんだろうと行き詰まっていたところ、
どうやら
立体と空間、特に奥行きを表現する伝統的な洋画の手法に対して、
日本画っていうのは、
対象のいろんな部分を削ぎ落として抽象化することが特徴だという結論に達しました。
一般的な日本画では西洋画より輪郭線がはっきり描かれてますが、実際の対象に線などありませんから
その線自体もある意味抽象であり、
空間と奥行きを極端に表現すれば、限りなくリアルな写真のような立体感が出ますが、
それらを追求せず、ぺたっと平面的に描く日本画っぽさも抽象。

平面的なのに、空気、匂い、温度を感じる優れた日本画
っていうのが、目下の私の目標とすべきところで、そんな作品を観たいのです。

田中一村 作品集
恐らく日曜美術館だったと思うのですが、ちらっとだけその作品の映像を見て
 名前は記憶にありました。 たしか日本のゴーギャンと言われているとか。

B4の薄手の画集を開くと、
 色鮮やかな植物や鳥、そして逆光の影の見事な表現が、
南国の光を際立たせています。
卓越したデッサン力、構成力、色感…、
まさに私が日本画に観たいものがそこに再現されていました。

人となりは、まったく知りませんでしたが
東山魁夷などと東京美術学校で同期でしたが、2ヶ月で退学。
将来を嘱望されていながら、画壇とのつきあいや職業画家として描くことを厭い、
49歳で奄美大島に移住。
紬の染色工をしながら制作を続け、心不全で没したのが69歳
菜食主義で、世俗とのつながりを断ち切り、
まさに仙人のよう…( ̄ー ̄)。

実物が観たい! と思って検索したら、
どうやら奄美大島に行くしかないようです船




応為の足跡

小布施に行ってきました。
一番の目当ては、北斎館の菊図。

何年か前にロンドンから戻ってきたというこの2点は、
銘は北斎ですが、葛飾応為=お栄の作ではないかと言われています。

構図といい色彩といい、息をのむ見事さ。
花弁が動き出しそうな錯覚を覚え、単に美しいというだけでない、
写実を超えた凄みのようなものが伝わってきます。
なんだか涙すら浮かんできました。
お栄ちゃん、ありがとう(゚ーÅ)。

思いがけず、もう一点面白い作品を観ることができました。
応為栄女の銘のある掛け軸です。
遠景に富士、手前に竹林で育ちすぎた竹の子がひょこひょこ並んだ作品。
これまで観たお栄の肉筆画からすると「あらっ?」と
拍子抜けしそうなほどあっさりさらっと、はっきり申せば手を抜いて(^_^;)描いてあるのですが、
この絵の一番面白いところは、中央に押された印です。

応為栄女の署名の下の印が富士山マークのものなのですが、
これは、北斎や卍老人などの署名の時も用いられているものと同じです。
お栄が代筆をした作品もあったという有力な証拠じゃないかと嬉しくなりましたp(^-^)q。

ネットで調べると、
お栄の作を北斎の贋作だとか何とかおっしゃってる方もいらっしゃるようですが、
そんな方には、ちちちちっ(-""-;)、わかってないなぁと一言申し上げたい。
私は「北斎」っていうのは、
鉄蔵とお栄父娘のユニット名だと思った方が良いのはないかと考えています。
もちろんメインボーカルは鉄蔵ですが、たまにお栄がボーカルを交代することもあったという風に。

絵に携わる者の勘ですが、
北斎肉筆画作品の骨太の力強い勢いのある線は、
純粋に北斎独自のものだと思います。
なぜに? と聞かれても、「線って個性が出るんですよ」としか答えられませんが、
これはどう観ても、お栄の線ではないなって思うものが結構あります。
あの迷いのない力強い線の勢いは、画狂北斎にしか出せないでしょう。
北斎ユニットの中にも、はっきりと二人の個性が見て取れるものがあると思うのです。

また、先に書いたのとは逆のケースですが、杉浦日向子さんの百日紅の中に
お栄に独自の落款を入れさせたがる画商が、
  「お栄さん、またいい絵ができたね」というのに対し、
  「オレんじゃねぇよ。鉄蔵んだよ」(お栄)
  「北斎と書くより、高く売れるんだろ?」(^^ゞ (鉄蔵)
っていう話があって、大好きなのですが、
もしかして、もしかしたら鉄蔵がお栄の代筆をしたものもあったのかもしれません。

他にも、小布施に北斎とお栄を招いた高井鴻山関連の資料の中に、
岩松院の鳳凰に使う赤い絵の具の作り方を書いたお栄の手紙があったとか、
  (その手紙は今どこにあるのでしょう?)
北斎作と言われている銘のない掛け軸の観音像があるとか、
  (絵はがきでしか見てません、本物が観たい!)
思わぬ情報も手に入り、
200年前には鉄蔵とお栄がここを歩いていたんだなぁと感慨に耽りながら小布施の町を歩きました。
アイドルを追っかける心境って、きっとこんな感じなんだろうなぁ。

蛇足ですが…、
小布施のお酒関係のコピーに「北斎も飲んだお酒○○」みたいなものを見ました。
確かに文献には、
山車の天井絵か彫刻かなんかが一段落した時に、
  「職人と祝杯をあげるから酒を持ってこい」
と北斎が言ったという記録があるようですが、北斎は甘党で下戸だったって言われてます。
だから、こちらは「北斎も味わった栗かのこor栗ようかん」
(^▽^;)かなんかにして、
お栄はお酒もたばこも嗜んだらしいので、お酒のコピーは
  「お栄も飲んだお酒○○」
に変えてもらえませんでしょうか、だめかな?(って誰に頼んでるんだか(^o^;))お酒






美術の殿堂

会期が終わらないうちに、藤田嗣治の学生時代の作品「婦人像」を観とかなきゃ…と、
「コレクションの誕生、成長、変容 -藝大美術館所蔵品選-」
に行ってきました。

上野の芸大は、たしか学生時代に学園祭か何かでちょっとだけキャンパス内に入った記憶があるのですが、
東京藝術大学大学美術館を訪れるのは今日が初めて。
芸大の所蔵作品を管理していた芸術資料館が、
1998年に美術館として生まれ変わり、今年で11年目だそうです。

さすが、日本画・工芸・洋画と幅広いジャンルで、超一級の作品ばかりで、
美術の教科書で見たことのある作品もいくつか展示されてました。

お目当ての藤田嗣治の「婦人像」は、
デッサンの確かさと人物の肌の瑞々しさ、着物の表現など見ごたえのある作品。
これはテレビや新聞で見ていただけに「なるほどね。いいね」だったのですが、
隣に卒業時の自画像が並んでいて、何とも気障なお坊ちゃま風なのが予想外で面白かったです。

他、特に印象に残ったのは次の作品。
狩野芳崖「悲母観音」…全くスキのない完璧な美でした。
上村松園「序の舞」…でかっ! こんなに大きな作品だとは思っていませんでした。150号以上あったかも。
平櫛田中「横笛堂」…すっと立った若い僧の木像なのですが、何とも惹かれる…。語る禅僧 南直哉さんのイメージでした。

そして、一番興味を持ったのが、洋画の原田直次郎(私、存じ上げませんでした(;^_^A)。
時代的には、芸大設立に貢献した岡倉天心なんかと同世代で黒田清輝よりちょっと年上の方ですが、
明暗のはっきりしたドラマチックな画風に魅了されました。
帰ってからいろいろ調べたら、東京芸大の前身東京美術学校が開校されるとき、
洋画排斥まっただ中で、最初は洋画科がなかったのを批判したそうです。
その後、黒田清輝や久米桂一郎なんかが明るい画風で出てきて旧派と批判され、
36歳の若さで病で没したとのこと。

日本洋画の黎明期をかいま見て、何だか勉強した気分の一日でしたアート