ボランティア | 続・日々コラム・・・

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Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・

東北被災地。
3.11当日を過ぎると巷中央のメディアも巷も、もう今日あたりはすっかり話題が移ってしまおうとしています。まるでクリスマスかなにか、イベント本質的にはと同じように扱っている感じさえします。

この時、東北に出向いた人も、その時は真剣に感じて向き合うけれども、戻って着たらバカンスだの花見だのと、たのしい日常を語っています。もちろん、自分のことがそれぞれ大事なのは当たり前なのですけれども。

多くの方の命日になってしまった日、追悼はもちろん必要。しかし何か特別なことがある記念日ではなくて、復興と現地の人の暮らしは、毎日一歩ずつの連続なのだと思います。
そんな被災者のみなさんの日々を支えることを考えてあげるべきだと思います。

行政の復興の計画はそれでも進められていて、また政策の配慮の届かないところもあります。その補完に、民間の人的ボランティアは欠かせない存在だと思います。

それでも、ボランティアは相手の都合で動くものです。
復興計画の流れを熟慮して、自分たちは何ができるか、すべきかを決定しないで、ボランティアが自画自賛でご満悦、これでは困ります。
ボランティアは、「相手の望むことを、望むときに、」が基本で、
我々が自分たちの「得意なことを、都合のいいときに」ではないと思うのです。


この2年、作家として、復興支援にかかわる仕事をいくつか頂きましたが、いまひとつ腑に落ちていません。
むしろ、いまだ終息しない福島原発の周辺で、道路の立ち続けている警察官のみなさんや、男手のいない雪国での雪下ろし作業とか、変わってあげれたらたそのほうが充実していたのかもしれません。

すくなくとも、勝手に3.11記念日を作って、日々暮らしている相手先の日常を壊さないように、自画自賛行動は避けたいと思います。これは、各国、各種施設を回らせていただいた経験から、思うことです。
我々が引き揚げた後も前も、みなさんには日常の現実の暮らしがあります。
日常の暮らしを壊してしまう非日常をもっていってはいけないんです。

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