【映画】ELLE を見て ~戦い方と性のあり方~ | 谷町 邦子★荒野のこぼれんぼう

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9月の最初の日曜日に、

小説・映画などを一緒に楽しむ、

仲の良い友人と、サスペンス映画『エル ELLE』を見に行きました。

余りの衝撃だったので、まだ充分に理解できていない点もありますが、

ながながと感想を書いてしまいました。

 

 

 

 

 

 

※以下、真犯人は書いてませんが、

大まかなあらすじや場面について書いています。

 

不穏な日常に走る、大きな亀裂

主人公のミシェルは食事の最中、
外に締め出された飼い猫を家に入れるためにドアを開けたとたん、
覆面の男に襲われる。
しかし、何事もなかったように息子を家に迎え入れ、
夕食を共にし、息子が恋人と住む新しいアパートについて話す。
そして後日、元夫、
ビジネスパートナーかつ親友の女性、不倫相手(親友の夫)を交え、
レストランで事件について話し、警察を頼らず犯人を見つけると宣言した。

孤独な少女のような主人公(設定ミドルエイジ)

さて、主人公のミシェルは無力だ。
どこからともなく襲い掛かってくる犯人に怯え、
防犯グッズも役に立たず、逆に周りを傷つけるだけ。
定職につけず、若くて気の強い恋人に振り回される息子は、
甘えるばかりで叱責も糠に釘。
DVの末、離婚した夫に未練は残す(?)も、
夫は大学院生のヨガインストラクターに恋をしている。
経営しているゲーム会社の社員(男性が多い)には、
強く反発され、味方は少ない。
さらに事件が解決しないうちに、
ミシェルの顔の画像がアダルトゲームの動画に貼りつけられ、
社内で晒しものになってしまう。

主人公演じるイザベル・ユベールは
冷たくすら見える整った顔立ちだが、
大きな瞳と華奢な体つき(さらにそれが際立つ衣装で)、
少女のように見えることもある。
自分以外住む人のない、2階建てで広い、
薄暗い自宅を怯えながらさまよいあるくミシェル。

私が最も主人公の寄る辺なさを感じたのは、
意識を失う母の前で彼女に対する不平を言うものの、
医療機器のアラームにより母の命が危ないことを知った職員に、
病室を追われるシーンだった。

何があっても自分であり続け、委縮しない


しかし、追い詰められた状況でも、
ミシェルは決して意気消沈しない。
息子、元夫、不倫相手、同僚など、
周りの男性ははっきりいってロクでもない人ばかりだが、
真正面から愛し、嫉妬し、怒り、意見をぶつける。
欲情することも止めない。
強烈な自我を躊躇なく周囲にぶつけ、
冷静に他人を観察し、凶暴な反撃を夢想する。

凶悪犯の実父の釈放に戸惑い、周囲の裏切りにも遭いながら、
周りの男性の身体的特徴を地道に観察し、
ついに犯人にたどり着く。
犯人に近づいたミシェルは、
その真意を聞きだそうとするのだった。
なんと勇気のあることだろうか。

弱くて強いミシェルの戦い方

繰り返すミシェルが襲われるシーン、
実際のものもあれはフラッシュバック、
夢想のものまである。
ふいに訪れるそれにはショックを覚えるが、
主人公は毎回異なる反応で反撃を試みている。

暴力に負けないということは、
暴力を働く者を憎むことや警察などの強制力を持って、
強制的に抑止することだけではなく、

(現実的には第3者を介在させた方がいいです)
怖ろしい記憶を自分が無力ではない形に想像の中で変質させたり、
関係を変えようと試みることも含まれるのではないか、
そんな希望が感じられる映画であった。

本当に暴力に負けてしまうということは、
39年前の父による忌まわしい事件になし崩しに巻き込まれ、
メディアや警察に振り回された、
少女時代のミシェルのような状態を指すのだと思う。

おぞましさ、忌まわしさに押し込められた性

私が興味深く思ったのは、
映画で描かれている男性の性のあり方である。
ミシェルに暴行を加える犯人(性行為を強制するというより直接殴っている)と、
主人公の会社の社員が作った身体破壊を含むアダルトゲームに、
主人公が「もっと快感を表現して」と言われ、
製作者が不服気になるシーンが、象徴的であると思われる(さらに付けくわえると不倫相手との気の進まない性行為のシーンなど)。
相手や自分の性的な快楽をなおざりにしてまで求められる、支配、破壊、暴力。
「性加害は性的な欲求によって起こるのではない」という、
最近よく語られがちな言葉を、具体性を持って描いていると感じた。
「感じない男」by森岡正博を再読してみようかな、などと思った。
※男性から見た性のあり方の歪さが書かれていますが、
上記の主張をしている本ではないです。