モノクロ版『ゴジラ-1.0/C』(ゴジラマイナスワン/マイナスカラー)4DX | アディクトリポート

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『ゴジラ-1.0/C』(ゴジラマイナスワン/マイナスカラー)4DX

2024/1/12 池袋グランドシネマサンシャイン シアター4 f-7

 

通常カラー版の『ゴジラ-1.0』〈ゴジラマイナスワン〉は、

 

上映形式の異なる4タイプを、すでに公開年の2023年中に鑑賞済み。

  1. 【IMAX】2023/11/3
  2. 【4DX】2023/11/6
  3. 【ScreenX】2023/11/11
  4. 【通常版】2023/11/16

今回のモノクロ版は、できれば唯一未体験の【4DX Screen】版で

鑑賞したかったのだが、あいにくその上映形式はモノクロ版では存在せず。

 

そこでTOHOシネマズなら轟音シアターも新設された池袋エリアに出かけ、

隣接する池袋グランドシネマサンシャインにて、

【4DX】で鑑賞。

2023/12/20 

 

↓1月12日から入場者特典として配布された「70周年記念オリジナルアートボード」

↑表

↑裏

 

ここではずっと、カラー版マイナスワンの【4DX Screen】版を継続上映していたが、

1日1回上映のためもあり、

いつでも激混みだったので今もって体験に至らず。

 

マイナスカラー興行1週目がカンフル剤とはならずさほど奮わなかったため、

19日金曜日の公開2週目からは、

カラー純正【4DX Screen】版の1日2回!上映が返り咲いている。

 

そんなこんなで、多少興行面では苦戦しているものの、

私のマイナスカラー鑑賞時の興味関心は、

  • カラー版とモノクロ版の画像の違い
  • 両者の音質の違い
のみに絞られていたため、
都合5回目の同じ作品の映画館での体験だろうと退屈はしなかった。
 
とはいえ、さすがに短期間で5回も鑑賞となると見慣れもしてきて、
「ここは見過ごしてもいいところ」「ここはあんまり観たくないところ」という自己判断基準も作用して、
4回目鑑賞時と同じく、愛想の悪い隣家のオバサン(安藤サクラ)とのドロドロしたやり取りは、
後に解消される成り行きを知っていることもあり、心の安全装置が働いてすっかり寝落ち。
 
これに伴い、やはり4回目の鑑賞と同じく、
敷島浩一(神木隆之介)と大石典子(浜辺美波)と連れ子の明子(永谷咲笑:幼年期)の出会いと同棲、疑似家族の成り立ちの経緯もごっそり見逃してしまった。
 
モノクロ版といっても純然たる白黒よりも、
ほのかにセピア調に感じられたが、これはカラー版の記憶が新しすぎて、
それから色味を抜いたマイナスカラーモノクロ映像に、
勝手に元映像の色味を脳内で足して補完してしまうため…かもしれない。
 
70年の歴史を誇るシリーズ中、
1作目『ゴジラ』(1954)と2作目『ゴジラの逆襲』(1955)までがモノクロ作品で、
それ以前の時代を描く〈マイナスワン〉ならモノクロ映像も相性が良かろうとの判断と、
国内興収の伸びが『シン・ゴジラ』(2016)超えにはどうやら及びそうもないため、
だったらモノクロ版の追い討ち公開で挽回しようという戦略で、
それには、119分から120分に追加再編集?された『シン・ゴジラ:オルソ』(未見)が参考にもされているんだろう。
 
(2023年)10月27日(金)に実施される第4回「『ゴジラ‐1.0』公開記念 山崎貴セレクション ゴジラ上映会」にて、庵野秀明が脚本・総監督を務めた『シン・ゴジラ』のモノクロ版『シン・ゴジラ:オルソ』が上映されることが決定しました。本上映会のゲスト登壇のオファーを受けた庵野秀明が企画を提案し、樋口真嗣監督、尾上克郎准監督が監修を務めることで製作が実現しました。また本上映会では山崎貴氏と庵野秀明のトークショーも開催されます。


トークショーの模様は、全国6館の劇場にて生中継され、中継後には『シン・ゴジラ:オルソ』の上映も決定。
翌10月28日(土)、29日(日)にも、全国7館にて『シン・ゴジラ:オルソ』が上映されます。

 

〈マイナスカラー〉のモノクロ画質についてもう少し述べると、

カラー版では観客の目が向くところに絶妙な色付けがされていたが、

モノクロ化で映像がフラットに(均質化)された影響で、前に4回観た際には一度も目が向かなかった部分に視線が集中、

新たな発見が数ヶ所(①酒場で主人公たちが険悪になる場面。左端に片づけに取り組む女性店員が映る②相模湾に移動するゴジラが踏みつける民家から逃げ出す民間人が画面右端にいる)であった。

 

音質での違いといえば、

典子の最後の出番で首に伸びていく黒い痣(あざ)が、

ゴジラ細胞の不気味な侵食であることを明確に示すように、

カラー版では無音だったが、「シュワシュワ・ジワジワ」風の微音が追加されていた。

 

さて、カラー版〈マイナスワン〉とモノクロ版〈マイナスカラー〉の差異についてはこれぐらいにして、

かねてより触れてきたGHQ不在や米軍のゴジラ事件への不介入について。

 

JOE
GHQが何故いない?とか、特攻隊員に「生きて帰れ」と言うはずないとか、戦時下の解釈違いを責める主に映画関係者が多いようですが、戦争体験者がほぼ鬼籍となった今としてはもはや戦争がどうだったかなど想像力の世界でしかないわけで、その戦争描写を批判したり肯定したりするのは観る人個々のイデオロギーによるしかないと考えるようになりました。
宇宙戦艦ヤマト4Kを観てしみじみ感じたのですが、戦争体験者によるリアルな戦時描写というのはアニメではヤマト1とせいぜい1stガンダムまでであって、それ以後の映画アニメで描かれる戦時描写は全て戦争を知らない子供達の想像に過ぎないわけですから、自分の想像する戦争と違うからといってもう一つの創造の産物がリアルじゃないと批判するのはお門違いではないかと。
 
ベラデン 
「GHQが出てこない!」という批判は
普通に予算の都合だと思いますw
恐らく山崎監督も出来る事ならM4シャーマン戦車やP-51戦闘機などがゴジラを相手に壮絶な戦闘を繰り広げる“ゴジラ対GHQ”のシーンを作りたかった筈でしょう。しかし限られた予算ではそんな大掛かりな映像を作るのは到底難しいですし(VFXもそうですが外国人エキストラやGHQのセット等も組まなくてはなりませんし予算を軽くオーバーします)、苦肉の策でGHQを省いたんだと思います。

まぁ出来れば見たかったですね~“ゴジラ対GHQ”。山崎監督にもう少し予算があればと悔やまれます。

 

この件について映画では、

  1. 米軍の記録映画(マイクロフィルムの動画情報)のナレーションで語られる、マッカーサーはソ連を刺激したくなく、ゴジラが日本に上陸した場合、米軍の支援をあてにせず、日本国独自で防衛にあたるべしと指示を出した。
  2. この事情を仲間に打ち明ける元技術士官の野田健治(吉岡秀隆)は、この世界情勢について「アメリカは今、ソ連とキナくさい」と、両国が緊張関係にあると追認している。
  3. 駆逐艦「雪風」の元艦長である堀田辰雄(田中 美央/たなか・みおう)も、「アメリカは大陸=ソ連との情勢から加勢せず」と、上記2点を異口同音に追認。
これに対し一部有識者からは、史実と異なって違和感ありと心理的反発/抵抗が示されている。
  • 当時、史実ではアメリカとソ連は緊張関係になく、
  • ゴジラが襲う銀座地区には米駐留軍が主要建築物を占拠していた。
  • 日本軍の大戦用兵器は、日本国の再びの軍事国家化、再武装を防ぐため全て回収廃棄が徹底され、元軍人は戦闘機に乗り込むことも戦艦を操船することも許されなかった。

それなのに史実と異なる事態の言い訳に、米国とソ連の緊張関係というありもしない状況を、しかも2回(厳密には①マッカーサー②野田③堀田の3回)も繰り返し持ち出すとは何事か、という指摘であった。

 

だがこの批判には、映画〈マイナスワン〉を繰り返し鑑賞しても私は頷けず、「ちゃんと劇中では辻褄が合ってるじゃん」と結論づけるばかりであった。

 

これは例えば、

  • 神木キュンはゴジラへの特攻機〈震電〉に脱出装置が備わっているのを知っていながら、安藤サクラに娘・明子のための蓄えを託しては、「偽装死ぬ気」満々だったじゃんという「切り抜き感想」は、家を出る時点ではたしかに特攻するつもりだったんだけど、脱出手段は震電に乗り組む際に橘(青木崇高)から初めて聞かされたことであり、家を出る時には知らなかったから、あの「託し」(現金やら通帳)に嘘はなかった。整備工の橘も当初は敷島/神木に仲間の弔(とむら)いに出撃させるつもりだったが、座席に貼られたドイツ語で脱出装置だと知り、敷島が命を犠牲にする必要がないと悟って、土壇場で方針を変えたのだとわかる。
  • 現実世界ではどうやら西野七瀬(元・乃木坂46)と事実婚同棲中らしき山田裕貴(役名:水島四郎)は、アメリカ艦船でも刃が立たなかった怪獣ゴジラに木造船で立ち向かえという作戦の無謀さにうろたえる。だが戦艦ランカスター(USS Lancaster AK-193)と潜水艦レッドフィッシュ(USS Redfish, SS/AGSS-395) が撃破されたことは極秘軍事情報なので、彼がどうやってそれを知ったのかが謎だった。するとどうやら撃破された第3のアメリカ艦船というのは、 秋津 淸治(あきつ せいじ=佐々木蔵之介)艇長以下、神木キュン、吉岡秀隆、山田裕貴が乗り込んだ 機雷除去用の特設掃海艇「新生丸」が遭遇した、難破船の残骸のことなんだろう。
と、このように、途中で寝落ちしながら断片的に鑑賞すると浮かんでくる様々な疑問は、
きちんと順番通りに寝過ごさずに鑑賞さえすれば浮かばないはずであり、
GHQ問題も、それに当てはまることがわかる。
 
『ゴジラ-1.0』での米国の介入、不介入の件については、
マイクロフィルムの記録映像で、
  • 米国の艦船ランカスターや潜水艦レッドフィッシュが謎の被害に遭う事態が続発
  • 遭遇事件の分析で、巨大生物の怪獣化には自軍のクロスロード作戦が影響している(米軍に責任がある)ことが判明
  • 日本に駐留した米軍を保護するために占領区からの即刻撤収を決定。米軍の戦力なしでゴジラに対抗を迫られる日本を丸腰にはできないため、廃棄処分を取り消して戦艦高雄の再配備を許可し、日本人に統治権を戻して、国会議事堂に4台の四式中戦車の再配備も許可した。
  • 責任逃れの口実に、わざと白々しいソ連と米国の緊張関係を持ち出しただけなんだから、この理屈が通っている必要もない(かえって矛盾だらけの方が、苦し紛れの言い訳感が増して良い)一方で、マッカーサーと野田と堀田で口実がバラバラじゃ、観客も混乱するから同じ屁理屈が押し通されただけのこと。逆にいうと、人によって言い分が異なったりしちゃイカン(=同じ理屈が3度繰り返されなくちゃアカン)わけである。
そんなこんなで、私は今さらながらに、映画『ゴジラ-1.0』を、圧倒的に支持します!