この1週間。
2日間会社に行き、
1日ピューロランドに行き、
1回だけ喫茶店に行きました。
外食2回。
あとは朝から晩までひたすら寝る寝る寝る。

過眠です。

やりたいことはほとんどできませんでした。

自叙伝も書けず、ゴルフの打ちっぱなしにも行けず。

落ちていくばかり。

今日からリセットです。
明日には禁煙治療が始まります。

禁煙しながらでも、やりたいことができるように。

がんばります。
(非定型うつ病の場合、がんばって、は禁句ではないそうです。)



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昨日はゴールデンウィーク中でお母さんと休みが重なる貴重な1日でした。
今日からの3日間、私は休みですが、お母さんは仕事。
昨日は娘をどこかに連れていく、数少ないチャンスでした。
でも、あいにくのお天気。
休み前には動物園に行こうかな、と思っていました。
「雨の中の動物園、2歳の娘と一緒にまわるのは大変だな。どうしよう。」
と考えた結果、雨でも娘が楽しめる場所、我々の負担が少ないところとして、サンリオピューロランドが思い当たりました。

似たような考えをする人はたくさんいるようで、それなりに混雑していました。

朝イチで行って、ショーを3つ観賞し、食事をして、お土産を買って帰りました。

半年前に、とあるアパレルメーカーの展示会に無料招待されて行ったピューロランド。ショーの中身はその時と全く同じだったのですが、娘は楽しんでくれました。(半年前はまだ1歳。さすがに覚えていなかったようです。)

私は2回目となるショー、あらすじは記憶していたので、少し飽き飽きしながら観賞しはじめたのですが、徐々にその世界に引き込まれ、最後はホロッとさせられました。
「ひとりぼっちでも支えてくれる。それがファミリー。」
そんな言葉に
「この子も私たちのことをいつか、そう思ってくれるのかな。僕も幼いころ、家族には支えられた。家族を支えることはできなかったけれど。この子には精一杯のことをしてあげなきゃ。それが僕を育ててくれた両親への恩返しになるのかな。」
なんてことを考えてしまいました。

障がいを抱えることになって、娘にやってあげられることも少ない私。そんな私でもかけがえのない存在として、娘をサポートしていきたい。できることは少ないけれど、できる範囲で娘の成長をサポートしていきたい。脳出血で、うつ病で、頭の機能は多少劣化してしまったけれど。持っている知識・経験は伝えて、少しでも娘の役にたてばいいな。

家に帰ってきて、娘がこっそり言ってくれました。
「あのね~。○○ちゃんね~。パパのこと大好きだよ~。」

疲れも吹っ飛びました。

娘よ、ありがとう。君の存在にお父さんは支えられているんだよ。お父さん、できるだけのことをするからね。

また、ピューロランドに連れていってあげたい。そう思いました。

天候は悪かったけれど、いい休日になりました。



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風邪はまだよくなりません。

自叙伝執筆のアドバイザーである作家の先生から、自叙伝をブログにアップしていくことにOKが出たので、連休明けまでに書きためたものを今朝、投稿しました。今後はコンスタントにパソコン・スマートフォンを駆使しながら、投稿していくつもりです。


給料アップ、永年雇用を狙ったものの、撃沈した転職活動は一旦小休止することにしました。転職活動のためストップしていた社会保険労務士資格取得のための勉強は、
今年の合格に向けてはキャッチアップが難しいだろうと判断。来年以降の合格を目指すことにしました。

これから取り組んでいくのは、まずは闘病記・自叙伝の執筆作業。来年くらいに形になればと考えています。そしてゴルフの練習。こちらは、夏あるいは秋に障害者ゴルフ協会のイベントに参加して18ホールラウンドすることが目標です。あとは、2歳の娘の育児。生涯の精神、性格を形成する大事な時期なので、彼女との時間は大切にしていきたいと思います。

昨日、精神科のクリニックの診察があり、先のことを先生に伝えたところ、いいですね、とのこと。転職活動の結果にひどく落ち込むことが多かったので、転職活動を休むことに先生は大賛成されました。

それにしても、
「あなたは動きを止めませんね。」
と言われました。常に何かをしていないと落ち着かない、そんな性分なんだと改めて気がつかされました。

前置きが長くなってしまいましたが、転職活動を休むこの時期に、禁煙をやってみようと思い立ちました。

やはりきっかけは、転職活動の失敗です。給料アップが見込めなくなってしまい、煙草を吸い続けるだけの経済的なゆとりがなくなってしまいました。
自身の健康、家族に対する受動喫煙、高い税金、世間の風当たりの強さ、喫煙スペースの減少、そういったものは全く煙草をやめる理由になりませんでした。ただ私の給料の安定が見込めなくなった、転職がかなわず生活の安定が見込めなくなった、その理由だけが、私を煙草をやめる決意に至らしめました。
むなしくなるだけなので、転職ができなかった原因を探ることはしませんが(私の中では原因は明らかです。)本当に煙草はやめたくありません。でも、やむにやまれず、煙草をやめることを決意しました。

私にとっては、デメリットの方が大きい、今回の煙草をやめるという決断。これまで私に数々のありがたい縁をもたらしてくれた煙草に感謝します。煙草すら吸えない経済力しか保てなくなった私は、負け組なんでしょうか。くやしいですが。

禁煙治療は連休明けに始まります。感謝の気持ちで惜しみつつ、残り1週間、煙草を楽しみたいと思います。

やめられなかったら、キッパリ、やめるのをやめます。仮にやめられても、愛煙家の精神は忘れないように、感謝の気持ちを忘れないように、私にもたらしてくれた数々の幸運、縁、コミュニティを忘れないように生きていきたいと思います。



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「入院した方がいいでしょう。」


会社の医務室。私と上司と産業医の先生の3人。産業医の先生は私の話を聞いて、そう仰いました。


出勤途中での高血圧、倦怠感、頭の疲れ、さまざまな症状で会社を休みがちになっていました。その出勤状況を産業医の先生は静かに聞いておられました。自ら望んで処方してもらったとは言え、計15種類の薬を服用していると聞いた産業医の先生は驚かれました。そして、まずは薬を減らす治療をすすめるよう助言してくれました。


「減薬治療を行うには、入院するのがいちばんいい。」


産業医の先生は、そう仰いました。

上司は、産業医の先生が仰ったことを聞いて、すぐにでも休職して入院するようにと、手続を進めてくれました。


自ら望んで転職をし、学生時代から就きたかった仕事にようやく就くことができたのもつかの間。やっと自分の思い通りの仕事ができる、やっと自分の思い通りの仕事ができる、学生時代からあこがれていた職業に就けた、転職がかなった当時はそんな喜びでいっぱいだったのに、うつ病(と高血圧症)という思いもかけない病気たちによって、その喜びは打ち砕かれてしまいました。


その一方で、


「ようやく、通勤時の重苦しい気分から解放される。」


そうした思いも頭をめぐりました。会社を休みがちになってからというもの、平日は毎朝毎朝、「会社に行かなきゃ。」「今日は休もう。」「いや、今日は行かなきゃダメだ。」という葛藤が続いていました。産業医の先生から正式に「休んでもいい。」とお墨付きをいただき、そうした毎朝の煩わしさから解放される。なぜか、晴れやかな気分になりました。


「実家から通える、喫煙コーナーがある総合病院にしよう。」

院内全面禁煙の病院が多い中、入院の申込をしようと考えた病院は、知人が勤務していたということもあり、何度か訪れたことがありました。そのため、喫煙コーナーが完備されていることを知っていました。それぞれの病院の治療方針も、病院決定のための大事な要素ではありましたが、それ以上に入院生活を送る上で煙草が吸えるということが、そのときの私にとっては重要なことでした。昔から、こう、と思ったら、次の行動が早かった私。さっさと休職の手続を取り、すぐに実家へ戻りました。そして入院の為の診察を受けるべく、当時かかっていたクリニックの先生に紹介状を書いてもらい、喫煙コーナーのある総合病院の診察の予約を取ったのです。












「ここのサイトに写真をアップしてるよ。見てみてね。」

「またか。」という感じでした。異性との出会いをサポートしてくれる有料のサイトに登録して数ヶ月。大手の検索エンジンサイトが運営しているからと、安心し、運命の出会いを期待していました。なのに、送られてくるメッセージは、怪しいサイトへ誘導するものが多数を占め、本気でこの人は恋人探しをしているなと思われるメッセージはごくわずかでした。「この人は大丈夫だ。」と判断してメッセージを送り返しても、数日後にはその人のプロフィールが消えている。そんなことの繰り返しでした。

20
代最後の夏を独り身で迎えた私は、結婚願望で頭の中はいっぱいでした。半年前に転職を果たし、学生時代から熱望していた業界の、大手企業で勤務することができました。

独り身にもかかわらず、2LDKの賃貸マンションに引っ越しました。

かねてから趣味にしたかったゴルフを本格的に始め、コースデビューを果たしました。月に1度はコースをラウンドする、毎朝打ちっぱなしで練習する、などゴルフにどっぷり浸かっていました。

就きたかった仕事に就き、趣味も充実していた私は、「首都圏の新興住宅地に持ち家を構える。こどもはふたり。家族4人で穏やかな家庭を築く。」という夢を描いていました。

ただ、「彼女いない歴=年齢」だった私は、どうやって生涯の伴侶を得たらいいのか、さっぱりわかりませんでした。

そこで、男女の出会いをサポートする複数の有料のサービスに登録し、積極的に活動しました。

しかし、真剣な相手は見つかりません。送られてくるメッセージは、商売気が感じられるものばかり。

そのようなことが数ヶ月続いたので、ここで運命の相手を見つけるのは半ば諦めかけていました。



そんな私には、心に引っかかるものがありました。

うつ病(当時の診断名は「反復性うつ病性障害」)でした。

精神科のクリニックに通いだして3年余り。向精神薬、精神安定剤、睡眠導入剤、睡眠薬、異常な肩こりに対処するための筋弛緩剤、高血圧と診断されてから処方された降圧剤など、15種類の薬を服用していました。何とか活動的に行動したくて、精神科の先生が渋る中、気持ちを持ち上げるための薬を、私が求めるままに処方してもらっていました。薬に助けられ、私のプライベートは、ゴルフを満喫するなど順調でした。彼女がいないことを除いて。

ただ、会社になかなか通うことができませんでした。朝になると気分が重くなり、自宅の最寄り駅に近づくと動悸がして血圧が上昇。電車に乗れず、会社を休む。月に23度はそんなことを繰り返していました。


自ら望んで転職をし、学生時代から就きたかった仕事、入りたかった会社に入ったのに、どうしてこんなに会社に行けないんだろう。ようやく自分の思い通りの仕事ができる、学生時代からあこがれていた仕事ができると考えていましたが、それほど簡単ではありませんでした。でも、与えられる仕事やノルマ、ミッションに不満はありませんでした。人間関係にも不満はない。環境が悪いわけでもない。上司は尊敬できるほどの好人物。同僚にも恵まれている。なのに、なんでこんなに会社に行くのが嫌なんだろう。

全くわかりませんでした。


当時、そんな言葉はありませんでしたが、今でいう「婚活」を静かにやっていた私。自分の理想や夢を叶えることで、うつ病や通勤の苦しみを少しでも紛らわせようとしていたのかもしれません。

しかし、うまくはいきませんでした。結局、これらサービスを利用して、女性に出会う、といったことはありませんでした。