クラーナハ(父)の描く女性像は、誘惑と警告によって、観るものを翻弄します。
今月は、国立西洋美術館 (東京・上野)で開催されている「クラーナハ展—500年後の誘惑」の作品を紹介しながら、クラーナハについてご紹介します。
上記は、ルカス・クラーナハ(父)(1472-1547)の作品《泉のニンフ》の画面左上に、ラテン語で記された銘文です。
描かれているのは、泉の前に横たわるニンフ。
ニンフとは、ギリシャ神話に登場する女性の姿をした精霊、または下級の女神です。
当時は、こうした神話や宗教画を題材にしながら、女性の裸体が描かれました。
画中の女神が横に寝そべり、よりエロティックな表現になったのはクラーナハの生きた時代のこと。
ヴェネツィアでジョルジョーネによって1510年に描かれた《眠れるヴィーナス》などは、またたくまに人気を得て、イタリアに定着していきました。
クラーナハは、アルプスを越えたドイツの地にいながら、1510年代には、早くも横たわる裸婦の表現を導入しています。
初期の頃は、手本となった他の作品に従い、古代風に描いていましたが、やがて独自の裸婦像へと変化させながら、多数のヴァリエーションを生み出しました。
1537年に描かれた《泉のニンフ》は、「横たわる裸婦」のヴァリエーションのなかでは、後期に属する作品のひとつです。
描かれているのは、古代の女神のはずですが、彼女の周りに脱ぎ捨てられた服や、胸元と手元に残されている装飾などは、明らかにこの絵が描かれた16世紀のものです。
透明なヴェールが下半身を覆っていますが、そのヴェールは何も隠すことはなく、より一層エロティックさを助長するのに役立っているようです。
当時の鑑賞者は、魅惑的な光景に欲望を駆り立てられたのではないでしょうか。
しかし、右上に描かれた銘文は、彼女が聖なる泉の女神であることを示し、「眠りを妨げることなかれ」と忠告しています。
鑑賞者の眼を喜ばせながら、彼女の休息を妨げないよう、欲望を抑えることを要求しているのです。
彼女の足元にある樹木には、弓と矢筒がかけられ、その下にはヤマウズラのつがいが描かれています。
これは、狩猟の女神ディアナの存在を暗示しています。
ディアナは、誰にも裸を見せてはならないと命じた女神です。
一方で、弓矢といえばキューピッドの矢も連想することができます。
キューピッドの矢は、ひとを狂おしい愛に駆り立てるもの。
クラーナハは、このように、挑発的な裸婦像に、道徳的なメッセージを込め、鑑賞者に誘惑と警告をつきつけました。
クラーナハのこうした仕掛けは、裸婦像以外にも見ることができます。
※2 ルカス・クラーナハ(父)《ホロフェルネスの首を持つユディト》1530年頃
ウィーン美術史美術館 ©KHM―Museumsverband.
こちらは、《ホロフェルネスの首を持つユディト》です。
『旧約聖書』の外伝ユディトは、若く美しい未亡人が、敵の首領ホロフェルネスの信頼を勝ち取り、彼を酒に酔わせたうえで宿営地に忍び込み、その首を剣で切り落としてしまうという物語です。
彼女によって、ユダヤの街ベトリアはアッシリアの軍勢から救われます。
本来ユディトの話は「美徳」を表す物語であり、「快楽」という悪徳を戒めるものです。
しかし、クラーナハの描いたユディトの眼差しの、なんと妖艶なことでしょう。
どちらかといえば、女性の魅惑的な力に気をつけよ、という警告を鑑賞者に向けて発しているようです。
こうした「女のたくらみ」と呼ばれるテーマの系統には、「不釣り合いなカップル」というシリーズもあります。
※3 ルカス・クラーナハ(父)《不釣合いなカップル》 1530-1540年頃
ウィーン美術史美術館 ©KHM―Museumsverband.
愛は人を盲目にし、金は人を従順にする・・・
このようなテーマは、古代から取り上げられてきたものですが、かけ離れた年齢の男女が恋愛関係を演じる図像は、15世紀末になって登場したそうです。
「不釣り合いなカップル」は、確認されている限りでも、クラーナハの工房で40点以上ものヴァリエーションが生み出されているとか。
なかでもこの作品は、たびたびコピーされたり、異作がつくりだされたりと、もっとも成功した一枚だとみなされています。
好意を金で手に入れようとする老いた男性の目は、女性の胸元に向けられています。
しかし、彼女の表情は、自分の魅力をよく心得ていることを示し、男性の肩に手を回すこの女性こそが、この状況を支配しているようです。
若さや美という武器を手にした女が、男を打ち負かしてしまう。
こうしたテーマをクラーナハはユーモアを交えながら、妖艶な女性とともに描きました。
当時の宮廷の男性たちを風刺し、戒めながらも、顧客たちの欲望を掻き立てるような作品を描いたクラーナハ。
彼が仕掛けた「誘惑」は、当時の宮廷人たちのみならず、20世紀のアーティストたちをも虜にし、パブロ・ピカソをはじめとする多くの芸術家に影響を与えました。
妖しい眼差しや、警告と誘惑という相矛盾するテーマの他にも、彼の描く女性像は、独特の美を持っていたようですが・・・
続きはまた来週、ルカス・クラーナハについてお届けします。
参考:「クラーナハ展-500年後の誘惑」カタログ 発行:TBSテレビ
※1 ルカス・クラーナハ(父)《泉のニンフ》1537年以降
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
© Courtesy National Gallery of Art, Washington
※2 ルカス・クラーナハ(父)《ホロフェルネスの首を持つユディト》 1530年頃
ウィーン美術史美術館
©KHM―Museumsverband.
※3 ルカス・クラーナハ(父)《不釣合いなカップル》 1530-1540年頃
ウィーン美術史美術館
©KHM―Museumsverband.
<展覧会情報>
「クラーナハ展-500年後の誘惑」
2016年10月15日(土) ~ 2017年1月15日(日)
会場:国立西洋美術館(東京・上野)
開館時間:午前9時30分 〜 午後5時30分(金曜日は午後8時)
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし、1月2日(月)、1月9日(月)は開館)、
12月28日(水) 〜 1月1日(日)
展覧会サイト:http://www.tbs.co.jp/vienna2016/
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