【遠藤のアートコラム】ティツィアーノvol.1 ~ヴェネツィアの金髪~ | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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ルネサンス期に最も成功した画家ともいえるヴェネツィアの画家ティツィアーノ。各地の王侯から招かれつつも、それを固辞してヴェネツィアに基盤を置き、ヴェネツィア絵画を大成させました。

 

今月は、東京都美術館 (東京・上野)で開催されている「ティツィアーノとヴェネツィア派展」の作品を紹介しながら、ティツィアーノについてご紹介します。

 

■今週の一枚:《フローラ》(※1)■

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《フローラ》1515年頃
フィレンツェ、ウフィツィ美術館
© Gabinetto Fotografico del Polo Museale Regionali della Toscana


―彼において、絵画の質は頂点に達した。
彼が成すものは成され、目は見つめ、生命の炎に燃える。
生命と知性があまねく存在している―
 

上記は、19世紀のフランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)の日記の一文です。

 

ドラクロワは「色彩の魔術師」とも呼ばれ、ルノワール等、印象派をはじめとした多くの画家に影響を与えました。

 

そんな画家が絶賛している「彼」とは、300年前にヴェネツィアで活躍した画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/1490-1576)のことです。

 

彼において、絵画の質は頂点に達した」と言われるほど、ティツィアーノという画家は存命中から現在に至るまで高く評価され続けています。

 

ティツィアーノの少し先輩にあたるのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)やミケランジェロ(1475-1564)、ラファエロ(1483-1520)です。

なかでもミケランジェロは、ローマに滞在中のティツィアーノの工房を訪ねたとされています。

同一のパトロンをもつ彼らは実際にライバルであり、後世においても比較され続けてきました

 

ミケランジェロの偉大さと恐ろしさ、ラファエロの心地よさと優美さ、そして自然そのものの色彩を備えている」(ロドヴィコ・ドルチェ『絵画問答』ヴェネツィア、1557年)

とも賛美されたティツィアーノ。

 

彼の評価は存命中から高く、ヨーロッパ各国のパトロンに恵まれ、同時代において最もグローバルな活躍をした画家だといえます。

 

売れっ子画家として多くのパトロンに重用され、多数の作品を制作したという点においては、ルネサンス期においてはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三巨匠をも凌駕する画家でした。

 

各国の王侯貴族や高位聖職者たちがこぞって彼の作品を手に入れたため、後の画家たちも遠くへ行かずにティツィアーノの本物の作品を見ることができました。

 

このことは、よりいっそう後世の画家たちが、ティツィアーノに影響を受けた理由だともいわれます。

 

宗教画、肖像画においても傑作の数々を残したティツィアーノですが、中でも女性像においては、「ヨーロッパ的な『女性らしさ』の真の創始者とも言える」(※2)とか。

 

なかでもこちらの作品《フローラ》では、当時のヨーロッパが憧れたヴェネツィア女性の美が輝いています。

 

※1 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《フローラ》1515年頃

フィレンツェ、ウフィツィ美術館

© Gabinetto Fotografico del Polo Museale Regionali della Toscana

 

長生きだったティツィアーノの生涯においては比較的早い作品です。

 

「フローラ」は花の女神で、ニンフ(ギリシャ神話に登場する女性の姿をした精霊)のクロリスが、春に吹く西風の神ゼフュロスの花嫁となり、変身した姿とされます。

 

彼女は豊作の女神でもあるため、その姿を描いた作品は、幸せな花嫁、夫婦円満、豊穣と多産の意味を持ちました。

 

16世紀のヴェネツィアで人気を博した主題で、ティツィアーノをはじめ多くの画家が描いています。

 

それらの作品に描かれている女性は、実在の人物なのか、どういった女性たちを描いたのか、さまざまな議論がなされてきたそうです。

 

当時ヴェネツィアには「コルティジャーナ」と呼ばれる高級娼婦が存在し、浮世絵に描かれた江戸時代の花魁のように、教養も身につけ、アイドルであり、ファッションリーダーのような役割も果たしていました。

 

こうした特定のコルティジャーナを描いたもの、または、コルティジャーナたちが宣伝ポスターとして注文したものという説もあるそうです。

 

しかし、描かれたモティーフやポーズを見ていくと、どうやら花嫁となる許嫁を描いたものだと考えることができるといいます。

 

ティツィアーノの作品に描かれた彼女が、愛や結婚の意味を持つ春の花々を手にしていることもその理由の一つです。

 

※1ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《フローラ》(部分)

 

また、右手の薬指には宝石がはめ込まれた指輪をし、彼女が纏う薄く白い「カミーチャ」と呼ばれる高級下着は、結婚適齢期の若い女性が身につけたものだそうです。

 

片方の乳房を露わにし、もう片方を隠しているのは、男性を魅惑しながらも変わらない愛のしるしであり、多産のシンボルだとか。

 

胸の下で人差し指と中指によってはさみのような形をなしている手は、腹部を示しているともいわれます。

 

※1ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《フローラ》(部分)

 

こうした要素は他の画家の作品にも見ることができ、時には透明な花嫁ヴェールをつけていることもあるそうです。

 

豊満でなめらかな肌を持つ女性。

彼女の美しさをさらに引き立てているのが、赤みを帯びた金髪の柔らかさです。

 

※1ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《フローラ》(部分)

 

こうした髪は、ティツィアーノの描く女性像の典型で、ヴェネツィア女性特有のもの。

しかし、この髪色は産まれながらのものではありません。

 

溶液を塗りつけた髪を、バルコニーで陽にさらすことを繰り返すという、ヴェネツィア女性の間で流行した方法によって染められたものです。

 

共和国だったヴェネツィアは、独特の政治体制を持つ海洋国家で、北ヨーロッパやイスラム商人とも交易を行っていました。

 

文化のるつぼのなかで独自の美意識を持ち、ローマ教会からの影響を離れ、自律した芸術活動がなされたヴェネツィアを基盤としたティツィアーノ。

 

ローマの有力者やフランス、スペインの国王から呼び寄せられながらもそれを拒み、ヴェネツィア独特の絵画をつくりあげていきました。

 

彼によってヴェネツィア絵画はヨーロッパ全域の模範として普及し、さらには時代を超えて画家たちに影響を与えていったのです。

 

参考:

「ティツィアーノとヴェネツィア派展」カタログ 発行:NHK、NHKプロモーション(※2)

 
 

※1 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《フローラ》1515年頃

油彩、カンヴァス、79×63cm

フィレンツェ、ウフィツィ美術館

© Gabinetto Fotografico del Polo Museale Regionali della Toscana

 

 

<展覧会情報>

「ティツィアーノとヴェネツィア派展」

2017年1月21日(土)-4月2日(日)

会場:東京都美術館 企画展示室 (東京・上野)

 

開室時間:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)

夜間開室:金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)

休室日:月曜日、3月21日(火)

※ただし、3月20日(月・祝)、27日(月)は開室

展覧会サイト:http://titian2017.jp

 

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