「普通」「当たり前」 | #About OD

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ー起立性調節障害を克服した大学生のブログー

こんばんは!

 

朝晩寒い日が続きますね...

私はもう寒すぎて買った毛布では

耐えられなくなり、電気ストーブを

出してきました。笑

 

 

さて今回のテーマは、

「普通」「当たり前」についてです。

 

私がOD渦中にいた時に

「普通」や「当たり前」にとても

こだわっていた時の話をしたいと思います。

 

 

私は起立性調節障害が治る

までの間、昔からずっと、

「人の目を気にする」

「顔色を伺う」性格でした。

 

何においても、周りと違う価値観である

ことを恐れて、

周りと同じ考え方の時は「安心」を

周りと違う考えの時は「焦り」を

常に感じていました。

 

いつも周りの発言に

「私もそう思う」「わかる」

と返し、自分の考えは言わずにいました。

 

自分の考えが周りと違う時は、

自分の考えがおかしいんだと、

自分に言い聞かせました。

 

そんな私が起立性調節障害を発症し、

学校に行けない、自分の好きなことが

できない、といった、いわゆる

「普通の生活が送れなくなった」時、

「なぜ自分は普通じゃないのか」

「なぜ自分は当たり前の生活が

送れないのか」

と自分をかなり責めました。

 

そうして、過去の記事でもあるのですが

「荒治療」をはじめました。

 

当時私が体調が悪くても学校に

行きたいと思わせてくれた存在は

友達でした。

 

幼稚園から中学までの持ち上がりで

高校からみんな離れるため、

ずっと家にいて、学校に行かないのは

もったいないと感じたのもきっかけの

一つです。

 

高校入試を考える時期にもさしかかっており、

今までの「マイペースに」という生活では

間に合わないと感じるようになりました。

 

なので、

「普通」は朝早くに起きて学校に行く

から、自分も朝起きて学校に行く。

この時私はすでに

朝9時就寝夕方18時起床の完全昼夜逆転生活

でした。

次の日からどんなに寝れなくても無理やり

起きる生活をはじめました。

そして、

「普通」は少食の人をのぞき、給食を

思い切り減らすことはない

だから、自分も普通の量で食べる。

今まで1/3ほどにまで減らしていた

給食を普通の量にし、どんなに気持ち悪く

なってもこれが「当たり前なんだ」と

思ってはじめました。

 

同時に、「普通」の人は毎日薬を飲まない

と思うようになり、勝手に薬を飲むことを

やめたこともあります。

 

自分が起立性調節障害を抱えていようと、

普通の生活を送る意識をすれば、

当たり前の日常が送れる

と思っていたのです。

 

動かない体を無理やり動かしていた

ため、この時期には、今まで出た

ことのない症状まで出るように

なりました。

 

腹痛や生理が半年以上こなくなる

などの内面的な症状、

目のものもらい、顔、手足のむくみ、

果物や生物を食べた時にアレルギー反応

が出るなど、外見にも出るように

なりました。

 

荒治療をすることを決めたこの時期が

一番ピークだったと思います。

 

外見的なことに関しては、

周りからかなり心配されました。

 

顔がパンパンにむくみ、

体重も30キロ台にまで

落ちていたので周りも気になったと

思います。

 

そんな中でも、そう言われる自分が

嫌でした。

 

無理やり食べても痩せていく身体、

顔のことを言われ校則違反だけど

バレない程度に化粧をして学校に

行っていたことも覚えています。

 

周りとの違いが、

普通じゃない自分の姿が

目に見えるようになった瞬間

本当に怖くなって、どうにか

誤魔化そうとしていました。

 

どんな些細なことであっても、

「そんなこと誰も気にしていないよ」

と言われるようなことであっても、

異常に色々なことが気になるように

なりました。

 

あの頃は、精神状態がかなり

おかしかったと思います。

 

過去の自分を振り返ると

自分で自分が怖いです。

 

「普通にならなくちゃ...」

というより、

「自分は普通だ」

と、変に前向きな思考で

そういった行動を取っていたことが

余計に恐怖を感じます。

 

この考え方が変わりはじめたのは、

中学3年生も終わりの頃、

起立性調節障害もピークをすぎた頃です。

 

不本意ながら通信制高校に進学

することを決意し、習っていたピアノをやめ、

今まで「絶対に嫌だ」と頑固でいた私が

少しずつ「妥協すること」を理解しはじめた

くらいだと記憶しています。

 

薬もしっかりのみ、自分の体調と相談して、

自分の生活ペースを取り戻した時、

「起立性調節障害である自分は、

自分にあった生活をすることが一番大切なんだ。

自分にあったペースで生活する方が回復の近道

かもしれない」と思うようになりました。

 

そして、高校に入学し、社会にでて

新たな環境で生活してみて、

自分のやりたいことを見つけ、

「自分の意見はあっていいんだ」

「価値観は人それぞれなんだ」

と感じるようになりました。

 

人から嫌われたくない

周りと違うのは嫌だ

と頑なに思っていた私は、

自分の進みたい道に真っ直ぐ

進んでいこうと決めました。

 

人に左右されず、自分の意見を

しっかりということ、

でも他人の意見もしっかりと聞くこと、

尊重をすること、

自分の意見をいう時、人が傷つく言い方は

絶対にしないこと

 

絶対に忘れずにいようと決意しました。

 

周りからいろんなアドバイスを

もらったとしても、

最終的に決断するのは自分です。

 

自分の進みたい道にしっかり進めるように

遠回りをしながらでも、努力していきたいと

思っています。

 

「普通」や「当たり前」というのはなくて、

人には自分のペース、自分に合った生き方

があって、それが周りと少し遅れていても、

自分が進みたいように努力していけば

絶対にたどり着くものだと私は思っています。

 

私の経験から感じた一個人の意見では

ありますが、私が伝えたいなあと思った

お話でした^^