歴史探偵 諏訪欧一郎の事件簿 ~小豆坂の戦いは二度あった? 第五夜~ | 李厳さんの独り言

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諏訪「ヘックチン……ヘックチン!」

ケン太「いや、変なマクラの振りは良いから」

神崎「さっさと始めましょ」

諏訪「え…あの…『変なくしゃみだね』って、拾ってくれても…」







……

諏訪「さて、今回は…」


ケン太「小瀬甫庵が見つけたという『信長公記』内の矛盾についてだよ」


岩田「それと、甫庵が小豆坂の戦いを、なぜ織田方の勝利にしたか?じゃな」


諏訪「そうだったな」


神崎「…で、どうなんです?」





諏訪「うん、甫庵は『信長記』内で、小豆坂の戦いの顛末を、このように書いている」


…敵味方相引ニ引シカ、尾張勢ノ勝軍也トソ世以申ケル。誠カヽル手痛キ合戦ハ、前代未聞也トテ…
(『信長記』元和八年版より抜粋。句読点は李厳命がつける)


岩田「『勝軍(カチイクサ)』…すなわち勝ち戦じゃな?」



諏訪「そう、甫庵は2つの理由で、小豆坂の戦いを勝ち戦にする必要があった」


神崎「えっ? 理由が2つもあるんですか?」



諏訪「あぁ、でも片方の理由は、次回の依頼の際にでも説明するよ」


ケン太「今おせーろ!今おせーろ!!」


諏訪「やかましい。もう一つの理由だけでも、今回は解決するから!」


岩田「……で、もう一つの理由とは?」





諏訪「前回にも触れた『信長公記』【あづき坂合戦の事】の最後の一文、〔是れより駿河衆人数打ち納れ候なり〕だよ」


神崎「そのまま訳すと、〔この時から、駿河衆(今川家)が三河に勢力を張った〕という感じでしょうか?」


ケン太「??」





諏訪「いいかい? 小瀬甫庵が『信長記』執筆時に持っていた『信長公記』内の情報はこうだ」


某年九月、美濃攻め
(織田信康・青山与三右衛門戦死)

某年八月 小豆坂の戦い
(織田信康活躍、これ以降三河は今川勢力圏に)

信長十三歳 信長元服+翌年初陣
(青山与三右衛門随身、信長吉良大浜へ初陣)





ケン太「うんうん…」



諏訪「これを全て取り入れる為には、まず後ろから決めた方が良いよね?」


岩田「信康と青山が戦死した美濃攻めが最後、これは必須じゃな」


諏訪「そう、それは信長が初陣した天文十六年(1547)以降でないといけない」


神崎「『信長記』では……天文十六年九月の事になってますね」



諏訪「うん、信長の誕生日が五月頃というのは当時から知られていたから、おそらく元服も初陣も同じ五月頃と見立て、甫庵は青山が戦死する美濃攻めを、その四か月後の九月に設定した」




【小瀬甫庵『信長記』執筆用のタイムテーブル】
信長元服  天文十五年
信長初陣  天文十六年九月以前
美濃攻め  天文十六年九月





ケン太「ふんふん…」


諏訪「次に、信康が活躍する小豆坂の戦いは、信康が戦死する美濃攻め以前なら、いつでも良かったはずだけど…」


岩田「『信長公記』の順番に従ったと?」



諏訪「そう、小瀬甫庵は、太田牛一がなぜ小豆坂の戦いを前倒しにしたのかに気付かず、順番通りに信長元服の前に持ってきた」


ケン太「それが、天文十一年なんだね」


諏訪「ああ、甫庵からすれば、信長元服以前(~1546)ならば、天文十二年でも十三年でも、構わなかったのだと思うよ」



【小瀬甫庵『信長記』執筆用のタイムテーブル】
小豆坂の戦い 天文十一年八月
信長元服    天文十五年
信長初陣    天文十六年九月以前
美濃攻め    天文十六年九月




岩田「…こうして、小豆坂の戦いと加納口の戦いの、二つの異説ができた訳じゃな」




諏訪「…ところが、ここまで年次を作って、甫庵の筆は止まった」


ケン太「なんで?」


諏訪「『信長公記』では、小豆坂の戦い以降、三河は今川の勢力圏に入った…としているよね?」


神崎「さっきは、そう訳しましたけど…」


諏訪「信長は、初陣をどこでやったかは知ってるかい?」


岩田「ええっと…確か、『信長公記』では…」



翌年、織田三郎信長、御武者始めとして、平手中務丞、其の時の仕立、くれなゐ筋のづきん、はをり、馬よろひ出立にて、駿河より人数入れ置き候三州の内吉良大浜へ御手遣ひ、所々放火候て、其の日は、野陣を懸けさせられ、次の日、那古野に至つて御帰陣。
(新人物往来社刊『新訂 信長公記』より抜粋)



神崎「『吉良大浜』とありますね」


諏訪「そう、初陣は三河国の吉良大浜。 現在の愛知県碧南市に当たる」


ケン太「それが、何か?」



諏訪「初陣とは普通、あまり危なくない場所で行うものだけど…」



岩田「そうか! 小豆坂の戦い後に今川家が三河に拠点を築いてから、信長が三河に初陣できるのか?と言いたい訳じゃな?」



諏訪「そうなんだ。実際の天文十六年時の、吉良大浜周辺は…


刈谷→水野信元(親織田家)
安城(安祥)→織田信広(信長の兄)
吉良→吉良義安(親織田家)



…と、織田弾正忠家に与する勢力ばかりだったので、初陣が成り立った」



神崎「逆に言えば、今川家が三河に勢力を築いてからでは遅い…という事ですね」


ケン太「…というか、無理だよね」



諏訪「そうなると、信長初陣の前に、小豆坂の戦いがおけなくなる訳だ」



小豆坂の戦い(これ以後、今川家が三河を掌握)
   ↓
信長初陣(三河吉良大浜で初陣)



ケン太「なるほど」


神崎「そこで、甫庵は?」


岩田「小豆坂の戦いで、織田方が勝った事にした…と?」


諏訪「そう、天文十一年に起きた小豆坂の戦いは、織田方の勝利という事にして…」


ケン太「『信長公記』の〔是れより駿河衆人数打ち納れ候なり〕に比定する文章を書かなかった…という訳か」




諏訪「そうして、後の『三河物語』などで書かれる、天文十七年三月十九日に行われた織田方が敗れた小豆坂の戦いとは別の、(もう一つの小豆坂の戦い)が出来上がった…という訳さ」



岩田「なるほどのぉ~」


ケン太「納得」


神崎「…では、これでまとめますか?」


諏訪「一応、もう一回だけ続けよう。その後の流れを説明したい」


神崎「判りました」





~続~