諏訪「では、始めよう」
ケン太「うおっ! 更新早やっ!!」
諏訪「嫌なのか? 嫌なら…」
神崎「私の給料がかかっているので、さっさと進めてください」
ケン太「あ、そっか」
岩田「家賃の値引きもかかっているので、とっとと進めるのじゃ」
諏訪「あ、そっか」
…
ケン太「今回は…前回の続き?」
諏訪「うん。 前回は【小豆坂の戦いが二度あった可能性】を追った訳だが…」
神崎「そういえば前回、織田信秀と斎藤道三との戦が、『天文??年』とボカされてましたが?」
岩田「ワシも不思議じゃった。 なぜボカしたのじゃ?」
諏訪「…って事は、ガンさんも判ってない…という事だな」
岩田「うっ…む……」
ケン太「進めて、先生」
諏訪「あぁ、……時にガンさん。仮に美濃での戦の年次をボカさなかったら、何年だと思ってた?」
岩田「そりゃあ………えと………」
ケン太「どしたい?」
岩田「はて……記憶には、天文十三年(1544)と天文十六年(1547)の2つがあるの? …記憶違いかの?」
ケン太「まさか…ボケた…?」
神崎「岩田さん、前回『家賃は4割! それ以上はまからんぞい』と仰ったのを憶えてますか?」
岩田「嘘おっしゃい! 6割と言ったはずじゃ」
神崎「チッ」
諏訪「まぁ、ガンさんが戸惑うのも無理はない」
ケン太「へ?」
諏訪「実は『加納口の戦い』と呼ばれる信秀の美濃攻めも、一度か二度かで説の分かれる戦なんだ」
岩田「おお、そうじゃよな!」
諏訪「天文十三年説は、『美濃国諸旧記』や『東国紀行』などが、天文十六年説は小瀬甫庵の『信長記』が典拠になっている」
天文十三年説→『美濃国諸旧記』『東国紀行』『朝倉宗滴話記』等
天文十六年説→甫庵『信長記』等
ケン太「こっちはなんで説が分かれるの?」
諏訪「理由は、小豆坂の戦いと一緒」
神崎「…と、言いますと?」
諏訪「前回、小豆坂の戦いで活躍した織田信康は、この加納口の戦いで戦死したと説明したね」
神崎「はい」
諏訪「実は、この加納口の戦いでは、天文十五年の信長元服の際、信長に供奉した青山与三右衛門という武将が信康同様、戦死したとされてるんだ」
岩田「では……前回同様、タイムトンネルで示してくれるかの?」
神崎「岩田さん、タイムテーブルです」
ケン太「爺さん、古いなぁ…」
諏訪「なんでお前が、(タイムトンネルが古い)って知ってるんだ?」
ケン太「ともかく、小豆坂の戦い込みでタイムテーブルを示すよ」
天文十一年 小豆坂の合戦
(織田信康が健在)
↓
天文十三年 加納口の戦い
(美濃国諸旧記・東国紀行・朝倉宗滴話記が証言)
↓
天文十五年 信長元服
(青山与三右衛門が元服に立ち会う)
↓
天文十六年 加納口の戦い
(織田信康・青山与三右衛門戦死)
↓
天文十七年 小豆坂の戦い
(これ以前、今川家の三河侵攻なし)
神崎「…こんな感じでしょうか?」
諏訪「上出来だ」
ケン太「…で、先生の見解は?」
諏訪「まず結論から言おう。 俺の見解は、加納口の戦いも小豆坂の戦いも、それぞれ一回ずつしかなかったと見ている」
岩田「ほう! 諏訪君がどう読み解くかが興味深いな」
諏訪「まぁ、一つずつ解説していくけど… 小豆坂の戦いは天文十七年三月十九日の一回のみ。 加納口の戦いは天文十三年九月二十二日の一回のみ…だと思ってくれて良い」
【小豆坂の戦い】
天文十一年八月十日
天文十七年三月十九日
【加納口の戦い】
天文十三年九月二十二日
天文十六年九月二十二日
岩田「おおぅ、大胆な意見じゃな」
神崎「でも、その説だと…」
諏訪「言いたい事は判る。 俺の説だと…」
天文十三年 加納口の戦い
(織田信康・青山与三右衛門戦死)
↓
天文十五年 信長元服
(青山与三右衛門が元服に立ち会う)
↓
天文十七年 小豆坂の戦い
(織田信康が活躍)
ケン太「既に死んでる青山与三右衛門が、信長の元服に立ち会い…」
岩田「既に死んでる織田信康が、小豆坂の戦いで活躍する事になってしまうの」
諏訪「だが実際、同時代の史料で天文十一年の小豆坂の戦いや、天文十六年の加納口の戦いを立証できる史料は存在していない」
神崎「…という事は」
諏訪「最初に、その二人の戦死記事を書いた太田牛一の『信長公記』を疑うべきだね」
ケン太「お、大胆な話だね」
神崎「具体的には、どこを疑うんですか?」
諏訪「それは勿論!……次回のお楽しみだ」
ケン太「ああン、良い所で!」
~続~