秀吉さんの罪 | 不思議な日常の出来事

不思議な日常の出来事

2014年の3月に初めて仙台に行ってから武士さんとご縁を頂くようになり神社仏閣に行くようになりました。
神仏や武士さんとの体験談を載せていければなぁと思っています。

九州に旅行に行った時、佐賀県に行きました。
佐賀にある城跡にどうしても行きたかったのです。

前日に加藤神社で清正さんにお会いし城跡に一緒に来て欲しいとお願いしました。すると「一緒に行く」と言って下さったのです。

当日は佐賀駅にてレンタカーを借りました。
そして車に案内して頂いたのですが車のナンバープレートを見てビックリしました。

なんと熊本ナンバーだったのですw
すぐに清正さんだなぁと思いました(^_^;)

最初に別件でとある所に向かいその後城跡に向かいました。

私が清正さんと向かったのは日本海に面した場所にある「名護屋城跡」でした。
歴史通の方なら御存知だと思うのですが、秀吉さんが朝鮮出兵の時に本拠地として建てたお城です。

当時はこの城の周りに日本各地から集まった大名達が陣屋(屋敷)を建てられました。そこを拠点にし船で朝鮮に渡られたのです。

清正さんは朝鮮出兵の時かなり奥地まで進行されたくさん武功をあげられています。そして同じく戦争の悲惨さも経験しておられるお方でした。

名護屋城の近くには博物館がありました。
まずは先にそちらを見学させて頂きました。

中には各大名達の陣屋の場所を現す地図もありました。日本中の武士さん達が招集されたんだなぁと…改めて凄い事だと知りました。

博物館にて勉強した後、名護屋城があった場所に向かいました。

石垣がまだ残っています。

名護屋城跡は広くてグルっと一周回れる様になっています。ですが時間がなくて天守跡まで行って引き返しました(^_^;)

こちらから天守を目指します。
真っ直ぐの道はだんだんと傾斜がついた坂道になっていました。奥まで進むと…

日本海が見えました。

日本海を横目に奥へ進むと二の丸があった平地に出てきました。木があちこちに生えてますがかなりの広さです。

平地の置くにあるこちらの階段を上に上がり天守を目指します。
すると目の前が一気に開けました。

名護屋城の本丸跡です。
見えた瞬間「何ここ!!!」とびっくりしました。めちゃくちゃ清々しいのです。
開放感が半端ない!

左に視線を移すと木が1本生えている少し高台になっている場所がありました。
こちらが名護屋城の天守があった場所です。

天守跡まで来ると再び日本海が見えました。

ここからたくさんの方々が朝鮮に渡られ亡くなられました。勿論、朝鮮に住んでおられた皆様もたくさん亡くなられています。

何年か前に不思議な事がありました。
とある占い師の方に見て頂いたのですがその時に私の前に来ていたお客様のご先祖様が今ここに来ておられると言われたのです。

「はぁ…」と思いながら話を聞くと、私の前のお客様のご先祖様は朝鮮出兵し日本に帰る事なく朝鮮で亡くなられたお方だと言われました。

「そんなお方が私に何の用事ですか?」とお聞きすると「あなたは秀吉さんと縁を貰ってるでしょう?秀吉さんに伝えて欲しい事がある」と言われたのです。

確かにこの時、秀吉さんとご縁を頂いてました。ですがその事は占い師さんには話してなかったので秀吉さんの名前が出てきてビックリしました。

「伝えるって…御自分でお話に行けないのですか?」とお聞きするとご先祖様は「身分が違い過ぎて言えない」と言われたのです。

この時、亡くなってからも身分制度が存在している事を知りました。

「秀吉さんに何を伝えればいいのでしょうか?」とお聞きすると「朝鮮に出兵し亡くなった我等の事を忘れないで欲しい…そう伝えて欲しい」と言われました。

その後、すぐに京都の秀吉さんにその事をお伝えしに行きました。それから何度か朝鮮出兵に関わった昔の方とお会いしました。

なのでいつか朝鮮出兵に関わったこの城跡に行ってみたいと思うようになりました。そして朝鮮に渡って亡くなられた皆様に手を合わせたかったのです。

私が佐賀に行く前、大河ドラマの「どうする家康」でもちょうど朝鮮出兵の話を放送されていたそうです。

朝鮮出兵は秀吉さんが亡くなられてからも背負わなければいけない「罪」なのかもしれませんね…

そして記事を入力していて知ったのですが朝鮮出兵での戦いである“文禄の役”が始まったのが天正20年4月13日。
まさにこの日が4月13日なのです。
それを知って「あぁ…書かされたなぁ」と思いました。

昔の方々にとっては今も忘れて欲しくない大切な日なのだと改めて知りました。