弱者を守る | 続・日々コラム・・・

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Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・

「被災者だからって何言っても許されると思うなよ」

という類の、心ないメッセージが、復興活動を発信されている被災者の方に届くのだそうです。

「忘却の天才」である日本人の気質の問題も含めて、「いつまでも被害者面するな、」的なこの周囲のコメント、その発想について考えさせられます。

阪神大震災の時、東京(=中央)は、忘れるのが早かったことを思い出します。
たしかに、3年も経った頃には、ニュースの扱いも少なくなってしまいました。
現地ではまだまだ必死の復興にあえいでいた時、見放されて不安に感じた人も多かったのです。

また、阪神の時も、厳しい実業の世界に身をおいているビジネスマンの方から、このようの意見がありました。

「被災者や障害者の方も、自分は弱者だからと言っていつまでも助けてくれ、援助してくれ、それが当然だと言う風潮はいかがなものか。自助努力をもっとすべきではないか、援助はその補完でいいのではないか。我々も不況の中必死に働いている。」

この意見には、一旦、気持ちがなびいていました。しかし、即座に我々を諭す、他の意見がありました。つまり、

「弱者だという人は、自己申告でも徹底して甘えさせてあげればいいじゃないか。被災してむしろ儲かった、くらいでいいじゃないか。それを許せないほど心が狭いなら、自分も弱者になれ。そうでないなら、(健常者・ビジネスマンである)我々は、もっともっと業績を上げて、その人たちの面倒くらい社会でみえてあがればい。それくらいの器を持て。」

本当にそう思いました。
日本が堅調だった30年前なら、それくらいの度量はあったんです。弱者(と名乗るだけの人も含めて)が羨ましいなんてことを、思ったりしなかったんです。


”社会的弱者は、おつりがくるくらいまで、徹底的に支援すること。”
被災者、障害者、子ども、高齢者、子育て中の人、すべてのみなさん、ご安心を。


世界と戦うビジネスマンなら、それくらいの度量が無くてどうする!

卑劣な誹謗中傷をする暇があったら、せめて無視してください。