岡山 「次は、ないかもしれない」長島愛生園 | ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!
先月のクリスマスに岡山の長島愛生園に行きました。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-一郎道
韓国出身の患者さんが島の道路工事に大きく貢献した事で彼の日本名「一朗」を残した一朗道の碑。

前回は2年前の夏の暑い暑い日に
ここに20年近く通っている京都で人の出会いの講座を主宰している論楽社の虫賀さんに連れて行ってもらいました。
長島愛生園はハンセン病患者の隔離島でした。
今は橋がありますが、長い間船がなければ出られない孤島でした。
この島に連れて来られた患者は幼い子供といえども容赦なく「らい病病み」の現実にさらされました。
家族との縁は切られ、この島に連れて来られた後、二度と故郷には戻れませんでした。
消毒液に漬けられ、所有物は取り上げられ、強制労働と集団生活を強いられました。
戦時中の物資が乏しい中で病人でありながら虐待と餓えで沢山の子供が死んでゆき
絶望で海に身を投げる人も沢山いました。
ここは療養でなく監獄の島。
治療法はあったにも関わらず正しい治療はされずに患者さんたちは「わずらった事の罰」を受けながら人生を生き抜いて来た「サバイバー」なのです。
長島愛生園の元患者さんもかつては1300人以上いましたが今では三百人程度で平均年齢が80歳を超えています。
部屋の多くが空き部屋になって、取り壊しになった建物もあります。
高齢の元患者さんたちが島を散歩する事も少なく、自然がいっぱいの静かな静かな美しい島です。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-島の風景

前回と変わった事は食事の提供が無くなった事です。
一食あたりのごはんの量が恐ろしいくらい多く1食分を、夜、朝、昼にお持ち帰りのおにぎりにしてもまだ余るほど無駄に多いごはんの量は、かつて餓えで苦しんだ患者さん達が闘って勝ち取ったものなのです。
とはいえ、患者さん自身も訪問者も食べきれるものでなく、縮小していく施設規模にあわせて食事の提供もついに無くなったのです。

そして、もう一つ前回と変わった事。

近藤宏一さんがもう居ない事です。

近藤さんが無くなった事を新聞の死亡欄で知り、
近藤さんが生きているうちにお会いできて良かった、
全盲の患者達の「青い鳥楽団」を率いていた近藤さんの素晴らしいハーモニカの演奏を聴かせてもらって良かった、
本当によかった。

今回も虫賀さんの旧知の患者さんの宇佐見さん、キムさん、阿部さんとカネ子さんを訪ねました。
鋭く激しい「闘士」と虫賀さんが呼んでいた宇佐見さん。
80歳を超えて今では「だいぶ丸くなった」と宇佐見さんの老いを感じて虫賀さんは寂しさを隠せません。

キムさんは私の事を覚えていてくれました。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-キムさん
キムさん84歳!?若っ!!

キムさんは11歳で韓国から日本に来ました。
植民地時代の日本語教育の中で育った為、日本語には当初から困らなかったそうですが
病と民族差別の二重の差別の中で生きて来られた事でしょう。
キムさんは今でもとてもハンサムで若い時はきっとモテたでしょうね。
人生のほとんどを日本で生きて来たにもかかわらず今でも完璧な韓国語で私とキムさんはお話しできるのが嬉しい。
韓国の兄弟さんが送ってくれると言う韓国のカップラーメンをごちそうしていただいて寒い中歩いて来た私たちは心も体もポカポカ。

翌朝、島の教会のクリスマスミサに参加しました。
聖書とか賛美歌とか主の祈りとか久しぶりだなー。
患者さんの隣に座って歌い、祈りました。
既に沢山とは言えない数とはいえ、ここに自力で、または車の送迎でも参加できる患者さんは「よっぽど元気な人」なのでしょう。



島の中に80年前に患者さん達が連行されて島に上陸した桟橋がありますが、
今にも崩れそうです。
立っていられないほどの強風が海から吹き付けます。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-お茶の間
愛生園の不思議スペース。体育館の舞台上に休憩場所を揃えたら、舞台装置みたい。

最初に収容された建物は修繕されたようで、もうちょっとリフォームすればオシャレなカフェになりそう。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-地獄だった所
ここが、その「地獄」だった場所

子供達が集団生活をさせられた建物は既になく、今は木々がそよぐのどかな場所を虫賀さんが
「ここはかつて地獄だった」と言いました。

今回、私は訪れた元患者さん達みんなと記念撮影して握手をしました。
「また来ますね。お元気で」とお別れしましたが、
もう次回は無いかもしれないからです。

島には桜やヤマモモの木が沢山。
モミジも沢山散っていて少し早く来ていればさぞ美しかった事でしょう。
でも、人でにぎわうのは最近は夏祭りぐらいだと言います。
この島を訪れる人もどんどん少なくなっています。

元患者さんたちの中でもこの療養所の将来は20年以上も議論されて来ましたが
結論もでないままもうどうしたらいいのか判らない状態です。
10年先には本当に少数の「要介護老人」しか残らないでしょう。
この島はどうなって行くのでしょう。
この島に家があったらいいなぁ、今ある空き家でも住めたらいいのになぁ。
ライフラインありの橋付きの無人島が住宅になったらあっという間に別荘も増えそうです。
寂しいような、寂しいような。

阿部さんとカネ子さんご夫婦は引っ越しの真っ最中。
人の少なくなった棟から介護しやすい中央の棟に患者さんを集めているのです。
目もよく見えないカネ子さんですが、お茶やおやつを出してくれて、
「私、冗談ばっかり言って笑ってるのが大好きなのよ~」ホホホと笑うカネ子さんが
抱きしめたいくらい愛おしい。
ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-カネ子さん
カネ子さん、カワイイ。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-阿部さん
阿部さん優しい。

私は自分が本当にのんきで幸せな人生を歩いて来たのだとつくづく思います。
人間性を否定される事を「理不尽」と認めてくれる場所で生きて来れた。
存在を抹殺されて生きて来た人たちの、今のぴかぴかの笑顔の存在感を残したいんです。
だから、みんなで記念撮影。
次も、その次の再会も、ある事を祈って。

ニゴロブナ子は里山(さと)に帰らせていただきます!-宇佐見さん
宇佐見さん、元気でね