こまわりっ~ちゃんどこレジェンド~


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消費税も8%に上がったし

水落育美様も引退したし

ケジメなさい


みなさまに

ご愛読いただいている

この

ブログですが、

受検が終わるまで

お休みすることにしました。


ホントは

止めるつもりなのですが、

指導員検定受験記を

最後に

締めくくりたいと

思っています。

なので、

来年の春に

更新が無かったら、

あ、ちゃんみかさん

落ちたな・・・と(笑)←縁起でもないっ



ブログを止める理由は

いくつかあって、

まわりに

自分の

ブログ魂に

火をつけてくれるような

面白くて刺激的な

スキーブログが

存在しないこと。

まぁ、

何気ない

ひとことで

簡単に

炎上する世の中ですから、

誰もが

いい子ちゃんにならないと

生きていけないのが

この世界。

仕方ないこととは思いつつ、

やはり

スキーブログでは

自分の思ったことを

あるがままに

書くことができない

もどかしさを

感じていました。


ただ、

自分の書くことが

誰かを傷つけているのかも

しれないことも事実。

だとしたら、

しがらみだらけのこの世界、

自分から

捨ててしまおう、と。


老兵は

ただ猿・・・じゃない

去るのみ、でつ。



とゆーことで

このブログを

読んでくださった皆様には

本当に

申し訳ありませんが、

もう

スキーをネタに

ちゃんみか節を

披露することは

ないと思います。





かわりに

あっちのブログを

再開させました(笑)

かなり

不定期更新になるとは思いますが、

あっちでは

思いのたけを

ぶつけたいと思います。


・・・通報しないでね(笑)




それではみなさま

来春に

お会いできるよう

祈ってて下さいまし(*´人`*)



あでぃおーす!!

お知らせ



当分ブログは

お休みしまっす。



チャオ!!

やすらぎの里




あー

やっぱり









落ち着くぅー(*´∇`*)



今日は

IT夫婦と

せかちと

地元のクラウンが

集まって

長岡フリー(・∀・)ノ


やっぱ

リフトは

楽やね( ̄▽ ̄)v


ちょっと

あっちーお・・・。


クレープをもとめて



マリオンクレープ

食べたくて







寄ってみたら






やっぱり

閉まってた(´・ω・`)ショボーン

仕方ないので











ピスラボ

滑って来ました。



ちょっと

ウザい

オッサンも

いたけど

まー

楽しかったっす。







湯沢は

いい天気だたアルよ(・∀・)ノ

ふじてん(・∀・)ノ


あ、間違えた。










今日、決まるといいなぁ。






アタクシのなかで


「マー君、神の子不思議な子」




殿堂入りでつ。




追記。

優勝決まったね!!

おめでとー(*´∇`*)


さらに重い話題つづき

まだ初日の話(・∀・)ノ


大槌町には

東大の海洋研究所があって、

そこも被災しましたが、

訪れた目的は





その先の島。

正式名称忘れました(笑)

通称

ひょっこりひょうたん島。


ホントです。

上から見ると

ひょうたんの形だとか。


なんと

版権も

町が取得。

島までの桟橋が

津波で流れたので

修復中。





我が家の釣りキチはいません。


何人か

島の手前まで

歩いて行きましたが

残念ながら

まだ上陸は出来ませんでした。






アタクシは

ここでギブ( ̄▽ ̄;)

戻りますた。






今更ですが

海洋研究所は

関係者以外立ち入り禁止です(笑)

上司の息子さんが

ここのOBという

こじつけだけで

無理矢理・・・モゴモゴ。






こうして見ると

本当に

穏やかな湾でつ。

穏やかすぎて

逆に自然の恐ろしさを

痛感しまつ。


いよいよ

宿泊施設に

向かいます。


・・・あれ?

宿の写真

撮り忘れた?( ̄▽ ̄;)


えっと。

釜石の

宝来館という

ここも

2階まで

津波の被害を

受けた旅館でつ。


目の前には





松林が

残ってますた。






記念碑も

立ってまつ。






津波からの

逃げ方が

碑に

書かれています。

とにかく

上に上に逃げよ。

津波からの

避難の

基本ですが

実際

大津波が来たときに

行動するのは

やはり

普段の訓練が

物語っているようです。


その証拠に

宝来館の裏には






避難用の

小道がありました。


みんなで

ここに登り、

実際に

波が来た高さを

体験しました。

このあたりは

14メートルまで

波が来たそうです。


ここで

ガイドの方が

当時の

津波が押し寄せて

裏山に避難して

後から

追いかけてきた

宿のおかみさんが

目の前で

波に飲まれた瞬間の

動画を

見せてくれました。


実際に

津波が来た場所で

当時の再現を

動画とはいえ

リアル体験したときは

喉の奥が

グッとつまって

動けませんでした。

みんなの

「早くーっ!早くーっ!!」

という

狂ったような叫びと

おかみさんが

逃げ遅れて

娘さんが

「おかあさーん!」



叫んでる声が

今でも

耳に残ります。




ま、おかみさん

助かったんですけどね( ̄▽ ̄)v



奇跡の生還の話は

また

続きで。



とりあえず

動画

見たい方は

コチラをどうぞ。


トラウマになりそうな方は

見ないで下さいね。

かなり

強烈なので・・・。





重い話題つづき


すっかり

更新が

カメでつが

先週の

会社主催の

フィールドワーク

釜石・大槌編つづき。


防災センターのあとに

訪れたのは






駅です。

いやだから、駅だってば。

連絡通路の中は

水がたまってました。


崖づたいに

ホームに上がると





草のレール(・∀・)ノ

ぢゃなくて。





線路がありません。

まるで

廃線みたいな山田線。

2年半たっても

復旧しないワケが

目の前にして

初めて分かりました。

手のつけようが

ありません。



近くに

堆積場があって

ダンプが

何台も何往復も

してまつ。




千葉の会社が

入ってるのか、

ほとんどが

袖ヶ浦ナンバー。

オリンピツクに

持って行かれませんように。



そして

旧大槌町役場へ。




外枠だけ

残ってます。





ホント、外枠だけ。


ここは

町長はじめ

職員が

津波の

被害にあい、

当時、町は

指揮を執る人が

いなくなっちゃいました。





片付いてるから

イマイチ

被害の様子が

伝わりにくいですが。





広報担当の

カメラですかね。





向かいのパチンコ屋さん。

ここも役場も

まもなく解体だそうでつ。


昨年訪れた

陸前高田市役所も

訪問後すぐに解体。

いつも

ギリギリセーフな

わが社・・・( ̄▽ ̄;)







隣の仮設ガソリンスタンド。

こんなの

被災地では

あたりまえの光景でつ。



商店街も

まだまだ仮設ばかり。


大槌町は、

当時

津波に加え

火災の被害も大きく、

本当に

何にも残ってませんでした。

写真を

見せてもらったけど

この草むら、

かなりの

住宅地どした。

小学校も

中学校も

幼稚園も

コンビニも

駅のそばに

あったのに。


街ひとつが

1日で無くなるなんて

東京の人間には

正直

想像つきません。

現地を訪れて

かろうじて

感じられるくらい。



まだまだ

重いの続きます。


わたしはいま



岩手県大槌町にいます。







会社主催の

フィールドワークも

3回目。

今回は

岩手県釜石市と

大槌町を

訪問してます。


お昼に

新花巻で

集合して

あ、アタクシは

北上~花巻経由で






釜石線で

来ちゃったけど(・∀・)ノ


マイクロバスで

釜石まで移動し、

現地のNPO法人の方に

ガイドしてもらうために

釜石駅へ。

まずは

駅のシンボルの鐘で

黙祷。





ボランティアの人たちが

300円の内輪を

1万枚売ったお金で

建ちました。


そのあと

釜石市の

防災センターへ。






一見

被害無さそうですが

手すりが

ひん曲がってます。


ここは

地区の

避難施設だったため

230人ほどが

避難しましたが、

津波の被害にあい、

生存者は

わずか

三十数名でした。


1階はもちろん

全て浸水し、

2階も






天井まで

めちゃくちゃです。


三十数名の

生存者は

どうやって

生き延びたかというと






2階のこの窓側の

カーテンに

しがみついていたそうです。


それでも

天井スレスレまで

水が来たので






破れた

天井に

顔を出して

呼吸して

なんとか

生き延びたそうです。






天井のスピーカーが

泥だらけになってますた。


屋上に登る

はしごは

壁に

埋め込まれていましたが

アタクシの

頭くらい

高くて

登れなかったようです。



生きるために

避難したはずの

防災センターで

200名も

同時に

亡くなってしまいました。


本当は

もっと高台に

建設すべきだったのですが、

色々な利権がらみで

低い土地に

建てたことが

こんな大きな犠牲に

つながってしまい・・・。


今後は

ここを取り壊して

高台に

新しいセンターを

建設するそうでつ。


ちなみに

電柱が

根本から

ひん曲がってます。







津波の

威力を

見せつけられました。


せっかくの

三連休、

重い話題で

キョーシュクですが、

まだまだ

続きまつ。


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