選手村、そしてその後の海外での思い出、人生のターニングポイント | アメリカenjoy生活2

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・選手村、そしてその後の海外での思い出

過去に世界選手権に出場したときの話。初めてではなかったが異質な文化を2週間浴びまくった結果、その後の人生を変えるほどの経験であったと日本帰国後に気づく。そしてその後、そんな話。

 

場所はオーストラリア、ゴールドコースト。沖縄や伊豆とは全く異質の海岸地帯だ。ウミガメもよく出るという。私の当時のおめでたい頭では、オーストラリアは、名前は知っていたがどんな国かはよくわかっていなかった。その辺の木にコアラが登っている。写真を撮る我々だが、ニューヨークに無限にいるリスを写真撮っているようなものなのだろう。現地の人はコアラを見もしない。そして事実コアラは人間がゲップするように吠え、かなり臭いのであった。

 

さて、当時私は事務所に所属する傍ら、ダブルダッチの普及活動を続けていた。ショーがない日は仕事用の練習と大会用の練習が重なるわけだ。普通に就職している人間が仕事している時間、私は練習や稽古通いに時間を費やすのだ。時には仕事を貰うために挨拶回りもした。もちろん練習では給料は出ない。当時は身体への負担なぞ考えずにクルクル空中を周り、重力に逆らう技の習得に励んでいた。カロリー消費は成人男性の倍以上はあったと思う。5食食べても腹が減っていた。後輩は自分より上手でついていくのに必死だった。昼近くまで寝て、起きて1:00から練習。その後別の練習。またまた移動し、練習。休みの日にはスタジオに通いまた身体を動かす。スポーツの世界とエンタメの世界の両方を極めるつもりで動いていた。常に身体のどこかは筋肉痛だった。

 

日本選手団は遅めに到着だったようで、各国の選手は既にリラックスし、休んでいた。海岸沿いの宿泊施設&会場一帯全て貸切となっており、他の国の選手との部屋はベランダやウッドデッキで繋がっているような状況だった。とある国の選手たちは上半身裸でウッドデッキで寝ている。全く恥じらいはないようだ。皆フレンドリーに接してくれる。

我々は練習をやるだけやってきたのである程度の余裕があった。だから遊んだ。余裕がないメンバーはすぐに練習を始めていた。

 

夜、ちょうどいい温度だったので日本メンバーで外で飲んでいたら、元々知り合いのベルギー選手らがやってきた。彼らの隣国の友人らも連れてきた。カナダ、中国、ハンガリー他数カ国での国際交流会が数時間行われた。言葉の壁など関係なかった。一つのもので繋がっている仲間は国籍が違くても分かり合えるものがあった。くだらないゲームをしたり、それぞれの悩みを語り合ったり、、会合は連日行われ、中には今でも連絡を取ったり一緒に旅行するほどの友人もできた。海岸まで10秒というロケーションということもあって、観光よりも海を楽しめた。観光も行ったがもう忘れた。英語はこういった経験の生の会話から少し覚えたようなものだ。

 

大会よりも人と繋がれることが楽しい毎日だった。海外の選手は日本選手のみ持つエンタメ&スポーツ融合型の演技に皆心を奪われ、その後日本まで教わりにくる人々もいた。日本のメンバーの中にはこの後そのエンタメ性を買われ、オリンピック選手や雑技団が多く集まるとある世界的有名エンタメ集団に抜擢された。

当時エンタメ&スポーツを両方同時進行している人はあまりおらず、我々は個人がその辺のオリンピック選手に負けないほどの身体能力を持っていたことに加え、エンタメ特有の「沸かせる力」があったので、当時は先駆者として引っ張りだこだった。スポーツの壁を超えて教え回った。安いギャラだったが。。とあるオリンピック選手やジャニーズにも何度もコーチとして教えにいった。このときのメンバーは今も世界でバラバラとなり色々な団体に所属して活動しているのも私の誇りである。

 

 

この後、カナダの大型カジノの巨大ホールで演技ショーをすることになるのだが、我々の目的は「スタンディングオーベーション」だった。これは夢だった。文化的なところもあるのだが、日本で観客総立ちで拍手される経験はまだなく、客がわけば沸くほど演技者冥利に尽きるといったところか、この瞬間のためにやっているんだと実感するのだ。何かもらえるわけではないので、こんなことのために、って思う人もいるかもしれない。でも、当時は達成したら次に何かが見える気がしていた。アバウトな話ばかりだが、エンタメ系の人はこう言う考えの人も多い。

 

演技構成はもとより、BGM作成も何度も朝まで曲作りだった。辛かったが完成に近づくにつれ成功する実感が増えていた。当時のメンバーはみんな0か100かの連中ばかりで成功するまで永遠にやり続ける。それこそ大雨が降ってきても関係無いのであった。時には後輩と激しいバトルをした。向いている方向は同じなのだが衝突はよくあることだ。そしてショーは完成してカナダへ。

 

人生最大に力を尽くしたショーは大成功であった。ステージ前の廊下での待ち時間が長かった。ショー後カジノの客はなんと総立ち、なんとスタンディングオーベーションだった。客が全員立つと会場が揺れると言うのは本当だった。ただ、感動した。ラストは客の歓声で演技BGMが聞こえなっていたのでミスったかもしれない。子供の時以来の夢中さだった。間違いなくここが人生のターニングポイントだった。

演技退場後、客からの賞賛の嵐だった。普通に泣いた。恥じらいは全くなかった。小さな子がThank you!と声をかけにきてくれたこと、爺さんがYou are best!と背中を何回も叩きながら言ってくれたこと、忘れていない。その日の宴は最高だった。

 

会場には世界一有名なシルクドソレイユのスカウトマンがおり、演技後に、「I’ve never seen like you! I’m finding like you guys!」と勧誘された。連絡先まで聞かれ、何度も何度もEmailがきた。この数年後、みんな別れ、私はアメリカに、メンバーのうち何名かは実際に世界的有名エンタメ集団のアクターとなったのだ。

 

選手村や海外でのショーでの出来事は今でもいい思い出だ。早くまともに旅行できるようになってほしいところですね。

 

 

Enjoy!

加藤義隆