歴史探偵 諏訪欧一郎の事件簿 ~小豆坂の戦いは二度あった? 第六夜~ | 李厳さんの独り言

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ケン太「あれ~~??」

諏訪「どうした?」

ケン太「犬千代が、さっきからいないんだよ」

神崎「そういえば…」

岩田「大方、変な名前でグレてしまったんじゃろ」

ケン太「…ンナーオ、ニャーオ」

神崎「!!!!」

犬千代「ニャー」

ケン太「やっぱりそこか。犬千代、可愛いな」

諏訪「……相変わらず器用な奴だな」







……

神崎「今回で終わりですか」


諏訪「一応ね」


ケン太「んで、今回は?」


諏訪「『信長公記』以降の史料が、信康と青山の矛盾と、どう向き合ったのかについて、説明しておこう」


岩田「ほう」


諏訪「当然の話だけど…『信長公記』と『信長記』というのは、織田家視点の史料だ」


ケン太「当たり前じゃん」


諏訪「だが、小豆坂の戦い=八月説も、織田家視点で書かれた史料しかない



神崎「そうなんですか」



諏訪「厳密には、小瀬甫庵は『信長公記』をベースに『信長記』を書いているから、情報ソースの源流は『信長公記』という事になる訳だが…」



岩田「依頼者の大久保彦左衛門の『三河物語』では、天文十七年三月十九日説を採用しておるの」



諏訪「そう、『三河物語』や『松平記』といった徳川視点の史料では、冷静に天文十七年三月説を採用しているね」



某年八月説
『信長公記』

天文十一年八月十日説
『信長記』


天文十七年三月十九日説
『三河物語』・『松平記』
etc.



ケン太「織田視点=天文十一年八月徳川視点=天文十七年三月…って事だね」


神崎「公式には、どうだったんですか?」



諏訪「う~ん、寛永十八年(1641)に徳川家光に命じられて林羅山が記した『信長譜』では、天文十一年八月説を採用してはいるが…」



天文十一年八月駿河國主今川義元欲平尾州到三州小豆坂信秀迎撃大破之於是信秀屢發向美濃國與齋藤山城守道三合戦

(『信長譜』より抜粋)



岩田「これは、『信長記』の影響が大きいからのぅ…」



諏訪「まぁ、せめてもの抵抗なのか、羅山は加納口の戦いについては年次に触れていないね」





ケン太「フーン…でもさ、なんで徳川視点の史料が、正しい天文十七年三月説を採用できたの?」



岩田「徳川側の史料では、織田信康と青山与三右衛門が戦死した年次を書く必要がなかったからじゃよ」



諏訪「そう、徳川側の史料で、一番早くに成立したのが『三河物語』か『松平記』かは、異論の分かれる所だが…」



神崎「小豆坂の戦いの年次を前倒しにする必要がないから、正しい年次を採用できたと?」



諏訪「その通り。だがその結果、江戸初期には小豆坂の戦いの年次が二つ、別々の系統の史料に並立する事となった」


ケン太「すり合せが行われなかったんだね?」




諏訪「うん、説のすり合わせに関しては、元禄十五年(1702)に刊行された『総見記』まで待たなくてはならない」



神崎「『総見記』?」



岩田「遠山信春という人が、信長の子孫に更訂を依頼してできた軍記じゃよ」



諏訪「でもね、この『総見記』が、一番真実に近い説を採用していたりするんだよ」


ケン太「なんですと!」




諏訪「『総見記』は、織田視点の軍記ながら、小豆坂の戦いの年次は、天文十七年三月説を採用している」



岩田「ほう」



諏訪「さらにだ、織田信康と青山与三右衛門の戦死年次を、(天文十七年九月の美濃攻め)にしているんだ」



神崎「ええっと…、実際は天文十七年の八月ですから…」



諏訪「従来の加納口の戦いの年次を疑い、かつ小豆坂の戦いの年次を、正しい徳川側の史料から引用した訳だ」


【『総見記』タイムテーブル】
天文十七年三月 小豆坂の戦い
天文十七年九月 加納口の戦い




ケン太「これって…偶然?」


諏訪「おそらくね。折衷案を取り入れた挙句、両者の戦死記事を後ろ倒しにしただけだと思う」



神崎「でも、結果的にかなり真実に近い形になったんですね?」



諏訪「うん、そしてとどめだ。『総見記』では『信長記』説をフォローする意味で、以下の文章を付け加えた」



或説ニハ是ヨリサキ天文十一年壬寅ノ歳ニモ此小豆坂ニ於テ織田今川ノ合戦アリト云々
(『総見記』より抜粋)



神崎「小豆坂の戦い天文十一年説を、否定しなかったんですね」


諏訪「その通り」


ケン太「こうして、

天文十一年→織田方の勝ち
天文十七年→今川方の勝ち

という二種類が、否定されずに今日に至った訳だ」



岩田「現代のWikiにまで、その爪痕が残っておる訳じゃな」



諏訪「まあ、そういう事だね。…では神崎君」


神崎「はい、大久保彦左衛門さんにお伝えしておきます」


諏訪「よろしく、今回はここまで」


3人「ありがとうございました~」


犬千代「ニャー」





~終~