万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(角川文庫)


初のマキメマナブです、いやータイトルがいつも面白そうで興味はあったんだけど、なんというか、きっかけがなかなか。『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』は入試問題にもちらほら使われていたので、このたび読めてよかったです。


かのこちゃんは、小学1年生。両親と老犬の玄三郎、猫のマドレーヌとともに、小さな庭のあるおうちに住む女の子です。好奇心旺盛なかのこちゃん、小学校で出会った「刎頚の友」すずちゃん、プール、夏休みの自由研究。だいぶ懐かしいシチュエーションをたどりながら、物語は《かのこちゃん視点》と《マドレーヌ視点》で交互に語られていきます。


特筆すべきは《マドレーヌ視点》の第2章、第4章。猫たちの間で「マドレーヌ夫人」と呼ばれ、敬愛されているマドレーヌは、あろうことか犬の玄三郎と夫婦関係にあるんだけれども(あ、精神面で。ひどく珍しいことに言語が通じ、心が通じている犬と猫のカップルなのです)、この夫婦のいたわりあいがなんとも温かく、切ない。身体の衰えが目立つ玄三郎をハラハラと見守るしかないマドレーヌ、このあたりになるともう「猫と犬」というよりは……おだやかな年月を共に重ねてきた老夫婦の趣き。


玄三郎とマドレーヌみたいな夫婦になりたいよ!?


それから、マドレーヌの視点から描写されるかのこちゃんの可愛いことといったら。就学直前まで指しゃぶりの癖が抜けなかった小さなかのこちゃん、その子が小学校にあがって毎日いきいきと遊び、賢くなっていくさま。なんだか親戚のおねえさん感覚で(おばさん、ではない!)愛しく読みすすめてしまいました。


ああ、面白かった。万城目学もっと読みたいな。そういえば、かのこちゃんが宿題で自分の名前の由来について調べることになったとき、お父さんが「そう名付けるよう、鹿に言われたから」と語るトンデモな場面がありますが、これってタイトルだけ見て知っている『鹿男あをによし』に何か関係が……? 次はこれかな?





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Y○utubeを見ていたらキコさんの「I dreamed a dream」を発見!(→


お名前を「季子」と改めて、活動を再開されたときの歌ではないかと推測します。

鳥肌たつほどの声のツヤと伸び、歌詞とあいまって涙が出ちゃう……


活動再開を知りながらライブになかなか参戦できなくて心苦しいので、こっそり宣伝。

このきれいな歌声の人がキコさんです、季節の子と書いてキコさん!おぼえましたねっ!


柚木麻子『終点のあの子』(文春文庫)



う、はああ(悶絶)。私は女子校モノが大好きなので、ほしおさなえ『ヘビイチゴ・サナトリウム』や若合春侑『無花果日誌』そして三浦しをん『秘密の花園』などのひそかな痛みと毒、ああいうの、息がつまるくらい夢中になって読んでしまいます。


『終点のあの子』は連作短篇。中高一貫の女子校を舞台に、十代の女の子たちが憧れ、傷つき、苛立ち、怖れる姿を描いています。作者自身が私立の女子校出身みたいで、放課後の派手グループの感じとか、表に出さないけど実は強い自負があるとか、それぞれの描写がひどくリアルです。

特に好きなのは、第一話「フォーゲットミー、ノットブルー」。外部生として高等部へ入学してきた朱里。ものおじしない彼女に、内部生の希世子は惹かれつつ、次第に違和感も覚えるようになります。そうして、ついにその日……。まるでサスペンス!


だいたい、女の子の十代なんて(私も女子校育ちで十代の男の子についてはよく知らないので、とりあえず女子に限定します)思考力が飛躍的に伸びるのに行動力や行動範囲は限られていて、もどかしくて仕方ない時期。お友達との間でも、容姿や成績や、わかりやすい特徴をとらえてはすぐコンプレックスを増幅させてしまうし、何かのきっかけで雰囲気が悪くなった時なんてもう……苦しくて世界の終わりみたいな気分になってしまう。まあ私の母校では校風もあるのか、基本的にはグループ同士の対立もなく協力して和やかな日常を保っていましたけど。


いやー、後味は必ずしもよくないし気疲れするけど、女子校モノははまるー。(あ、「これが女子校の実態! 女子って怖いわねー」とか言うつもりは全然ありません、念のため)




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ご挨拶が遅れましたが、みなさま新年あけましておめでとうございます。

近年つつましく本の感想を投稿しているだけの当ブログですが、何かのご縁でいらした方が楽しんでいてくださったら嬉しいです。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


さて、お正月は昔から(元日を中心に本屋さんがしまってることが多かったため)長篇、もしくは初挑戦の作家の本をじっくり読むようにしています。ことしはようやく米原万里さんの小説を読みましたよ。




米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』(集英社文庫)



オリガ・モリソヴナ。もう三十年も前に、在プラハのソビエト学校で舞踊を教えていた女性。すごいファッションに身を包み、痛烈な罵倒として逆に褒めちぎる、独特の反語法を用いていた彼女が結局のところ何者だったのか、三十年の時を経て志摩が当時の同窓生と共にさぐっていくという趣向です。

手元の文庫本はやや厚めで、さらに私はカタカナがどうにも苦手(したがって世界史も苦手でした)なのですが、いやもう、すさまじい引力でぐいぐい読んでしまいました。


志摩たちがソビエト学校で学んでいた時期、およびその前後、本国ロシアというかソビエト連邦は歴史的にひどく緊迫していたもよう(世界史の知識がまるっと欠落している自分がはずかしい……)。そんな苛酷な時代に、オリガ・モリソヴナみたいな濃すぎるほどの個性の持ち主が教職員として採用されていたこと自体、実はとても不可解な事態。膨大な資料を読みあさりながら、志摩と同窓生のカーチャ、また途中で知り合った友人たちは丹念に「オリガ・モリソヴナの真実」を追っていきます。当時のソビエトに満ちていた逮捕と粛清の恐怖、引き裂かれた多くの家族、それから、強制労働の日々を綴った手記など……

身に覚えのない、はっきりいってわけのわからない罪状で日常を奪われ、引き離されたまだ幼い子どもは過去を消すために名前を変えられ、親に行方を知らせないまま孤児院に預けられる。それがまかり通っていた時代。

なんというかもうあまりに怖ろしくて語彙がシンプルになってしまうけれども、「こわい、いやだ」、そんな時代を生き抜いたオリガ・モリソヴナの航跡が、かすかに光って流れていく星のように胸にしみる物語でした。あ、何度か但書がありましたが、「オリガ・モリソヴナという舞踊教師は実在したが、その人生については著者のフィクション」とのこと。なんてことなの、迫真の描写力です。


読み終えてまだちょっと呆然としていますが、お正月にチャレンジしてとてもよかった。


……あ、でも、序盤であるバレエ公演をみた志摩の独白、あきらかに牧阿○美バレエ団と草○民代を皮肉っていて(本筋と関係ないにもかかわらず)どきっとしました。そしてどうやら、ボリショイ劇場でぶざまな踊りを披露していた日本人バレリーナにもモデルがいるようです。寄付はありがたいでしょう、でもだからって実力と大きくかけ離れた配役で舞台に立たせるのは、本人のみならず劇場やバレエ団の名前にも傷がつきかねない危険行為だと思いますけどねー。あいにく私はバレエを観る目が育ってませんし、こんなこと言っても特に説得力がないって自覚していますけれども、まあ覚書として。

 

 


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