岩山に住居(ウチヒサル)をつくれば、地底にも都市を造ってました。


カイマクル地下都市は紀元前から存在していた地下都市です。
ヒッタイト人(縄文時代)が最初ではないかと考えられています。
ヒッタイト人は紀元前16世紀頃に、アナトリア半島にヒッタイト帝国を築き
馬車や戦車を発明してます。
紀元前12世紀には周辺民族により滅ぼされています。

その後、ローマ帝国の迫害を逃れる為 
初期のキリスト教徒が隠れ住みました。
古代のキリスト教徒が住みながら何世紀にも亘り掘り進め、
増築をかさねて複雑な形に拡張したそうです。
カイマクル地下都市には常時約4千人、多いときには約8千人がいたそうです。


次の写真は受付センターと地下都市へのゲートです。

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狭くて、低い通り道は、屈まなければ通れません。



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更に 苦手な下り階段で地下4階まで降りて行きます。

滑ったら 前の人に迷惑かけるし
のんびり歩いてたら 後ろがつかえるし
慎重に歩をすすめながら 急がねばなりません。
皆さん、旅行は足腰重要です。自信があるうちに旅行しましょう!


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ここでも、掘った土をこの狭い通路を戻り外に運んだ労苦が偲ばれました。



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様々な方向に地下通路が迷路のようにありますが、
要所要所に矢印とライトがありますので不安はありません。

教会、学校、食料や物品の貯蔵庫、そしてワイナリーが作られており
ところどころに部屋の用途が表示されてました。
通路は狭いし 日光は入ってこないし 老人にはつらい場所ですね。
と言うと 古代人の短命だから50になる前に死んだんじゃないかな
とムスメが言ってました。

♪。゚o。(★・ω・)人(・ω・★)。o゚。♪。゚o。(★・ω・)人(・ω・★)。o゚。♪

次はワイン製造してる直売所に行きました。
カッパドキアはワイン発祥の地と言われてます。

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高台にあるので 眺めがすばらかったです。
店内が渋くて 椅子に座って白 ロゼ 赤2本を試飲しました。

白よりも赤が美味しくて 1000円2本 3000円1本買いました。

♪。゚o。(★・ω・)人(・ω・★)。o゚。♪。゚o。(★・ω・)人(・ω・★)。o゚。♪

ホテルに帰る途中 奇岩をウォッチングしました。

ラクダにそっくり (笑

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地面から エリンギが生えてるように見えますが
地元では日本人は三姉妹の岩と呼び 欧米人は妖精の煙突と呼ぶとか  


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5日目はギリシャへの移動日です。
飛行機を乗り換えて行きました。

 

 

9月21日(土) 5℃/18℃ くもり 肌寒い

午前中は オプション(7000円)で ギョレメ野外博物館とトカルキリセへ出発
ギョレメ野外博物館の遠景です。


カッパドキアはアナトリア高原にある大奇岩地帯です。
数少ない世界複合遺産に認定されてます。
カッパドキアには、4世紀頃から多くのキリスト教徒が住むようになりました。
しかし、9世紀頃から強まったイスラム教徒の圧迫から逃れる為、
岩を削った洞窟に教会や聖堂、修道院を造り
ひっそりと信仰を深めていたといわれています。

その中心となった場所がギョレメ野外博物館です。
一時は約400ほどの教会が密集していた時代もあったそうで、
現在、その一部の教会が野外博物館として公開されており、自由に見学できます。
ギョレメ野外博物館へ行く途中見えた修道院です。


拡大すると出入り口が沢山見えます。


さあ、ここがギョレメ野外博物館の入口です。

いくつかの教会を見て回りますが フレスコ画はフラッシュに弱いので教会内部の写真撮影は禁止されてます。
そこで フレスコ画が有名な教会として、リンゴの教会、バルバラ教会、ヘビの教会、暗闇の教会、サンダルの教会の壁画の写真が提示されてます。 保存状態が良いフレスコ画はそれは素晴らしいものでした。
キリスト教徒達が眺めてきた色 質感 経年を味わう為に肉眼で見ることをおすすめします








重機が無い時代、掘りやすい土とはいえ出入り口を作り、
室をつくるのは大変だったことでしょう。
掘った土も丈夫な袋に入れて外に運び出すのはさらに労力がいります。


リンゴの教会から向こう側の岸壁に作られた住居を見ると小さな棚が並んでます。
それは 鳩の餌場でペットとして飼ってたそうです。
又、鳩ふんが溜まると肥料として活用したそうです。


②に続きます。

 

9月20日(金) 晴  10℃/33℃

8:00 アンカラを出発して南へ長いドライブが始まります。


途中 
トルコで2番目に大きなトゥズ湖(塩湖)に寄りました。
塩水なので青ではなく白い湖です。




湖までの地面を靴で掘ると塩です。。。









ここのサービスエリアでは塩やバスソルト ローズ水が売られてました。
塩の値段は日本のブランド塩と同じくらいで約600円でした。
トイレ休憩を2時間半おきに入れながら ひたすらカッパドキアへ向かいます。
その間、現地ガイドのメドさんから 
トルコの歴史のガイダンスがありました。
旧石器時代~メソポタミア~ヒッタイト~フェニキア人の支配~
ギリシャ・ヘレニズム~東ローマ帝国(ビザンティン帝国)~オスマン
トルコ 
高校の世界史の授業を思い出しましたが、トルコ史は複雑で興味深いものでした。

ランチは洞窟レストランで鱒のグリルのセットコースをいただきました。
私達が着いた前後の時間は 450人の予約が入ってたそうで 満席でした。
中国と韓国のツアー客が4~5グループ食事中でした。 
ムスメは韓国人に間違われイェッポ  と連発されてました。 
ムスメは (T ^ T) ←のような顔してグロッジアナヨ   と返してました。
なんで英語で言わないの? というと
相手するのがめんどくさいけど 黙ってるのも芸がない
日本人だと言ったら 即、日本語で同じ事を言ってくるよ ・・・と。 
スープは豆が入ってる事が多いです。
魚料理にはバターライスが添えられてるのが定番で ライスがついてるのに
フランスパン風のパンも供されます。
スイカは安いようで どこに行ってもデザートで出てきます。
カッパドキアはワイン発祥の地とも言われており 赤ワインがとても美味しいです。



ホテル ギョレメ カヤ

 

トルコの地図はあまり見ないでしょうから 貼っておきます。
トルコは 日本の約2倍の面積で東西に長く7つの国と接してます。
アジアとヨーロッパと中東の狭間で シルクロードが通ってる国です。

イスタンブールは地図左上のブルガリアに近い場所にあります。


9月19日 木曜 晴 18℃/29℃

トルコと日本との時差は−6時間です。

機内泊をして03:40にイスタンブールに着き

バスでプルサへ出発しました。

 現地ガイド MRネディム (通称 ネドさん)
 ドライバー MRムスタファとMRセルデル 

走行距離150km グーグル先生は2時間12分と表記してますが 
3時間弱かかりました。


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ブルサは 14世紀頃 シルクロード西端の古い都です。
トルコ第4の都市で人口は約234万人
1326年から1365年までオスマン帝国の首都でした、
その頃の日本は南北朝時代です。
1365年以降は 首都はエディルネに移転します。
トルコ国民にはとても愛されている街で、オスマン帝国初期のスルタン(皇帝)のジャミィが大変良い状態で保存されています。

尚、日本ではイスラム寺院をモスクと言いますが 現地では寺院や霊廟の事をジャミィと呼ばれてます。

ウルジャーミィは英語名「グランド・モスク」と呼ばれ、20のドームを持つ建築で
内部にはジャミィとしては珍しく噴水があります。
ジャミイには 必ず尖塔(ミナレット)がありイスラム教徒へ1日5回 (シーア派は3回) 
「礼拝の時間です。」と呼びかけてるそうです。




入口で靴を脱ぎ、スカーフで頭を覆います。

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絨毯が敷き詰められていて 模様が入ってるところにお祈りの列をつくるそうです。
模様と模様に間があるのは ひざまずき 頭を床につける為です。





噴水の上はもともとは天井が無かったそうですが 今はガラスが張られてます。


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この後、イシェルジャーミィに移動しました。

棺が安置されてる霊廟なので 写真はとりませんでした。
外側は白く 内部は青のタイルが美しい霊廟でした。

それから コザハンという昔は絹糸・繭の取引がされたバザールへ行きました。
このバザールの中には沢山の猫が居ました。




見学後 宿泊地アンカラへ向かってドライブです。 

アンカラはトルコの首都で人口は役500万、政治の中心都市ですが
歴史が浅いのでイスタンブールほどの人気はないです。

アンカラではビルケンドホテルに泊まりました。

 

 

楽園ですね~

 

バラのお庭もすばらしかったけど

 

9CAのお庭は落ち着いてて好きです。

 

 

 

 

子供に見せる為 リツイートさせていただきました。