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健康天使abo Health Creator

面白い記事を投稿してますので、チェックお願いします!!
みなさんの生活にちょっといいものをプラスして、楽しく賢く笑顔に過ごしていきましょう^_^
より良いものをみなさんと一緒に作って行きたいと考えています。
コメント待ってます!

私たち日本人は昔から油を使わない食べ方で健康に暮らしてきました。お米や野菜や魚を茹でたり焼いたりして、何百年もの間、元気に過ごしてきました。
でも、明治時代から海外の食べ物が入ってきて、油っこいもの、べたべたしたもの、かたいままのものも食べるようになってしまいました。
チーズ、バター、揚げ物、炒め物、生野菜、ステーキやパンなどがそうです。それらを食べると、消化できないため、体がだるくなったり、お腹が痛くなる人が増えてきたんです。
また、胃や腸が傷ついたり汚れたりして、胃がんや大腸がん等怖い病気になる人も多くなっています。
欧米人は長くチーズやかたいパン、肉のかたまりなどを食べてきたので、日本人と遺伝子が違うのかもしれません。

なので、油分が多いもの、硬いままのものはお通じに悪影響を与えるので、摂りすぎないようにしましょう。 食事はバランスよく、噛み砕くことも忘れずにね。
人によって、食べ物の好みや体の反応は違うものですから、自分に合ったものを見つけることが大事ですよね。
海外の食べ物も楽しむことができるように工夫してみましょうね。
 

Tiktokで健康の知恵を紹介しています。
毎日1分で健康が改善出来たら安いと思いませんか?
tiktokアカウント⇒ado3357_pharmacist(健康天使ado Health Creator)

ツムツムで500万点以上を出す方法

サリーのスキルを紹介しますと、サリーは大ツムを2個以上発生させることが出来ます。
発生させることが出来る大ツムの個数はスキルレベル1では2個、スキルレベル2では2から3個、スキルレベル3で3個、スキルレベル4で3から4個、スキルレベル5で4個です。最大のスキルレベル6まで上げると、大ツムを4個から5個発生させます!
スキルを最大限の効果が発揮できるように、ルビーを無料で手に入れる裏技 を使ってプレミアムBOXをたくさん購入してサリーのスキルレベルを6まで上げましょう!

 

 

アイテムの使用

 

使用アイテムは、スコア10%アップ、プレイタイム5秒プラス、ツムの種類数削除の4つです。
コインボーナスと経験値10%アップは得点には関係ありませんので、使っても使わなくても構いません。
6つ以上でボム出現のアイテムは、サリーのスキル発動の邪魔になってしまうことがありますので使いません。


500万点を出すプレイ方法

 

プレイスタートから狙うものは、サリーのスキルを発動させることです。
スキルゲージはサリーのツムを消すことで貯まっていきますので、サリー以外のツムを消してサリーを出来る限り長く繋げて消しましょう!
ツムを上手く消すには、時間を止める裏技 を使いましょう。

 

 

 

サリーのスキルゲージが貯まって、スキル発動してからが本番です。
ここからは時間を止める裏技も必要ありません。とにかく、どれだけ早くサリーの大ツムを繋げて消すことが出来るかというスピード勝負です。

 

 

 

サリーはスキルレベル6になると、大ツムを最大で6個発生させます。
なんと、この発生した大ツムを4個繋げて消すとすぐにまたサリーのスキルを発動させることが出来ます!
3回目以降からスキル発動に必要なツム数が増えて大ツム4個ではスキルが発生しなくなりますが、大ツムを5個消せばスキルがすぐ使えるようになります!
これがどういうことかと言いますと、1回スキルを発動させれば、連続でスキルを発動させ続けることも出来るということです!

 

 

 

大ツムは1個でツム5個分ですので、5個消せば25個消したのと同じことです。
コンボ数が増えていて、さらにフィーバー中だったら、1回のサリーのスキル発動でとてつもない点数が出ます。

 

 

 

しかし、実際はそんなに上手くスキルを連続で発動させることが出来ません。
なぜなら、スキル発動で発生した大ツムを毎回5個繋げて消したり、即座に消せるわけではないからです。

 

 

 

では、大ツムをすぐに5個消せない場合はどうしたらいいのでしょうか。
フィーバー中なら、コンボが途切れることがありませんので、邪魔なツムを消していきましょう。
フィーバー中でないのなら、とにかくフィーバーに入れることを最優先に考えて、大ツム1個でもいいのでとにかく消します。
そうするとボムが発生しますので、発生したボムを即座に使ってフィーバーに突入させましょう!

 

 

 

ただし、ボムを使う際には1つだけ注意しないといけないことがあります。
それは、大ツムの近くで使わないことです。ボムを使うこと、ボムの周りのツムを消してしまいます。大ツムをボムで消してしまうことは点数的にもその後の展開的にもおすすめ出来ません。

 

 

 

これらのことを意識すれば、500万点を越えることが可能です!
ただし、安定して500万点を超えることが出来るかというとそうではありません。

 

 

 

サリーのスキルで発生した大ツムをどれだけ繋げて消せるか、フィーバーにどれだけ突入させることが出来るか、サリー以外の他のツムの並びなど運要素も大きく関わってきます。
それでも、この方法を使えば500万点を越えることが出来ますので、何回も挑戦して誰にも負けない高得点を出しましょう!


福山雅治、ビートたけし、タモリは1日1食。カロリー4割減なら老化を防ぎ、6割減なら悟りを開ける。

近年、様々なドキュメンタリーやファーストフードに関する調査が行われ、人々が自分たちが食べているもの、そしてその食べ物が自分たちの体にどのような影響を与えているかを真剣に考えるようになってきました。

少し前まで、「オーガニック・フード」や「ファーマーズ・マーケット」と言えば、青山や自由が丘のセレブがファッション感覚で食べているようなイメージがありましたが、「食」という漢字は「人」を「良」くすると書き、「良く生きる」ことは「良く食べる」こと、逆に言えば、「食べ間違い」は「生き間違い」ということになってくるのかもしれません。

現在、日本の農産物のうち、オーガニック(有機野菜)が占める割合は、たった0.24%、オーガニック先進国と言われるヨーロッパは、スイス10.9%、イタリア8.9%、ドイツ4.7%、そしてイギリスが3.9%と、このデータを見ただけでも日本の状況がどれだけ酷いのかが良く分かります。(オーガニック革命 高城剛P138)

そもそも日本の伝統的な食生活は、戦前まで至って質素で健康的なものでしたが、戦後しばらく、飢えに苦しむ日本がアメリカからの食料援助を受けたことで、日本の食生活が激変してしまいました。



↑戦後、日本の伝統的な食生活は激変していく。(fujita-kazuhide)

1954年、日本では学校給食法が制定され、アメリカで大量に余っていた小麦が、パンや脱脂粉乳として子供たちの給食に登場したことで、子供たちの舌はアメリカの食生活に洗脳され、日本はアメリカから永続的に小麦や牛肉を買い入れてくれる、総勢1億3000万人のリピーターになりました。

日本マクドナルドの創業者、藤田田は次のようの述べたと言われています。

「人間は、子供のころに食べて覚えた味はその後、一生食べ続ける。」



↑一度「洗脳」された舌を直すのは難しい。(James)

ご存知の通り、アメリカの食べ物は高カロリーのものが多いですが、ウィスコンシン大学で20年間にわたり、餌のカロリーを70%に制限したサルのグループとカロリー100%のグループを比較したリサーチによれば、70%に制限したグループのサルは毛のツヤがよく、肌も若々しくて、活発に動き回り、1.6倍も長い生きしたのに対し、カロリー100%のグループのサルは一様に老け、毛もパサパサだったそうです。

さらに1935年にコーネル大学のマッケイ教授が発表した調査によれば、カロリー60%に制限したマウスのグループは、カロリー100%のマウスに比べて2倍長生きすることが分かりました。

インド国立栄養研究所のマッカリソン博士が行った実験でも、白パン、マーガリン、白砂糖入り紅茶、そして缶詰の肉などイギリスの通常の食事を与えたマウスは脳に精神異常が見られ、最終的にはお腹は満たされているのにもかかわらず「共食い」を始めてしまいました。

長寿研究の世界的な第一人者である森下敬一博士は、この実験について次のように述べています。

「イギリス食の献立は、昨今、レストランばかりか、日本人の日常の食卓にも上がり始めた食事内容であるだけに、いろいろな問題をはらんでいる。」

最近日本でも、この行き過ぎた高カロリーの食生活におかしいと気づいた一部の著名人が、「あまり食べない食生活」を心がけていると聞きますが、中でもビートたけし、福山雅治、ガクト、そして30年以上、「いいとも!」を休まず続けたタモリさんは、「1日1食しか食べない」と公言しており、シャカ、マホメット、そしてイエス・キリストは断食修行を繰り返したことで悟りを開いています。



↑「オイラは1日1食しか食べないよ。朝は野菜ジュースだけ。」(eLENA tUBARO)

そもそも毎日3食を食べているのは人間サマぐらいで、過酷な自然界では1日どころか、1~2週間エサにありつけないことも普通にあるそうです。

このような自然界に身を置くと、餓死に対して抵抗力がつき、空腹になればなるほど、直感や行動力が研ぎ澄まされ、視覚、嗅覚、聴覚、そして瞬発力など、動物が本来持つ力を飛躍的に高めることができます。


1998年に、米国バージニア州で開催された「抵齢学会」の報告によれば、通常よりも25%~40%を制限することで、老化、肥満、ガン、糖尿病、冠状動脈疾患の予防に大きな効果があることが証明されており、少食がガン予防と治療に、極めて有効であることが立証されています。

船瀬 俊介さんは「やってみました! 1日1食」という本の中で次のように述べています。

「政府や医学界が”3食キチンと食べろ”とうるさく言うのは、”キチン” と食べて、しっかりと病気になって、しっかりと稼がせてくださいというホンネが裏にあるのです。ドイツには古くから次の諺があります。1日3食のうち2食は自分のため、1食は医者のため。」

「腹8分(カロリー2割減)で医者いらず、腹6分(カロリー4割減)で老いを忘れる、腹4分(カロリー6割減)で仏に近づく。」




↑3食キチンと食べて、しっかりと病気になって下さい。(arvind grover)

2010年、チリ鉱山で地盤事故があり33人が地底深くに閉じ込められましたが、彼らは48時間ごとにビスケット1枚、ツナ2さじ、そしてミルク1杯を食べたそうですが、救出された時、ガッツポーズを取るほど元気な姿だったことを考えると近代の栄養学が100%正しいわけではなさそうです。



↑救出された時、衰弱しきっていたわけではなく、みんな元気だった。

さらに、食事を減らすと睡眠の質が上がるため、睡眠時間も短くて済みます。実際、昔の日本人は、1日2食で睡眠は短く早起きで、天皇家もずっとその規則を守っているそうです。

日本には、日本人が自覚していない優れた文化がいくつもあり、特に食文化に関しては、マドンナやトム・クルーズなど海外のセレブが実践している「マクロビオティック」が有名ですが、マクロビオティックは精白されていない米(玄米)など主食とし、副菜として野菜や海藻、豆類をとる食生活で、日本人の桜沢如一氏が考案しました。

マクロビオティックは「自然と調和をとりながら、健康な暮らしを実現する」という意味で、ヨガの思想にも近く、ニコール・キッドマン、デミ・ムーア、クリントン元米大統領、キューバののカストロ前議長、日本では松井秀喜選手なども実施しているそうです。

コンビニや自動販売機がこれほど街中に溢れている都市は世界中探しても東京ぐらいしかなく、日本は戦後古い価値感から脱却し、20世紀のアメリカ的な思想に習ってあらゆるものを効率化してきました。

それは20世紀の価値感からすれば、日本は世界的に見てもかなりの優等生だったのかもしれませんが、国の登録有形文化財に登録された歌舞伎座の建て替えや、経済優先でどんどん壊されていく美しい田園、そしてアメリカの食文化に洗脳された舌など、そろそろ僕たちは、20世紀の効率を重視するアメリカ文化から脱却していかなければなりません。

「龍馬が行く」の著者として知られる、故人・司馬遼太郎さんは日本の未来について、「不用意な拡張や破壊を止めて、自然を美しいものとする優しい日本に戻れば、この国に明日はある」と述べていますが、食生活に関しても同じことが言えることがないでしょうか。

地球温暖化を防ごうとゴミの分別を頑張っても、地球環境がよくなっているとはとても思えません。日本の伝統的な自然を守ろうと一人で叫んでも何も変わらないかもしれません。

でも食生活は自分の健康に直結し、体に良いものを食べれば体調の変化にすぐ気付くため、結果が分かりやすいのではないでしょうか。20世紀のアメリカ的な考えから脱却し、新しい時代の一歩を踏み出すのは、一番効果を実感しやすい食生活から変えていくのが一番早いのかもしれません。
朝食でパンを食べることが、人間の脳と体を完全に狂わせる。

日本は小麦の全消費量の85%を輸入に頼り、しかもその6割はアメリカ産が占めていますが、現在アメリカで収穫されている小麦は、20世紀後半に行われた遺伝子研究によって形質転換されたもので、本当に天然の小麦とは明らかに異なります。

米国の医師ウィリアム・デイビス氏は、「現在の小麦が本物の小麦なら、チンパンジーは人間だと言うようなもの」だと指摘し、この形質転換された小麦が肥満、高血圧、糖尿病、そして心臓疾患の原因になっており、患者2000人に独自の「小麦抜き」の食生活を実践してもらったところ、病気や疾患が見事なまでに回復する結果になったと同医師は述べています。



実際、どこのスーパーに行っても、パン、ベーグル、シリアル、そしてパスタなど小麦食品だらけで、高度成長期以降、「日本食は欧米食よりも劣っている」という考え方から、欧米食生活が一気に日本に流入し、日本人の食生活が一気に変わってしまいました。

しかし、日本がアメリカから輸入している小麦は収穫量を増やすために、病気や日照り、そして高温に耐えるように品種改良したもので、大幅に形質転換された品種の小麦は、人工的な硝酸塩肥料や有害生物防除なしでは育だちません。

さらに、日本が輸入している小麦はカビが生えないよう、防腐剤が大量にふりかけられている場合が多く、このような輸入小麦がパン、ラーメン、パスタ、そしてお好み焼きなどに使われていると考えるだけでも、何となく食欲がなくなってきます。

「小麦は食べるな!」の著者、ウィリアム・デイビス博士によれば、現在北米の小麦農家の平均収穫量は100年前と比べて、10倍を超えており、食生活に小麦が取り入れられたことで、食品業界や製薬業界が信じられないほど大儲けしたことを考えると、ある権力グループが収穫量の多い低コストの小麦を大量生産し、何千億ドルもの小麦加工食品の販売をたくらむ大手食品メーカーの先頭に立っていた可能性が高いと述べています。

乳ガンはもともと欧米に多い病気ですが、ここ最近では日本でも乳ガン患者が急激に増えており、料理評論家の幕内秀夫さんによれば、乳ガンの患者さんで、朝にパンを食べている方の割合は、40歳以上で7割、20代、30代では8割に上ると言われています。

そもそも、食事というのは、「その前の食事で何を食べたか」の影響が非常に大きく、例えば朝食にしっかりご飯を食べたら、昼食までそれほど強烈な空腹に襲われることなく、自然とうどんやそばなど軽めの食事でも満足できますが、パンは高脂肪のわりに腹持ちが悪いため、昼食はラーメンやパスタなど高脂肪の食事をガッツリ食べたくなってしまいます。

肉体労働の人が「パンは食った気がしない。」とよく言いますが、それもよくわかる気がします。



小麦は脳にも大きな影響を与え、小麦を取り続けることで脳が、「もっとカロリーを摂取しろ。」と指令を出したり、活力や気分、そして睡眠の作用にも障害をもたらします。「小麦は食べるな!」の著者、ウィリアム博士は小麦について疑問を感じた時のことを次のように述べています。

「私は奨学金をもらって大学に行きました。大学からは大量の食券をもらったので、朝食を食べるためにカフェテリアに飛んでいきました。貧しかった私にとって、ホットケーキ、ベーグル、パンなどが好きなだけ食べらる環境は夢のようでした。しかし、どれだけしっかり睡眠をとっても、何杯コーヒーを飲んでも、私の体は常に疲れており、授業ではいつも眠くなってしまいました。最終的には大学をドロップアウトしなければならなくなったのですが、大学から出たあとは、気分がかなりよくなりました。」


コロンビア大学の研究によれば、小麦を断つことによって一年以内に肥満の患者が半分に減り、太り過ぎだった被験者の50%以上が平均で12キロ減量しました。

小麦が人体に与える影響として、血糖値の大幅な上昇、病気や老化の原因となる糖化反応、神経障害、そして糖尿病など、体への悪影響を与えればきりがありませんが、ウィリアム博士は小麦を食べない分、野菜やナッツ、肉、卵、オリーブ、アボカド、チーズといった「本物の食品」でお腹を満たすことで、栄養不足になるどころかもっと健康になり、よく眠れるようになると述べています。


基本、飲食店は家庭と違って「儲け」を出す必要があり、できるだけ食材にかかる費用を切り詰め、儲けを大きくしなければなりませんが、やはりどうしても家庭料理と比べて味の質が落ちしてしまいます。

なので、飲食店は「砂糖」や「油」そして「うまみ調味料」などの精製食品で食材の悪さをカバーし、健康面はさておき、とにかく消費者の舌を喜ばせようと「快楽を与えるための食事」を提供し続けます。

そもそも食というのは、「全人類に共通して良いもの」があるわけではなく、その国、その地域など、それぞれの「風土に合った食事」というものがあり、それを摂取することが一番だと言われています。

欧米人の食生活が一方的に悪いと言うわけではなく、日本人には日本に合った食文化があり、欧米人の食文化をそのまま日本に持ち込めば、何らかの問題が起こるのは間違いないのではないでしょうか。



↑その風土に合った食事をするのが、健康には一番良い。(puamelia)

言い方は少し悪いかもしれませんが、日本は戦後70年にわたってアメリカからカツアゲされ、安全保障をちらつかされながら、散々吸い上げられてきました。しかし、そんなアメリカに憧れる時代は完全に過ぎ去り、国家なんて関係なく、個人の意思でアメリカの食文化と決別することが、日本にとっては大きな前進になるのではないかと思います。

世界的に有名なハーバード大学の国際政治学者サミュエル・P・ハンティントンは、21世紀の国際社会は自国の伝統や文化を基本としたアイデンティティの戦いになるだろうと述べていますが、アメリカの食文化から離れられないようでは、日本の価値観や考え方は、まだまだ20世紀型に取り残されたままなのかもしれません。
ツイッター創業者ビズ「僕がツイッターのコードに人間味を付け加えた。」

ツイッターの創業者はジャック・ドーシー、エヴァン・ウィリアムズ、そしてビズ・ストーンで、ジャックは誰もが認める天才エンジニア、エヴァンはBloggerというサービスをグーグルに売却した実業家であり、創業当時全く利益が出ていなかったツイッターの財務を長期間支えていました。

しかし、ビズはエンジニアでもなければ、貯金もない普通の若者でしたが、昨日発売された、ビズの著書「ツイッターで学んだいちばん大切なこと」の解説でnanapiの古川さんが述べている通り、ツイッターという未知のテクノロジーに「人間味」を持たせるという部分で重要な役割を果たしました。


↑3人の創業者の内、ビズは大した特技がなかった。(Pic by Flickr)

特に取り柄がなくても自分が天才だと思っていたビズは、自信満々の文章をブログで書き続け、そのブログがグーグルに「Blogger」とサービスを売却したばかりのエヴァン(ツイッター共同創業者)の目にとまり、博士号を持っていて当たり前のグーグルに、大学の学位なしで就職することに成功します。

給料もよく、上司さえいないグーグルの生活は充実していましたが、「日々挑戦していたい」という欲求から仲間とともにツイッターを創業することになります。

ツイッターにジョイントしたビズは、ブログやニュースレターを使い、これから自分たちがしようとしていること、会社内で起こっていることなどを世間や社員にどんどん伝えていきました。

「個人やユーザーグループ、そして社員と話をし、社内向けに毎週ニュースレターを書き、金曜午後のミーティングを開き、公式ブログを通じて知らせたいことを伝え、今自分たちが何を取り組んているのか、それがどう大事なのかについて、基本的に明るく前向きな姿勢を示すように努めた。」(ツイッターで学んだいちばん大切なことP148)

「僕はどんな問題も、サービスを使ってくれるユーザーに説明した。システムがダウンすればエンジニアのところへ行って、何が起きたのか調べた。そしてわかったことをツイッター公式ブログで報告した。

何かと話を作りがちばPRチームとは反対の姿勢を目指した。そこに普遍的な、誰にも通じる真実があるはずだと考えて」



↑とにかく人間味を大切にして、PRチームとは反対の姿勢を目指した。(Pic by Flickr)

ツイッターを初期から使っていたユーザーはアップルの新製品を心待ちにしている人が多く、2007年6月にアップルがiPhoneを発表するのではないかという噂が流れると、iPhone関連のツイートがあふれ、ツイッターは断続的にダウンし始めました。

iPhone発表の前日も問題解決のために夜遅くまで作業していると、誰も注文していないのに、ツイッターのオフィスにピザが何枚も届きます。「誰も注文していないのになぜ?」と戸惑っていると、あるユーザーがツイートしました。

「ピザ届いた?」


なんと何人ものツイッターファンがオフィスにピザを届けてくれ、サイトがダウンしているのを責めるのではなく、頑張れと励ましてくれていたのでした。ビズはその時のことを次のように述べています。

「僕たちを応援してくれていた。僕たちはバグや欠陥で彼をいらいらさせている名もないロボットではなかった。誠実であろうとしたことで僕たちの人間らしさが伝わって、ユーザーが善意で応えてくれたのだ。」

僕たちはどうしても自分を良く見せようと「業界最安値」、「○○のことならわが社」、「大手実績多数」などと、あまりにも不自然で人間味の無い言葉を平気で使います。

欠陥を前向きに宣伝する必要はありませんが、自分の良いところだけを積極的にアピールし、悪いところには一切触れないようでは、本当の「人間味」をさらけ出していることにはならないのではないでしょうか。

「自分もほかの人と同じ人間であり、熱意はあるが完璧ではないと相手にわかってもらえると、相手は善意を持って接してくれる」(ビズ・ストーン)

「僕がグーグルで働いていた時、テクノロジーですべての問題を解決できると思っていた。

それは素晴らしいことだけど、グーグルは”テクノロジー”が先にきて、その後に”人々”が来ていたんだ。でも僕は”人々”が先で、その後に”テクノロジー”が来るのが正しい順番だと思う。」(ビス・ストーン)

シリコンバレーではプログラミングができる人、もしくはお金がある人以外は必要とされない雰囲気があります。しかし、プログラミングはただの数式ですし、そのサービスのお金回りなどは使っているユーザーにとってはどうでも良いことです。

ビズ・ストーンはプログラミングのスキルもお金もありませんでしたが、「社会貢献をしない会社は競争面でも不利になる」とコミュニケーションを通じて数式に人間味を吹き込んだことがツイッターの成功の大きな要因だと言われています。

これからエンジニアの重要はどんどん上がってきますが、世の中に数式増えれば増えるほど、「Web上でアクセントなしで会話できる人」の需要も増えていくのは間違えありません。

イタリアに8年住んだ日本人美女が語る、「イタリア男はナンパが上手」の真相



日本人の間でもはや定説になっていることのひとつに、「イタリア男はナンパがうまい」という話がありますよね。人気雑誌でモデルをしている“ちょいワルおやじ”、パンツェッタ・ジローラモさんなどはその象徴だと思います。でも、実際のところ、イタリア人の男性って本当にナンパがうまいんですかね?

今回しらべぇ編集部ではこの真相を調査すべく、20代のモテモテな時期に8年間イタリアで過ごした美女にインタビューをしました。インタビューをしてみて分かったことは、「イタリア男はナンパがうまい」というより、イタリアでは女性の扱われ方が日本と大きく違う、ということでした。

■イタリア男はナンパがうまいのか?

まず、イタリア人の男性はナンパがうまいというより、「数撃ちゃ当たる作戦」だということがわかりました。ただ、“数撃ちゃ”の数が尋常じゃありません。例えるなら、複数の対象に向かってショットガンをぶっ放す、というような具合。とにかく声をかけることが当たり前なのだそうです。なぜなら、断られることが大前提だから。ここに、日本とイタリアの女性に対する態度の大きな違いがありました。

■生まれた時から“姫”として扱われるイタリア女性

イタリア女性は、生まれた瞬間から“姫”として育てられるそうです。毎日毎日、父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃんなどの家族だけでなく、ご近所の人にまで「可愛い」と言われて育てられます。「生物学上、あなたがいちばん可愛い」という扱いを受けて育っていくわけです。

そうやってびっくりするほど可愛がられ、甘やかされて育ってきているので、「かわいい」なんて言われ慣れてきているし、ちょっとやそっとの褒め言葉や誘い文句には反応しないわけです。

■イタリア男のナンパの方法

では、イタリアの男性たちがどうやってナンパをしているのかというと、ある鉄則が存在しているそうです。その鉄則とは、「困ってる人を助けてあげる、困ってるふりをする」ということ。例えば、「困った人を助ける」であれば、女性が重たい荷物を持っていたら「持ちましょうか?」と声をかけるなど…。その時にクスっとなるユーモアを必ず入れてくるそうです。

【実際にあった事例】

イタリア人男性「重っ!君はモニュメント(銅像、記念碑)でも入れて歩いてるの?」
女性「ハハッ、わたしピアニストだからその道具がはいっているのよ」
イタリア人男性「ピアノが入ってるから重たいんだね!」

こんな感じでユーモアを入れた軽快なトークを展開し、コーヒーに誘ったり、番号交換をしたりするそうです。

また、困ってるふりをするについては、「道を聞く」「ペンを貸してくれませんか?」と話しかけ、対応してもらった後に、「ありがとう! 助かったのでお礼におごらせてもらってもいいですか?」と誘うそうです。ポイントは、「言葉尻は下から持ち上げる感じで優しく丁寧に、でも態度は強引に」だそう。これだけやっても断らわられるのが当たり前。もしコーヒーやビールをご馳走できたとしても、よくて友達止まりだそうです。イタリア、厳しいですね…。

ちなみに、彼女から見た日本人のナンパは、「終電まで飲みませんか?」「始発まで飲みませんか?」のような、楽しい会話一切なしで下心丸見えなわりに態度が強引。よって、イケてないそうです。

■褒め方の違い

日本では、褒める時にスタイルや顔などを称賛することが多いですが、イタリア人はスキンシップをはかれる箇所や、実際に触れられるものを褒めることが多いそうです。例えば、髪や目、ピアスやネックレスなどのアクセサリーなど。髪を褒めれば髪に触れますし、目であれば、瞳を見つめる機会が作れます。

他にも、イタリア人男性は「女性の変化」に敏感で、デートの時は必ず前回との違いについて触れてくるそうです。「前回はスカートだったけど、今日のカジュアルな格好も素敵だね!」「今日は髪をおろしてるんだね、そのスタイルも可愛いね!(そしてさり気なく髪を触わる)」といった具合です。こういった違いを見逃さず褒めるというのは、日本人にはなかなかできないことなので、勉強になりますね。

いかがでしたでしょうか? イタリア人男性はナンパがうまいというより、実際には環境が自然とそうさせている、そんなある種過酷ともとれる種族であることがわかりました。我々日本人男性は、環境が違うことに感謝をしないといけないかもしれませんね。日本人男性は、イタリア人男性の褒め方やユーモアあふれるトークを見習って、女性を喜ばせてみるべきなのかもしれません。こちらからは以上です。


「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11

オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

2月下旬、澄み切った快晴の日。多賀城市にあるJ・F・モリスさんの自宅を訪ねた。

「私は地元のガイジン。あるいは土着性の強い外国人です」と茶目っ気たっぷりに自らを語るモリスさんは、1974年に留学生として来日。東北大学で博士号を取得し、仙台出身の女性と結婚し、現在は宮城学院女子大学教授として、日本の歴史を研究しながらこの地に拠点を構えている。

「東北大で博士号を取って、宮城学院に就職して、女房は仙台生まれ。ここで子育てをして、子供はインターナショナルスクールには行かせずに、地元の保育所、地元の小学校。普通の日本人として育ててね。自慢じゃないんですが、ほぼ完璧なモノリンガル(日本語のみ)。共働きで、家に帰ってくると子供が『お腹すいたー』って。バイリンガルとか悠長なことはやってられません。普通の親と同じですよ」。

被災者として、外国人として、歴史家として、どう震災に向き合ってきたのか。東日本大震災について聞いた。

■生死を分けたのは「ケーキ」

――3月11日、あの時をどう迎えましたか?

あの時、私は市から頼まれた古文書の読解に失敗して苦しんでいました。午後2時46分、とんでもない揺れが来て、その時にいたビルから避難した。

家への帰り道、川(砂押川)を渡ってケーキを買いに行こうとしていたけど、疲れちゃって渡らなかった。渡っていたならばここでお話はできなかったでしょう。ケーキが食べたくて渡っていたかもわからない。生死を分けたのは、そんな差です。

マンションの自宅に戻って荷物を置いて、避難ベルにしたがってすぐそこの小さな公園に行きました。マンションにいる人たちが集まっていました。今まで私が全く知らなかった、ベラルーシ出身の女性と日本人の夫、それから東南アジア出身っぽい女性がいました。雪がパラパラ降っていて、あてもなく、いつ帰れるかなと思って待っていた。そうしたら誰かが「津波だ」って言って、みんな一斉に川の向こうの階段を登っていった。足の不自由なおばあさんがいて、私が彼女を背負って行ったんです。

ベラルーシの女性は日本語が非常にうまかった。東南アジアの女性は片言の日本語だけ。それでも町内会のおじいさんとはなんとかやれるんです。母語はタイ語だったと思うけど、タイ語や英語に全部置き換えなきゃいけないわけじゃない。

災害時に言われる、「多言語支援」とか「優しい日本語」とか。実際、そんなもの役に立たない。生きるか死ぬかの場面とか、避難所で大混乱が続いてる段階では、整っていない状況の中でどうやるかというほうが課題です。

夕方になって、高台から戻ってきて、自治体の人が「家に入っていいよ」という話がありました。どんな根拠があるかはわかりません。マンションの階段を上がると、暗闇の中で家の中になぜか入ろうとしない人たちがいました。住人じゃなくて、逃げてきた人たちだった。その時初めて、津波がすぐそこまで来たということを知ったわけ。現場にいると、見えないんです。マンションが衝立になっているから。見ていたら、生きていないからね。

――何も知らなかった。

そう。世界中の人たちはテレビで見てたけど、私たちは自分の目の届く先しか見えないんです。

目・口・鼻を全部塞がれたような状況でした。外のものが入ってこないし、こちらから外に呼びかけることもできない。それで、逃げてきた人たちを、住人が2軒か3軒で手分けをして泊めて次の日に、それぞれの生活に戻りました。

――ご家族は?

家内は山形大に勤めていて、翌日(12日)の入試で山形に行っていたから無事です。けど、その夜は帰って来られなかった。持てるだけの水や必需品を買ってきて戻ってきたのは翌日です。それからが、自分にとっての『被災後の生活』だった。

■メディアに触れて、許せなかったある出来事

12日と13日は何してたかな……。少し記憶がグチャグチャで。

女房は何回拭くんだよ、というくらい床拭きをして、家の中を整理していました。私は家の中でウズウズして、何回か川を渡ろうとしたんです。やっぱり、普通の精神状態じゃなかったんだね。土曜日(12日)は水がまだ引いてなくて、土手に上がると水がすぐそこまで来ていた。あっちの田んぼの中には遺体もゴロゴロあった。車がボンって田んぼの中に刺さっていた。今から見るととても想像できない状況でした。

マンションでは自治会が炊き出しを始めていました。線路の向こうの、津波をかぶっていない農家のところまで行って、不要になった廃材を頭を下げてもらってくる。それは男の仕事でした。おじいさんは山に柴を刈りに……ってね(笑)。でも、おばあさんは川では洗濯できません。製油所が爆発して、川は油だらけだったから。



避難所になっていた自治会の集会場の端っこでは、若いお母さんが――5歳と3歳くらいかな――2人の男の子を抱えて、「静かにして、お願いだから」と言っていました。お母さんはなにもできない。福島の状況が不透明で、下手に外に連れて行って遊べって言えないし、寒いし。それを見てたまらない気持ちになった。

そして、臨床心理士の女房と相談して、自治会の了承のもと、子供の遊び場を作ったんです。

運営には気を使いました。まずは子供たちが夜、ちゃんと寝られるようにすること。電子ゲームとか、興奮するような遊びを一切禁止して、折り紙とか読書とか、作業療法的なものですね。そして、親との関係を強化すること。遊びに来る前に親の許可が必要だし、昼休みには親元に返して、夕方には片付けをして親元に帰す。現実の生活から乖離しないようにしました。

それで、4日目か5日目には電気が通って、ネットも繋がった。トイレも流せないのに世界へ向けて情報は流せるという。ほんとに、21世紀型災害だよね(笑)。

――トイレも流せない状況で、数日ぶりに接したメディアに感じたことは?

腹が立ったことがあってね。たとえば、ここのマンションに住んでいるかなりの人たちはどこかに脱出していたんです。ここにいてどうするんだと。水もないし電気もない。身を寄せる親戚が外にいる人は、ほとんど離脱しました。それは悪いことじゃない。外に居場所がある人はいないほうが助かるんです。食べ物も水もないから。

残っている人は行く場所がないからとか、何らかの理由があって残ってるんですね。

外国人がそれをやると国賊、裏切り者みたいに書かれているのを見てね、それが許せなかった。日本人も同じだったよ。当たり前じゃないか。それはなんでわかるかというと、マンションの駐車場がガラ空きだったから。あと、ガスが復旧するときに、元栓を閉めてないと爆発に繋がる恐れがあったんです。だから、マンションの中を一戸一戸回って、人がいれば断って閉める。いない場合には勝手に閉めて回ったんだけど、かなりの数、いなかったから。

自分の身を守るために移動する。それは何も悪いことじゃない。今でも思い出しますね。



■「被災者に寄り添う」とは

――日常の生活が戻ったのは……

ガスが戻った、2週間後くらいだったかな。次に考えたのは、心理面のケアだね。

ところで、災害発生後に「被災者の心のケア」ということがうんざりするほど語られたんだけど、何が心のケアか。ほとんど誰も知らない。

――ひとり歩き。

そう。ひとり歩きしてた。「被災者に寄り添う」と。寄り添うって何なのか。

「心のケア」というとね、カウンセラーが来て「大変だったんだね、ちょっと悩みきかせてよ」というのをイメージするけど、違うんです。

それまでは、悲惨なできごとを経験した人がストレスを受けて、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるというふうに考えられていました。今、新しい考え方の理論的根拠になっている『サイコロジカル・ファーストエイド』という文献では、「人はそう簡単にはPTSDにならない。人には自分で立ち直る力がある、それを高めれば多くの人たちは立ち直れます」と書いてあるんです。

他人に助けてもらうんじゃなくて、自分で立ち直る力をつける。この力をレジリエンスといいます。たとえば、水を渡すのでも、「ほら、水だ、飲め、ありがたく思え」っていう渡し方じゃなくて「大変だったんだろうね、水だよ、もう安心ですよ」と。こういうメッセージを送るだけでも、自分の友達や仲間と繋がることでもレジリエンスが高まります。

子供たちに「学校は安全で安心できるところだよ、遊べる場もあるし、友達もいる。先生は守ってくれるよ」って、伝えられればそれだけで支援になるんです。津波があったから、学校という場所に関しては、安全だよ、安心だよ、というのは難しいですけどね。

カウンセラーがいなくても、自分たちで立ち直れる、そのことをまず学校の先生に伝えるために、ワークショップを開いたり、「ケア宮城」という名前で、宮城県の教育委員会と二人三脚で活動しています。きっとこの取り組みは、どこかで災害が起こった時にまた力になるだろう、そう思ってやっています。


■「日本人的な美徳」の嘘

――この震災を経験して、日本という国に対して、日本人に対して感じたことはありますか。

私はそういう考え方を否定する。結果としてそう言わないと説明できないものもあるだろうけど。戦国時代の日本人と今の日本人は同じ気質ですか?

――違いますね。

違うよね。タイムマシンに乗って100年前の日本に戻ったら、生きていけますか?

――難しそうです。

東北の農民の古き良き伝統みたいにトイレットペーパーをやめてお尻を縄でふきますか? 「日本人の気質」と言われるものは、その時々の社会的状況に過ぎないんです。自分の知っている過去20年間くらいのものを、都合よく気質と言っているだけ。

避難所の中で日本人がとても行儀よく、慌てず、パニック起こさず、と言われましたが、アメリカを直撃したハリケーン・カトリーナの後に運動場に集まった人たちも同じでした。被災後に多くの人たちは実は非常に秩序正しく行動するというのが災害研究の常識です。じゃあ、そういう社会規律が崩れる条件はなんだろうか。極限状態だったならば、みんな立派にしていただろうか?

実際には、盗難、略奪、いろいろあったんです。避難所の中で子供の泣き声が気になって、お年寄りが刃物を振り回したとか。私も覚えています。避難所に入ったときの、ものすごい緊張感。もう、爆発寸前の火山です。そんな、清き正しき律儀な日本人、なんて状況じゃない。ギリギリのところで規律を保っていたんです。

外国人に関して言えば、尖閣諸島と竹島問題とかが、あの時点で今の状況になっていたら、どうなったものか。実際、当時だってデマがTwitterで流布していました。仙台でも摩擦が生じたけど、爆発点に達する前に解消されて大事に至らなかったことがあった。だから、日本人の気質とか、自分にとって都合のいいものを繋いで美化しても意味がないと思います。

東北で、何であれだけの状況になっても外国人が大きな問題にならなかったかというと、地元との繋がりです。もし自治体が、多数の外国人を受け入れながら、地域との関係性を作ろうとせず、最初から投げ出していたら。私は考えただけで恐ろしい。


――地域との結びつきがあれば、正しい行動をする?

そんな単純なものじゃない。仙台では留学生が小さな地元の町内会の避難所に密集したとか。中国人研修生が30人いるところで夜通し泣いてたから迷惑だと。そういうことが起こった時に対処する能力があるかどうかです。中国人研修生の場合は、避難所として指定された場所に、中国からの物資が入って、研修生たちだけで食べきれないので、近くの人たちに配った。そこで、「悪い人たち」が「良き人たち」に転換した。

――ほんのちょっとの……

ほんのちょっとだけの差なんですよ。私自身、地元の人から「外人だ!」とか「どこから来たんだ?」って言われたことは一度もない。津波の後も、道ですれ違ったら、「ご無事でしたか」。それだけ。「お互い、無事でえがったね」って。

もしあなたが被災地にいれば、あなたは被災者。被災者とそうでない人しかいないんです。外人・日本人という差異は外から持ち込まれたものです。

■「歴史は、ただの過去じゃない」

――歴史家として、この4年間の活動はどんなものでしたか。

歴史学者としての役割は、史料をきちんと残していくこと。これは震災に関係なく、ずっと取り組んでいます。

地方には、先祖からの大事なものだけれど、どういう意味があるのか、どう保存するべきかわからずに悩んでいるって人がいるんですね。そこに歴史家が、あなたの持っている史料はこういう内容が書いてあって、こういう意味があって、だから大事です。こうすれば長期保存できますよ、ってやるとその人たちがとても喜ぶ。

震災の直後、牡鹿半島の向こう側、あの、多くの子供が亡くなった大川小学校の近くに行って、地元の人に会いました。津波でやられてコンクリートの基礎しか残っていないようなところでね。何万点もあった史料は全部屋敷ごと流された。幸運なことに、その史料は震災の前に、石巻市史を作る時にデジタル化していたから、それを印刷して持ち主に渡したんです。

持ち主の方は、食べ物もままならないし、着てるものも全然替えてないでしょうし、避難所暮らしだし。でも、それを受け取って「救われた」と言った。その人にとって、先祖代々から引き継いできたその史料が、自分たちの生きた時代に流された。その史料には、自分の一生だけじゃなくて、系図が何代まで遡れる。それを証明するものが残ったというだけでも、何かが「救われた」って。

津波や災害は、人の尊厳まで奪うんです。

支援というと、水でしょ、食べ物でしょって言われる。たしかにそうだ。非常時に、こういう尊厳に関わることが重要だということは言いづらい。でもそこには、その家の人たちだけじゃない、地域全体のアイデンティティというのがあるんです。それを失ってしまったら、戻る人たちも戻ってこない。地域として立ち直れない。

今の自分は何者なのか。それがわからないと人は彷徨う。「自分たちはこういう人たちだ」と、たいした根拠がなくても、手がかりがあれば立ち向かっていけるんです。

今も、冊子にするために史料をまとめて、解説を書いているんだけど、これは地元貢献だと思っている。全く読まない人もいっぱいいるでしょう。でも、自分のルーツを辿りたい、興味のある人たちにとってこれはアイデンティティを取り戻すための、大事なもの。歴史は、ただの過去じゃない。いまを生きる私たちの自己認識、そのものなんです。

■そして歴史家として、震災を見つめるということ

――歴史家として、東日本大震災をどう捉えていますか。

一番の問題は、地域経済・地域社会にどう影響するのかということ。立ち直れるか、そうでないか。明暗はすでに自治体によって分かれ始めています。

非常に冷徹な言い方をすると、今回の震災は時計を20年から30年間進めただけ。だから、復興は、東北が東京の植民地であるという、従属関係を組み直して、地域が独自に成り立つように組み替える必要がある。元通りに戻すんじゃなくて、元の関係を克服して持続可能なものにしなければ復興は袋小路だと思うんです。

もう一つは、この教訓を覚えるか、覚えないか。今回の震災でも、明治や昭和の津波を覚えているところと覚えていないところで明暗が分かれた。

人は簡単に、「忘れてはいけない」と言う。でもね……人は悲惨なできごとを忘れないと明日へ向かって生きていけないんです。私自身の記憶もかなり書き換えられているし、潜伏しているんです。

――この4年間で。

そう。この4年間で。

あれだけ鮮烈な経験をして、忘れなきゃ生きていけない場合だってある。子供を亡くした方とか、その方々は引きずるんです。3.11で私自身は何の被害も受けてないのにそれを冷静に語れないかというと……。

……実は私は10歳の時に父が目の前で帰らぬ人となるのを見ているわけ。私にとって、それが重なっているんだろうと思うんです。パカっと開けて頭の中の配線は確認してないけど、たぶんそうだろうと思う。

だから、私個人は、忘れたい、でも忘れられない、そうやって死ぬまで引きずるんです。

でも、地域としては一生懸命、風化させないためにやる。歴史家としてもね。実際、今回のことについて残した書物が100年後に読まれるかというと、読まれないでしょう。次に、大きな災害がどこかで来たら、東北は忘れられます。置き去りになります。阪神大震災だって、関東の人にとっては風化しているだろうけど、神戸の人たちと話すと、やっぱりまだ引きずっている。

――20年ですね。

うん、20年。それを経験した人は生涯忘れられない。だけど今、いろんな祈りの行事をやってはいても、それを直接に経験した人がいなくなったら距離がグッと遠くなると思います。それはやむをえないんです。

ただ、許せないのは、原発を建てるために過去の津波被害を過小評価してきたこと。

歴史の記録は確かなものではないんです。モヤの中でなにかをつかむような作業です。そこからわかるのは、福島原発を建てたところは慶長三陸地震(1611年)の津波をかぶってるはずです。ただそれは地名とか、神社の名前とか、そういうものからしか再現できないですが、何かは残されていた。それを無視して原発を建てた時点から、慶長の津波はなかったことになった。記録から抹消されてきたんです。あのようなことは、絶対にやってはならない。

それがこれからの、私の歴史家としての使命です。
















エルサルバドルでは流産で刑務所に入れられる


文:エリカ・ゲバラ・ロサス(アムネスティ・インターナショナル 南北アメリカ担当ディレクター)

先月、エルサルバドルで1人の若い女性が、7年の獄中生活から解放された。彼女の罪は、流産したことだった。

この女性、カルメン・グアダルーペ・バスケス・アルダナさんは、強かんされて妊娠してしまった。18歳の時のことだ。流産したために病院に連れていかれると、医者に故意に妊娠を止めたと非難された。そして、明確な証拠もなしに、凶悪殺人の罪で30年の刑を言い渡されたのだ。

エルサルバドルは中絶を最も厳しく法律で規制している国だ。この国では、いかなる中絶も犯罪だ。母親の生命や健康が脅かされている場合でも、強かんされて妊娠した場合でも、胎児に生存の見込みがなくても。

この法律に背き、隠れて怪しげな中絶手術に頼れば、命を落としかねない。裕福ならば私立の医療サービスを受ける金銭的余裕があるし、治療を国外に求めることもできる。法の犠牲になるのは、痛みを感じて初めて診療所を訪れる女性だ。刑事告発を恐れる医者に、警察を呼ばれてしまう。

エルサルバドルは極度に保守的で、カトリック教会の影響力が政策決定にまで及んでいる。10年にわたった内戦終結後の1990年代、再建に向かう不安定な状況の中で、教会は狙いを定めてキャンペーンを張り、1998年に中絶を全面禁止に持ち込んだ。

現在教会勢力は、有力なコネを持ち資金が豊富な中絶反対の圧力団体と、連携している。マスコミも躊躇することもなく中絶した女性を犯罪者として糾弾する。中絶禁止を非難する政治家もいることはいるが、大衆の反発に遭っている。

グアダルーペさんのような事例は珍しくない。エルサルバドルのアドボカシ―グループである「中絶の非犯罪化を求める市民連合」によれば、2000年、2011年の2年間に中絶関連で129人の女性が起訴され、そのうち23名が非合法中絶、26名が殺人で有罪となっている。

また、1999年からの3年間に、中絶により実刑判決を受けた女性が、グアダルーペさんを含め17人いる。「Las 17」として知られる彼女たちの大半は、凶悪殺人の罪を着せられている。刑期が一番長い者は、40年の刑を受けた。

昨年、私は首都サンサルバドル郊外の女性刑務所を訪れた。ここには、この 17人の大半が収監されていた。

エルサルバドルではどこの刑務所も汚く狭い。ここもそうだった。とある推計によると規定の10倍の囚人が押し込まれており、40人が1つの監房に寝起きする。看守の話では、母親と刑務所で暮らす5歳以下の幼児が、100人以上いるそうだ。

昨年4月、法的救済を求める闘いで万策尽きた弁護士たちは、17人の恩赦を求める要請をエルサルバドル議会に提出した。

そして今年1月、議会は最初の裁判で審理手続きに不備があったとして、グアダルーペさんの恩赦を認めた。このグッドニュースに力づけられるものの、議会の巻き返しが懸念される。当局は今のところ何ら公式声明を出していないが、アムネスティに対し「これ以上の恩赦を認める予定はない」とそれとなく示した。

「中絶の非犯罪化を求める市民連合」と活動家たちは、残る15人(1人は2月に刑期満了で出所)の恩赦が拒まれたら、法的手段を探るとしている。

1つの選択肢として、この件をワシントンにある米州人権委員会に提訴できるだろう。アムネスティも20万人の署名を添えて中絶法を破棄するよう、サルバドール・サンチェス・セレン大統領に請願書を出す予定だ。

チリ、ハイチ、ホンジュラス、ニカラグア、スリナムなど他のラテンアメリカ諸国でも、中絶は違法である。

このうちチリでは新たな動きがあった。同国ではピノチェト政権下の1989年に中絶が全面的に禁止されたが、この1月、母体が危うい、胎児が生存できない、あるいは強かんの場合は中絶を認めるという法案を、ミシェル・バチェレ大統領が議会に提出したのだ。

また、昨年12月には同じく全面禁止だったドミニカ共和国が、強かん、近親相かん、胎児に障がいがある、母体に危険がある場合には、中絶を犯罪と見なさないことにした。

こうした動きがエルサルバドルの政治家への圧力となり、中絶全面禁止の見直しになればと期待せずにはいられない。

グアダルーペさんが無罪放免となったのは、ラテンアメリカでの女性の権利を求める長い闘いの勝利である。とはいえ、まだなすべきことは多い。エルサルバドルは、女性の性と生殖に関する健康、そして決定を犯罪視するのをやめ、不当に投獄されている15人を釈放すべきである。彼女たちの悪夢はまだ続いているのだ。
そのオナラの原因は?「回数」と「臭い」が示す身体のサイン

副交感神経によってコントロールされている胃腸には、身体や心の不調がダイレクトに反映されます。それは、胃痛や便秘、下痢などはもちろん、オナラでも同様。

ここでは、オナラの臭いと回数で分かる身体と心のサインについて解説します。

■オナラが頻発する原因は?

「最近、オナラの回数が異様に多くなった」「お腹がパンパンになるほど腸にオナラが溜まる」ということはありませんか?

そのオナラは、ストレスや鬱病のサインかもしれません。

オナラの約70%は口から飲みこんだ空気で、残りの30%が腸内で悪玉菌や善玉菌が活動する時に発生していると言われております。食べ物を早食いした時や炭酸飲料を飲むとお腹のガスは増えますが、それだけで異様にオナラが頻発するほどの空気がお腹に入ることはありません。

お腹に空気が大量に入ってしまう主な原因の1つに「呑気症」があります。

■「呑気症」はストレスや鬱病のサイン!

呑気症はストレスや緊張で歯に力が入り無意識に奥歯を噛みしめてしまうことで、唾液と一緒に多くの空気飲み込んでしまうことが主な原因です。緊張した時には「固唾を飲む」とか「生唾を飲む」という表現がありますが、正にその状態と言えます。

呑気症に詳しい医師のインタビュー記事によると、呑気症を主訴にクリニックを訪れる患者の90%くらいが心理的なものが原因で、受験や人間関係などの心理的悩みを抱えているとのことです。

また単にオナラやゲップ、お腹の張りによる不快感だけではなく、顎の緊張から偏頭痛や肩こりなどの症状を併発している人が多いそうです。もし最近急にオナラの回数が増え、頭痛や肩こりに悩まされている場合は呑気症を疑ってみましょう。

■最近オナラが臭いかも?

最近オナラの臭いが強烈...そんな時は腸内環境が悪化し、悪玉菌が増殖している可能性が高いと言えます。

私たちの身体は口から摂取した食物を消化酵素によって分解し、小腸で吸収します。消化酵素がしっかり分泌されていないと、当然ながら消化吸収力が低下し十分消化されなかったタンパク質などが大腸まで届くことに。

大腸まで行き着いたものが食物繊維など善玉菌のエサになるものであれば良いのですが、未消化のタンパク質だと悪玉菌のエサとなり腸内環境が悪化します。

特に便秘となり、このような便が腸内に長期間留まっている場合は、なおさら悪玉菌が増え臭いガスを大量に発生させます。

便秘は肌荒れや体臭などの原因となるだけではなく、長期にわたると大腸がんなど深刻な病気を引き起こすことがありますので、慢性化しないように早めに対処することが必要です。

■胃腸をコントロールするのは自律神経

腸内環境の悪化は食物繊維の摂取不足や運動不足、脂肪分の多い食べ物の摂り過ぎなどバランスの悪い食生活や生活習慣が主な原因ですが、全身の体調不良やストレスなどが原因となることがあります。

冒頭で述べたように胃腸は副交感神経がコントロールしているので、ストレスなどによって自律神経のバランスが崩れると大腸の蠕動運動が鈍くなって便秘になったり、逆に過度になって下痢を引き起こすなど様々な不調が出てきます。

■最近のオナラの調子はどうですか?

以上のように、オナラに全身やメンタル的なSOSのサインが出ていることがあります。たかがオナラと軽視せず、「どう考えても普通じゃない!」という症状の場合は、一度病院で診察を受けてみることをオススメします。

呑気症や特殊な腸の病気は一般の病院では正しく診察ができないことがあるので、病院を選ぶ時は専門の外来を訪れるようにするなど、しっかりと事前に調べるようにしてください。