わたしたちは何かと困った時には「神頼み!」と必死に手を合わせる習慣が身についておりますね
その心中はおそらく、何かしらの第三者が出現してお悩みやお願い事を良い方向に導いてくれますようにと心から祈る行為を意味しているのでしょう
ところでこの「頼み」なる語・・・・。過日ある方が「頼みって、もとは田の実からきた言葉なのです!」ってご講演されており、皆「ふ~ん」って感じで拝聴されておりましたが、私としては「う~~ん・・・当たらずしも遠からず・・・」でした
確かにある時代、田の実と頼みは同音であることから掛け合わされたことは事実です・・・。
事実なのですがっ!!元をたどれば「頼み」とはある意味、神社の祭りで奏上する祝詞(つまり万葉語)にその源を発見することができるのです
ちょいと話は横道にそれますが、神社という組織には古来より役職が定められており、一般的には「宮司」「禰宜(ねぎ)」「権禰宜(ごんねぎ)」「出仕(しゅっし)ないし主典(しゅてん)」という順番がございます。
注目すべきは「禰宜(ねぎ)」なる役職の意味!
「禰宜」とは「願(ねぐ)」の意であり、神様に願いを伝えるお役目と解釈されます
祝詞においては「(願い事を)乞願(こいねぎ)祷(まつ)る)」といった言い回しがあり、乞(こ)うという言葉が、現在の「恋」に変容し、あなたのお力が(=心)が今の私に必要なのですと訳されますので、恋願(こいねぎ)と表記したほうが伝わりやすいかもしれませんね・・・特に片思い中の方には
意味をご理解いただいたところで、次は「願(ねぐ)」のもう一つの漢表記!これが「祈ぐ」なのです。
祈りを漢表記にした祝詞の言い回しになると「(願い事を)乞祈(こいのみ)まつる」となります・・意味はまったくいっしょです!
意味は同様ですが、音が「ねぐ」から「のみ」と変わり、実はこの意(こころ)が大変重要なポイント!
すでにお気づきでしょう!「たのみ」の「のみ」とは、「祈り」の意味なのです
では「たのみ」の「た」とは何なの?・・・っとなりますが、「た」という音は間違いなく「手」を意味しますので、したがって「頼み」とは「手祈(たのみ)」が本義となります
しかし、手を合わせて祈るから「手祈」となった訳ではなく、古来より「手」とは接頭語として「手鋤(たすきと読みます。農耕用具の一種で密集した場所に隙間を作ります。床屋さんでも「鋤きますか」と言うのはここから来ております!)ける=助ける」というように、自身の隙(=鋤)間時間を他者に手(労働力や知恵)を与えて達成の協力をするの意となり、つまり「助ける」という語に相成ったわけでございます
したがって「頼み」とは、「手(家族や地域、あなたの友人や仲間の協力)を祈(のみ=心からお願いする)ることによって、秋の稲穂からまさに「田の実」がなるかのように、物事が実現するという意味となるのです
更に他者のお力が必要になった場合は「手=協力」にさらに「寄りかかる」という言葉で「手寄り=頼り」となる訳ですね
しかし、他者に寄りかかる大前提として、「祈り」とは「自らの意思を宣(の)る」ことから「意宣(いのり)」なので、これだけの努力をしますという誓いを神様に申し上げるのが本来の「祈り」の意ですから、そこは勘違いしてはいけません(*´∀`*)