最終報告②『ゴジラ-1.0』2024年訂正の旅③ | アディクトリポート

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【関連記事アーカイブ】

最終報告②『ゴジラ-1.0』

 

まずは同じ映画を形式を変えながら6回見たからこその、

 
【鑑賞歴】
  1. 【IMAX】2023/11/3 ユナイテッド・シネマ テラスモール松戸 9スクリーン F-15

  2. 【4DX】2023/11/6 イオンシネマ越谷レイクタウン スクリーン1 F列6席
  3. 【SCREEN X】2023/11/11 ユナイテッド・シネマ アクアシティお台場 13スクリーン L-17
  4.  【通常版】2023/11/16 イオンシネマ越谷レイクタウン スクリーン3 D列13席
  5. 【マイナスカラー 4DX】2024/1/12 池袋グランドシネマサンシャイン シアター4 f-7
  6. 【4DX Screen】2024/2/8 池袋グランドシネマサンシャイン シアター4 j-8
2024年訂正の旅③

 

経緯をおさらいすると、

今回はこの記事(モノクロ版『ゴジラ-1.0/C』(ゴジラマイナスワン/マイナスカラー)4DX)に

  • 神木キュンはゴジラへの特攻機〈震電〉に脱出装置が備わっているのを知っていながら、安藤サクラに娘・明子のための蓄えを託しては、「偽装死ぬ気」満々だったじゃんという「切り抜き感想」は、家を出る時点ではたしかに特攻するつもりだったんだけど、脱出手段は震電に乗り組む際に橘(青木崇高)から初めて聞かされたことであり、家を出る時には知らなかったから、あの「託し」(現金やら通帳)に嘘はなかった。整備工の橘も当初は敷島/神木に仲間の弔(とむら)いに出撃させるつもりだったが、座席に貼られたドイツ語で脱出装置だと知り、敷島が命を犠牲にする必要がないと悟って、土壇場で方針を変えたのだとわかる。
いただいたコメント。

340 

脱出装置について説明を受けるのは、機体へ爆弾の仕込みが完了した説明を受けての流れなので、知ったのは当日では無いと思いますよ。

とのご指摘があった。

そこでおとなしく340さんの線で訂正話を進めたが、

6回目の最終鑑賞では一睡もせず全編を見届け、

典子(浜辺美波)の首にアザが這う場面に静電気ノイズ的なシュワシュワ音がデフォルトで入っているのも確認したし、

神木キュンと橘の心理的関係の推移の読み取りは、私の方が正解だったことも確認できた。

 

せっかくなのでおさらいすると、

  • 海洋に定点設置したガイガーカウンターの反応で、ゴジラが翌朝から午前中に東京に再上陸が予想される。
  • わだつみ作戦の立案者、野田(吉岡秀隆)は作戦参加者に、今晩は家族と過ごすようにと諭す。
  • それは死を覚悟したお別れの儀ではなく、家族との絆をゴジラ戦でいっそう強めるためと位置付ける。
  • それと同時に、第二次世界大戦での日本軍兵士がいかに理不尽な状況に置かれていたかを振り返り(←戦闘機には脱出手段が未装備だったと、ここでわざと前振り)、わだつみ作戦はそれとは性格の異なるものだとも改めて強調。
  • 敷島は夕暮れに帰宅し、典子が亡くなって以来、明子の面倒を見てもらっている澄子(安藤サクラ)に一礼して引き取る。
  • 帰宅した明子は、浩一に3人家族のつたない肖像画を渡した後、何かを予感したように泣きじゃくり、浩一はなだめながらも決意を秘めた表情を浮かべる。
  • やがて翌朝、澄子は家の前にたたずむ明子を発見。「これ」と示された明子の手には「娘を頼みます」との浩一のことづけと、養育費の札束や預金通帳が握られていた。←この時点では浩一は死ぬ気満々【PART1】。
  • 同じ日の早朝に震電の格納庫にバイクで着いた浩一は、待機していた整備員の橘から、
  1. 大量の爆薬を燃料庫に換装したことを伝えられ、
  2. ゴジラと激突直前に、爆弾の安全装置解除レバーを引く方法を教わり、
  3. 操縦桿を握る手が震える敷島は、またしくじる恐れがある胸中を打ち明けつつも、
  4. 大戸島のゴジラ犠牲者の遺影=家族との記念写真を出して今度こそはためらわないと覚悟を示し←この時点では浩一は死ぬ気満々【PART2】
  5. 2歳の娘・明子の描いたつたない3人家族の顔の絵も示して←この時点では浩一は死ぬ気満々【PART3】、娘の未来をゴジラに奪わせまいとの決意を示す。
  6. 橘(青木崇高)はこれを見て、もう浩一がゴジラとの対決から逃げない覚悟を見とったので、無駄死にしても意味がなく、また自分にも戦争の落とし前の機会を与えてくれたことにも感謝の意を示すため、ここでようやく局地戦闘機震電からの脱出手段を伝え、「生きろ!」と励ます。
って、俺の見方で正しかったじゃないかーい!

 

また、

↓この部分に関しては、

敷島が無事に作戦を完遂できる確証がないからこそ、万が一のために安藤サクラに「娘を頼みます」とことづけし、死んだ(と思い込んでいた)典子/浜辺美波の遺影に願掛けして、血のつながりのない擬似家族、父・浩一/母・典子/娘・明子の絆を奪わないで欲しいと、明子の描いた父母娘の3人顔のたどたどしい絵もコクピットに飾ったんだろうなと、ようやく納得したのです。

 

ゴジラに激突直前の敷島乗機の計器盤からは、犠牲者の遺影も明子の描いた家族3人の肖像も片付けられ、つまりは橘の進言に励まされた浩一がそれらと決別して、ひたすら作戦の遂行に注力すべく典子の遺影(と、この時は思われていた)だけを置き換えていたことが示される。

つまり、このゴジラ打倒作戦がうまくいきますようにと、典子の遺影に願掛けしたわけ。

 

ふぅ、やっとスッキリしたぜ。

 

お次の話題は、

この記事(2024年訂正の旅①『ゴジラ-1.0』超総括)にいただいたコメント。

ベラデン 

あの時の敷島は〈死にたい〉という感情と〈生きたい〉という感情がせめぎ合ってグチャグチャだったんだと思います。
 
橘から脱出装置を説明され「生きろ!」と赦されて嬉しかった反面、大戸島で仲間達を死に追いやった罪悪感と
典子を失った絶望感は尚強く「本当に生きてしまって良いのか?典子のいない世界で生きる意味はあるのか?」との苦悩が作戦当日まで続いていたんでしょう。
澄子に貯金を渡したのもこの時点で生きるのをまだ躊躇っていたんだと思います。それに万が一にもゴジラに撃墜されて失敗に終わる可能性もあったでしょうし。そういう時の場合も想定して澄子に渡したんだと思いました。
あくまで私の個人的な見解ですが。

なるほど、見事にドラマを読み取った素晴らしいコメントですね。
さすがは「映画秘宝」の嘆かわしい作品批判傾向に以前より気づいて警鐘を鳴らし、
決してそう言う斜め読みに闇堕ちしなかった、
正しい映画批評眼をお持ちのベラデンさんならではの分析です。
 
「あくまで私の個人的な見解」とおっしゃいながら、
見事に核心を突いておられます。
 
でもってここからは6回鑑賞で私が意を強くしたまとめ感想ですが、
本作のドラマの骨子は、
敷島浩一が死を恐れ、生きる決断をする「希望」のパートと、
その行動を(事態に真正面から立ち向かわない)「逃げ」だと責め立て、それを許すまじと徹底的に潰しにかかるゴジラの「絶望」パートが対になり、このパターンが繰り返され、互いをせめぎあいながら、次第に希望と絶望のスケールが増して行くという構造。
 
つまり敷島の人生とゴジラの人生=ゴジラ生がぶつかり合い、最終的にどちらが勝利するかを描いたドラマなので、
両者の人生観?が対立しまくり、敷島の心情が個々の時点で激しく揺れ動いて行きつ戻りつするのは当然であり、そこが観客が固唾を呑んで見守るポイントにもなっているのです。
 
まだ話は続きますが、今回はここまで。