♪法に生きる先人の心♪ | ♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡

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~何気ない言葉の中には貴女に知ってもらいたいメッセージが沢山込められています。学校では教えられない和の伝言をここに綴ります♪~

受付をする際には必ずお名前をお聞きするのですが、最近、特にお若いご夫婦においてご主人が「家(うち)の嫁」と口にする方が増えてきたように感じております。

 

嫁=奥様だと勘違いされているような気がしてなりません・・・。

 

嫁(よめ)とは本来「良女(よめ)」の意で、出来の悪い息子なんかを育てたこんな家にわざわざ来てくださる良心ある女性に対して姑が敬称する呼び方ウインクウインク

ちなみに逆のパターンは娘に嫁いできた子(男性)の意で、これを「娘子=婿(むこ)」と言います音譜

 

いつからこんな変な呼び方が流行したのか存じませんが、やはり「私の妻」と言ったほうがしっくりすると思いますウインク

 

さて、報道を見ていると相変わらず「靖国神社に〇〇がお参りしたーー!けしからん!」といった論調が垂れ流されておりますネ・・。

理屈がどうであれ、まずもって日本人が日本の神社にお参りすることを日本人が問題視するという歪(いびつ)さにおそらく多くの方々は「???」となってしまっているのではないのかなと、実際に現場のお声を聞いていて感じております。

 

中には「特定の宗教施設に〇〇が参るのはけしからん!」と指摘される方がいますが、では憲法に保障される「個人の権利」は適用外となってしまうのでしょうか?

私的とか公式ではなく、個人の権利が保障されている国家なのだから常識の範囲内の「神社参拝」であって、もはやそれ以上、それ以下でもないはずなのです。もし、憲法に保障されている権利すらイデオロギーが支配してしまえば、民主国家ではなく、ある一定の権力をもった機関による世論誘導によって政治を自由に動かすという身の毛もよだつ国柄となってしまいます・・・ガーンガーン

 

ここで大事なポイントは「神社」が本当に「宗教of宗教」なのかという点です。

 

以前にも綴りましたが、所謂既成宗教の原則には「教祖・教義・教典=経典」という3つの教というものが存在します。

 

実は神社が宗教・・・ではなく「宗教法人」とされたのは戦後のこと・・。

 

実際、神社においてはいまだに3つの教など存在しておりません・・・もし、そうした神社があるとしたら、それは新興宗教団体が〇〇神社と名乗っている可能性大で、一般的な神社とは全くの無関係です・・・。

 

しかし私はここで宗教論争をするつもりは毛頭ございません。( ´艸`)

 

宗教法人であることは間違いなく、法に基づいて適正に運営し、そんな中にあっても神社という文化を守ってこられた先人の知恵を後世に伝えたい!それを職制と捉えて働いておりますウインク

 

そんでもってですネ・・・今回は、神社を作り、その心を残してきた先人の思いは、現実に法律として現在もしっかり受け継がれている一例をご紹介します音譜音譜

 

民法第897条 「祭具及び墳墓の所有権は、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべきものが之を継承する。但し、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者がこれを継承する。前項本文において慣習が明らかでないときは、前項の権利を継承すべき者は、家庭裁判所がこれを定める」

 

この法律が皆様方にとって直接関係してくるのは、相続関係時に限られてくる場合ですので、平素は全く見聞きすることはないと思います。

 

しかし現民法におけるこの言葉をあらためて俯瞰すれば、これまでわたしが述べてきた「神」とは「隠身(かみ)」であり、この世から姿をけしても隠れた身として体内に生き続ける祖先の意であり、体は=「殻(から)」であって、御霊が抜けてしまったもので、これは地の中、つまりお墓に戻すという祭り、したがって「葬祭」という文化が確かに我が国文明の原初に存在し、現在もなお受け継がれているという一つの根拠であることがご理解いただけるかと思います。

 

時代の趨勢の中で、人生儀礼における「冠婚葬=祭」には確かに既成宗教という枝葉が習合し、現在に至っていることは確かな事実です。

 

他方、この歴史的流れから逆に「宗教」というフィルターを通して「祭り」という伝統文化を見直すと、神社神道が本当に宗教なのかな?という疑問への一つの答えが導き出されることへと繋がり、ゆえに現民法においても「祭具・祭祀」という言葉が使用されていると理解できると思います音譜音譜

 

だからと言って、既成宗教が良い悪いといった論は全くの愚問。

 

どんな形であっても、先祖あっての自身であり、自身もまた先祖となりえる存在なのですから、感謝の誠をもって家々の先祖慰霊を奉仕して欲しいなっと心から望んでやみません。

 

でもね!嫁という言い方にしても、神社とお寺が全く異なろうとも、ある種の報道関係が騒ぎ立てるほど問題視しないという寛容さも日本人の良さなんですよネ!

 

ちょっとしたことでなんでも問題!問題!責任!責任!では息が詰まっちゃう泣泣

 

寛容さをもって、島国に生きる狭い民族同士仲良く生活していく術を過去から学び将来に活かす・・そんな世論に風向きが変わっていけたらいいな・・って思います。