庵野秀明の未来/最終報告③『ゴジラ-1.0』 | アディクトリポート

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庵野秀明の未来/最終報告③『ゴジラ-1.0』

 

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今回は『ゴジラ-1.0』(2023)の山崎貴監督(左)ではなく、
『シン・ゴジラ』(2016)の庵野秀明総監督(右)から話を進めます。
 
私は常日頃から申し上げている通り、
映画監督としての庵野秀明の技量には疑問符しか浮かばず、
「ここが良い、素晴らしい」と評する/認める意見には、
「こいつ、何もわかってねえじゃん」と懐疑的な気分です。
 
色々とあげつらうとキリがないので、
まずは石原さとみのドヘタで何度聞いても何を言ってるのか聞き取れない英語セリフについてだが、


2020/09/27

 

2024/02/01

石原については、ここからどうぞ。

 
「そこまでセリフが出せるのは、英語力が高いと思う」「普通に話せると思う。会話はある程度できている」って?
いやいや彼女は役者で、用意されたセリフを暗記してしゃべってるだけで、
実際に現地のこの現場でネイティブとやりとりできる(会話ができている)わけなどなかろう。
 
↓やっと、まともな評価を下した人が!

2024/02/23
 
と、このように、「石原さとみは英語ができる」と『シン・ゴジラ』や
さとみ
イーオンのCMで いくら実態の判断不能な日本人に刷り込まれたって、

2019/03/03
ネイティブスピーカーや、英語に日頃から接している人(含む自分)から違和感や拒否感が出まくっている事態に象徴されるように、
総じて庵野作品って、まともな作品のふりをしつつも、てんでなっちゃおらず(体裁が整っちゃおらず)、
その筋の専門家やプロの同業者の神経を逆撫でする、
ニセモノ臭がプンプン漂っている。
 
※ここからも庵野ディスりが続きますので、
信者の方は閲覧をご遠慮ください。
 
実は山崎貴も「いや、そうやっちゃダメだろ」と『シン・ゴジラ』を反面教師的に捉えちゃいるが、
人と諍(いさか)いを起こさず、対人関係が良好で賢い彼は、表向きはディスりなど一切しない。

もしも忖度(そんたく)コメント通りに、
山崎氏が『シン』を全面的に肯定ならば自作〈マイナス〉にマネや引用、パクリがあっても不思議じゃないが、
山崎監督はクリエイターの気概もあって、
意地でも『シン・ゴジラ』をなぞらず、徹底して真逆を貫いた。
 
パクるつもりが毛頭なくても、好きな作品であれば、無意識で気づかずとも深層心理的になぞってしまうもの。
 
〈マイナスワン〉には『ジョーズ』(1975)の影響が色濃く見て取れるが、
たいていの人は
  • 木造の機雷掃海艇〈新生丸〉が、ゴジラと海上チェイスを展開
  • 回収していた機雷を海に放ち、ゴジラが口に飲み込んだら機銃で起爆させ、体内からの打撃を謀る
という戦法が、『ジョーズ』で、
  • サメ捕獲・退治専用船〈オルカ号〉が、サメの泳力を奪うため、黄色いブイを数台撃ち込む
 
場面を想起するだろう。
 
ここまでは私もそうだったが、最近「初めて見ましたリアクション動画」で『ジョーズ』を拾い見鑑賞して、
  • サメが襲う恐れが十分に察知された海水浴場に、自分の子供も偶然居合わせてしまっているブロディ署長(ロイ・シャイダー)
  • そこへ予想通りサメが来襲。赤い一人乗りボートの若者が襲われ、海中に沈んでいく太ももから足先のショッキングな映像が!
  • ブロディの息子は無事に海から救出されるが、横ロールするカメラは男の子の頭から捉え、無傷の足先は最後に映して、(先程の足落下のショッキングビジュアルが記憶に新しい)観客の不安を存分に煽る
という巧みな手法は、〈マイナスワン〉で、
  • ゴジラの放つ放射熱線で小型原爆級の爆発が発生
  • 迫り来る爆風から敷島(神木隆之介)を守るため、とっさに力ずくでビルかげに押し込む典子(浜辺美波)
  • これにより敷島は難を逃れるが、典子は爆風に吹き飛ばされて行方知れずに。現場は大惨状に陥り、これではとうてい生存はなかろうと、遺体確認もできぬまま典子の葬儀が執り行われる。
  • ラスト間際、典子から生存報告の電報が入り、敷島は娘の明子を抱えて病院に駆けつける。
  • 生きていたのは何よりでも、あの爆風で吹き飛ばされた典子だけに、どれだけ悲惨な負傷ぶりなのかと、観客は正解ビジュアルを知っている2回目以降の鑑賞でも、画面を食い入るように見つめてしまう(含む自分)。
  • すると画面は、あたかも『ジョーズ』のカメラ横移動を再現するかのように、病院の扉から病室の典子の顔へと移動する。
何が言いたいかというと、山崎貴監督は子供時代に見ていたテレビの特撮番組やアニメばっかりに執心せず、洋画/邦画を問わず、ヒット映画、娯楽大作の感覚が身についているのに、庵野監督にはそれがない。
 
子供時代に夢中になったテレビ番組のリメイク/リ・イマジネーションだけで、競争の激しい映画界で通用するわけなんかないだろうに。
 
庵野氏は無学無教養の外国語コンプレックスもあるので、自作の随所に英語やドイツ語をわざとらしく散りばめちゃいるが、
『シン・仮面ライダー』(2023)で「パリファライズ」という聞き慣れぬ謎の用語が出てきたら、
「浄化」を意味するピュリファイ(purify)の誤用だったと馬脚を現した。
 
そんなこんなで、『シン』の方が〈マイナスワン〉より良かったという意見には、
「どこがやねん?」と思わざるを得ないが、
庵野氏としては自分のできる精一杯を尽くしていて、
他のやりようがないから仕方ない…とは思う。
 
しかし興行的な価値が優先する映画業界では、
彼の独断専行ではロクな事にならないという状況把握がされてもいるため、
その結果、庵野氏の思惑通りの当初の計画が頓挫することも多い。
 
原作者の意向がないがしろにされ、映像作品が二次創作者の好き勝手に改変される『セクシー田中さん』(2023)問題の過去例として、『シン・ゴジラ』の脚本原案を庵野氏が提出したら、東宝側が勝手に起用したプロの脚本家に手直しがされ、おそらくは劇場映画の脚本としては相当にまともに正された内容だったと拝察するも、庵野氏は「そんなんだったらやりません」とゴネまくり、会社としては青ざめてご機嫌取りに回ったそう。

2024/02/11
 
しかし案の定、国内興収こそ82.5億と大ヒット。
これにはさしもの〈マイナスワン〉もとうてい及びそうもなく、
そこらへんが庵野氏の「絶対俺の方が上」的姿勢や発言に出てもいる。
 
だが海外市場に目を向けると、
『シン』の不振ぶりと〈マイナス〉の絶好調ぶりの落差が激しく、
それだけ目のこえた海外の映画観客にも響く「まともな」作品が〈マイナス〉で、
趣味に走りすぎて一般観客が置いてきぼりの「いびつな出来損ない」の『シン』はそっぽを向かれたのが明らかである。
 
この、当たり前の一般観客に当たり前に訴求するツボを心得ず、
極めて対象を限定した、私的な囲い込みについて来れる「わかる人だけ相手にする」わがまま路線は、結局自分で自分の首を絞めているだけではないか?
 
長くなりすぎたので、まだ語り切れませんが、今回はここまで。