友の言葉 | モーフィアスのブログ

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数日前に海外在住の旧友と再会した。
もう10数年振りになるか。。

 

友曰く、帰国して愕然としたと言う。

 

自分が生まれ育った日本があまりにも激変してて言葉を失ったと言う。

海外を転々と移り住んでて日本の事はネット上での情報で
知ってはいたけど実際に帰国して自分の目を通して映った日本

規制事項や禁止事項ばかりが目立って物凄く不自由さを実感したらしい。

 

海外に勤務する前はもっと自由が存在したが
今の日本は国がメディアを利用して国民を洗脳してると語った。

 

昔から観察力、洞察力に長けた奴で頭の回転も速い。

 

電車に乗っても街を歩いても日本人が皆、下を向いて歩いている。

店に入ると店員さんもマニュアル志向の所ばかりで
感情が稀薄してる。まるでAIと会話してるかのよう。。

 

そして何よりも怒りや諦めと云った感情を痛感したと言う。

人が本当に楽しくて嬉しくて心から笑顔で居る人が
めっちゃ少ないとも語っていた。

 

確かにずっとこの国に住んでいると国の在り方が
何でも国民負担になっている。

様々な意味で違和感はずっと感じていたが
ここまで、ずばりと云われると目が覚めるかのような感覚が走った。

 

「利権」とか「売国」と云った言葉を引用した書籍も多く目にする。

普段、何らかの違和感を感じながらも、この国のやり方で
生きている自分がいる。

 

友も別に反社会人になれとか革命を起こせと言ってる訳ではない。。

ただ、こんな窮屈で不自由さを感じる母国に憤りを感じたと語っていた。

 

自論だが、「昔は良い時代だった。。」と言う言葉は
あまり好きではないし、使わない。

ただ、旧友と会話を交わしていて
その言葉が妙に当てはまる感覚もあった。

 

何を選択してどう生きるかは個々の自由

 

ただ、ずっと外で暮らしていた友から見れば
帰国して自分の肌で感じてここまで口にする

相当なショックを受けたのだろう。。

 

この国で、こんな時代だからこそ余計に問われる

自分は何を選択してどう在りたいのか?
どう生きていくのか?

 

友の言葉には心に伝わる熱い想いがあった。

 

アメリカやヨーロッパ各地で仕事柄、長年過ごして
10数年振りに見た母国、日本。


外国の様々な文化の中で過ごして来たからこそ
余計に日本と言う国の異変に気付いたのだろう。。

すごく刺激をもらった。そして考えさせられた。