近藤さんが勝って、伊吹も勝ってヤマハ圧勝 | 一郎のだまされ日記

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チーム黒山レーシング 黒山一郎でございます。




⚫近藤さんが勝って、伊吹も勝ってヤマハ圧勝

伊吹健次って誰も知らないだろうけど、私が駆け出しの頃の関西のすさまじい執念と努力の人。
今で言う国内A級なんだけど「頂点に駆け上がり、トライアルで食う」というすさまじい信念のもと、バイトで稼いだ金すべてでガソリンを買い込み、中古のYAMAHA/TY250Jに中古のオンボロ軽トラで、当時、出来たばっかりの京都/亀岡トライアルランドが練習拠点。

暗くなって練習が出来なくなると、買ってきた食パンの耳をかじって山水を飲み、軽トラの荷台にグリーンシートを斜めにかけテントがわりにし、寝袋でそのまま泊り込み。
これが4~5日続き、雨の日もそのまま軽トラの荷台に半分濡れながら寝て練習継続。
1年以上、天気でも雨でも天候関係なしにこれをやるもんだから「ゴホンゴホン」とおかしな咳をし始め、でもやっぱり咳をしながら練習続けて、きっちり結核発病。

結核が判明する前にこの早戸川大会、私と同じジュニアクラスを戦って当然のように伊吹が制したわけですが、結核がわかって「人に移る」から入院生活を余儀なくされて、そのままトライアル界から消えたという伝説の人が伊吹健次なの。

子分という言い方は失礼だけど、たしか伊吹といつもいっしょに練習していた西田等というのもいて、この人も同じく結核で入院、トライアルを断念した人。
多分、伊吹のが移ったのだと思うけど、また逆に、西田が伊吹に移したのかもしれない。

子分の子分もいて、京都トムスの吉川さんとBOSCO.MOTOの橘田さん。吉川さんとはあんまり練習したことはないけど、橘田さんとはけっこうよく練習し、ゴホンゴホンとおかしな咳をしていたのを覚えているけど、発病まではいたらずで、あぶなかったですね。

私??、私は大企業に勤めていたから強制的な定期検診があったから安心とは言わないけど、でもまあ、私も結核にならなくてよかった。

トライアル4度全日本チャンピオンのエトスデザインの近藤博志さんも、駆け出しの頃は、これと同じことを神戸六甲山を拠点としてやっていたなんて話を聞くけど、近藤さんと私はライバル同士だったんで、あんまりいっしょに練習していなくて本当のところは知らない。
日雇いタクシーのアルバイトをして、練習できるガソリンを買い込むだけ稼いだらバイトを中止、そのまま六甲山中へ泊まり込み練習。
練習するガソリンがなくなったら、町へ降りていき、またタクシーのバイトして稼いで、また山へ行っての繰り返し。

伊吹は亀岡へ、近藤さんは六甲へ、私は生駒へ、が生活のすべてだった人生の一時期。

いやはや良い悪いは別にして、こういう人が、私が頑張っていた時代には何人もいて、今のトライアルの基礎を築いたのは事実。
少し時代が違うけど、先日の全日本鳥取大会国際B級で勝った復活組の北海道の小林直樹さんもその一人ですね。

小林さん、自分にも他人にも厳しいんで、教え指導するんだったら今の若いのはとてもついていけないと思う。
私みたいに、知能がまだ完成していない幼児か子供をさらってきて教えるのがベスト。

エキスパート、関西のナンバー1の近藤博志さんはこれも当然のように勝って、2位は同じく関西の健さんこと/加藤文博さんで、関西強しは伝統的にこの頃からなのかもしれない。

⚫自分は7位か8位か覚えていない

私って何位だったんだろう。7~8位だったような気がするけど、まったく順位に興味がなくて、早く帰って「見たこと新しい乗り方」の練習をしたいのが、いの一番。

人生で一番「ワクワクどきどき」の時代で、まさに「トライアルすることが面白くてしかたがない」ん、だったんだろうね。

10年後、私が警察を辞めてヨーロッパに出て行ったのも、日本でのトライアルに「ワクワクどきどき」がなくなってしまったのが、一番の原因だと思う。
野茂やイチローや松井、他、多くのプロ野球選手が、今、大リーグに移籍しているけど、この人たちも日本での野球に「ワクワクどきどき」がなくなってしまったのも、同じだと思う。

単に「ワクワクどきどき」の為だけに、超安定した職業公務員を辞めて次の新天地を求める。
かっこういいけど、一応は成功したから言える言葉であって、朽ち果て敗残兵で帰ってくると今頃はホームレスで、黙って下を向き口を閉ざしている。