佐賀城に行って来た | 不思議な日常の出来事

不思議な日常の出来事

2014年の3月に初めて仙台に行ってから武士さんとご縁を頂くようになり神社仏閣に行くようになりました。
神仏や武士さんとの体験談を載せていければなぁと思っています。

またまた佐賀県に旅行に行った時のお話です。

佐賀県に行く目的のひとつが前回に載せた名護屋城跡でした。しかしその他にも神社が2社そして佐賀城にも行く予定でした。

今回は佐賀城に行った時のお話を載せたいと思います(^_^;)

そもそも、私が佐賀に行くきっかけになったのが昔おられた武士さんの「鍋島さん」て方に呼ばれたからなのです。

正直「鍋島さんてどなた様ですか?」と思うくらい彼の事を知りませんでした。鍋島さんが出てこられたのは一昨年九州旅行に行った時が初めてでした。

そして1年経った頃に再びお声を掛けられそれで鍋島さんが治めておられた佐賀県に行く事にしたのです。

旅行に行く前、鍋島さんの事を知ろうと思いネット検索したのですが面白い位内容が頭に入ってこないのです。

それに呼んで下さってるのが鍋島家のどなた様なのかも分からない状況でした。

鍋島さん縁の場所は何処になるのだろう…と思い調べると「佐賀城」が出てきました。鍋島さんが住んでおられた居城です。

とりあえず佐賀城に行かせて頂こう。そしてその後に行きたい神社さんに行って名護屋城跡に行こう…と思いました。

だいたいの滞在時間、移動時間を計算すると佐賀城の滞在時間は30分になりました。

そして九州に出発。
佐賀駅でレンタカーを借り佐賀城に向かいました。

佐賀城は佐賀駅から直線上にあるのでそんなに迷う事もありません。それなのにナビが急に左折しろと言ってきたのです。

あれ?左折するのまだ先ではなかったですか?∑(OωO; )と思いながらもナビの指示通り左折しました。すると左手に神社が見えてきたのです。

何処の神社さんかなぁと気になったのですが佐賀城に早く行かないと…と思い先を急ぎました。

駅から直線で行けるはずなのに何故か予定と違った道を走らされなんとか佐賀城の駐車場に到着(^_^;)

車から降りて門に向かっていると大きな銅像が目に入りました。
でも逆光で顔も分からず…
佐賀城にあるから鍋島さんの銅像かなぁと思いながら先に進みました。

 こちらは佐賀城の鯱門。
当時のまま残っているので銃弾の跡も残っています。

城の敷地はお濠に囲まれた正方形をしています。説明文を読み門から中に入らせて頂いたのですが「(;゚д゚)!!!」となりました。

めちゃくちゃ立派な本丸御殿が建っているではないですか!

佐賀城の下調べをしていなかったので予想外の光景にビックリしてしまいました。

凄い重量感があってかっこいい玄関です!

え?え?と思いながら玄関の方へ進んで行くと女性のスタッフの方が「どうぞ」とお声を掛けて下さいました。
「入っても良いんですか?」と恐る恐る聞くと「どうぞどうぞ」と言って下さいました。

「こんな立派な御殿に入れるなんて嬉しい/////」と興奮しながら上がらせて頂きました。
入場料は無料!
マジですか!とまたまたビックリ。

こちら玄関から中に入った所なのですが柱も畳もピカピカで真っさらなのです。
うわぁ////素敵過ぎる////とまたまた興奮してしまいました。

棚には昔の洋式の銃が展示されてました。
幕末に使用された銃(当時の物)だそうで左側が確か旧式で一番右が当時で一番新しい物だそうです。

 火縄銃は見たことがありますが(親戚の叔父さんが二丁持ってました)この種類の銃を見るのは初めてでした。

じっと見てるとスタッフのおじさんがお声を掛けて下さいました。そして銃の説明をして下さったのです。

話が興味深くて聞き入っているとスタッフの方が「お城の説明をしましょうか?」と言って下さったのです。それを聞いて「是非!」とお願いしてしまいました(*´ω`*)

スタッフのおじ様の説明は本当に細かくそして全てが興味深くて話を聞いてるだけでワクワクしてしまいました。
一緒に本丸御殿の中を回って下さり佐賀藩や幕末の藩主の方のお話もたくさんして下さいました。 

こちらの御殿は日本で初めて本丸を復元した建物になるんだそうです。

45mある畳敷きの廊下。

320畳の大広間。

復元された本丸の建物の模型。
全体の半分近く再建されているみたいです。

建設費に33億円かかっているのに入場料が無料って…絶対に入場料とった方がいいですよ!と何回もスタッフの方に言ってしまいました(^_^;)

こちらは鍋島家の家紋で「鍋島杏葉紋」だそうです。初めて見ました。

実はこの家紋、元は大友家の家紋だったそうなのですが鍋島さんが大友さんに戦で勝利し、その時から使っておられるそうです。

スタッフの方の話によるとこの家紋自体が凄いらしいです。家紋に価値があるといいますか…ステータスがあるといいますか…なので鍋島さんはこの家紋を使われたそうなのです。

今回スタッフの方が凄く細かく丁寧に鍋島家と佐賀藩の事を教えて下さいました。

その中でも特に詳しく教えて下さったのが佐賀藩10代藩主だった鍋島直正さんの事でした。直正さんは名君だと言われてるそうです。

当時、長崎の出島の警備を佐賀藩がされていたそうでその為か外国からの情報や貿易なども他藩よりあったそうなのです。

実は佐賀藩、結構凄い藩でして幕末では軍事力も最先端だったそうです。明治に入ってからも物作りや医療いろんな面で最先端をいっていたそうで東京の街づくりも佐賀藩がかなり貢献されていたそうです。

佐賀藩の皆さん凄い!

それもこれも藩主だった直正さんの知性と柔軟性があったからこそだと言われています。

そして藩主が私生活されていた建物に移動しました。すると座敷に藩主の方のパネルが置かれてあり一緒に写真が撮れる様になっていました。

スタッフの方が記念にと撮影して下さいました(*´ω`*)

その時の画像がこちら。

いやぁビックリしました。
この方、私を佐賀に呼んで下さった方だったのです。最後にツーショット写真を撮って下さるなんてw

この方はどちら様ですか?とスタッフの方に聞くと鍋島直正さんだと言われました。

そして私が佐賀城に来る時に見掛けた神社。実はあの神社に直正さんが祀られているんだそうです。

あ、神社に呼んで下さっていたんだな…とこの時気付きました。気付いたけど時すでに遅し…実は佐賀城で二時間経っていたのです(´θ`llll)

神社は諦めて急いで名護屋城跡に向かいました。゚(゚´ω`゚)゚。

帰宅してから改めて見るとなんと御殿を案内して頂いてる間ずっと直正さんが一緒にいて下さってました。
そしてスタッフさんに指を差されたり、これも説明してくれと指示を出しておられたのです。

だからスタッフの方が二時間みっちり教えて下さったんだなぁと分かりました(^_^;)

今回、佐賀城に行って佐賀藩と鍋島直正さんの事をたくさん知る事ができて嬉しかったです。 
鍋島さんにお声を掛けて頂かなかったら多分知らないままだったと思います。

お陰で佐賀に興味津々になってしまいました。
次回また来る機会があれば神社さんも行きたいと思います(*´ω`*)


帰りにスタッフのおじさんが広告?で折った兜を下さいました。真ん中に鍋島家の家紋がくるように折られてるそうです(*´ω`*)

鍋島さんとのご縁に感謝の1日でした。