シェトミタカ通信

シェトミタカ通信

◆シェトミタカの日々の出来事◆バースデーケーキは数日前までの完全予約制です◆
大分県別府市竹の内2組
open 10:00〜18:00 日曜17時閉店◆月火曜定休日(不定休日有り)


☎︎0977-25-9910


patisserie opened in beppu in 1997



私の修業時代 第40話 ファミリーパーティー


ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。

横浜のホテルの菓子部門に新入社員として入社して数ヶ月、ある日深夜までケーキを焼き続け、騒動を起こしてしまったりしながら日々人生修業に励むのでした。



8月の終わりにサテライトホテルヨコハマでは
ファミリーパーティーが開催されました。


ファミリーパーティーの日は、ホテルで働く従業員の家族や親しい人を招待し、日頃の感謝の気持ちを込めてもてなしました。
ホテル内を見学してもらい、料理を振舞ったりビンゴ大会をしたり、、宴会場には屋台を出したり、、アットホームなパーティーです。


私たちベーカーは
クレープ屋台を開き宴会場でクレープを焼いて来客にもてなしました。

ベーカーの新入社員の伊南さんや草刈さんは両親だったり奥さんを招いたりしてました。

『冨高も彼女とか呼んでもいいんだよ。』と永江チーフからからかわれますが。社員旅行の帰りに後楽園の坂下さんがベーカーまで遊びに来たのを見てたんですね。。
私は招待する人も、そんな甲斐性もなく1人でクレープを焼き続けました笑

クレープはチョコレート、カスタード、いちごの3種類を作りましたが、とても人気が有り好評でした。




※シェトミタカでもバザーのクレープの注文を何度かお受けした事が有りました。



伊豆高原に行ってから、
ひとつ自分の中で決めた事がありまして。。


料理の世界にはもう戻らないと決めていました。

田盛や田中さんを見て、もう追いつけないなと感じていました。
ベーカーには1年間と言う約束でお手伝いに来てますが、1年後に料理の世界に戻り、それから田盛達や今年の新入社員に追いつき、並ぶ自信も有りませんでした。

浜田さんがベーカーからレストランに戻りたくて、わざわざ桜木町の伊勢山まで歩いて行き、ちょっとでも料理の世界に触れたい気持ちがよく分かりました。今考えたら高々1年ですが、新入社員の頃の1年間は取り返しのつかない位の長さに感じてました。


9月になり浜田さんがレストランへ帰り、
私と草刈さんがチームを組み仕込みや焼成。永江チーフと伊南さんが仕上げ仕込みになり、ベーカー四人のうち三人が新入社員で構成されました。


ひとり少なくなったベーカーですが、日々の仕事は四人でも充分に回す事ができました。




ゴールデンウィーク営業が終わり
BBQしたりちょっと出かけて気分転換♪



さぁ
明日からまたスタートです





私の修業時代 第39話 伊豆高原で昼メシ対決


ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。

横浜のホテルの菓子部門に新入社員として入社して数ヶ月、ある日深夜までケーキを焼き続け、騒動を起こしてしまったりしながら日々人生修業に励むのでした。



伊豆高原の知り合いのペンションへ遊びに行き、昼飯を作る事になり、田盛と私で昼メシで勝負しょう!となりました。


男たる者、

いつ勝負を挑まれるか分からない料理の世界。勝つか負けるかわからない勝負でも、受けないとなると男がすたります!


いつ勝負を挑まれても良いように、常に心を整えておかねばなりません……なんて笑



職人や料理人は競ったり勝負したりするのが好きなんですよね。逆に競う気持ちが無くなると成長も止まる?。人と競うのでは無くても、自分自身との戦いみたいな部分はあるかも知れません。


伊豆高原の田中さんの経営するペンションは、予想以上に大きかったですね。

ペンションと言えば女性が好むようなカワイイ感じかと思ってましたが、オーベルジュまではないですか、かわいいんですが、洗練されてました。


ペンションの新しい厨房を借りて田盛はホテルの朝食で覚えたプレーンオムレツを手際よく作りました。流石の出来上がりでした。

私は…スペイン料理のトルティージャ(スパニッシュオムレツ)を作ろう!と、考えたのですがオムレツばかり食べるのも面白くないなと思い、、
スペイン料理のマッシュルームのタパス料理を作りました。

マッシュルームのアヒージョに似た料理で、
ベーコン、マッシュルーム、赤ピーマン、ニンニクをオリーブオイルで炒め、くり抜いたマッシュルームに炒めた具を入れるタパス(小皿)料理です。





料理を作るのが久しぶりの私でも
失敗しないで作れるだろうと選びました。



勝ち負けで言えば田盛の勝ちですよね。一品で完成された料理ですし、味もホテル仕込みで誰にでも好まれます。正直味は、若い頃は何を食べても美味い!ので手際や技術的な事しか評価出来ません。


マッシュルームのタパス料理は、
料理と言うよりおつまみですね(汗)

失敗を恐れて冒険もしなかったんですが、1年前の調理師学校のバイト時代から何の成長もしてないのに気づかされました!いや、後退してるか。

今はベーカーでケーキを作っているのに、サテライトホテルを一歩出れば何も作れないし、レシピや器具や材料や場所、、環境が整って初めて菓子作りが出来てたんですね。


しかし田盛は、、1年前の田盛より明らかに違うオムレツと言う武器を持っています。オムレツ以外にもいろんな料理の知識を広めてるんでしょうね。


オムレツとマッシュルームのタパスでは昼メシには足りないので田中さんと田盛と私の3人で一緒にパスタを作りました。


ホテルで働いてる私や田盛より田中さんの手際が良く、卒業して半年なのに随分お互いの差がついたんだなと実感しました。
田中さんは調理師学校時はあまり手際が良い方ではなかったハズが、、上達してる、、。


田中さんはペンションで朝昼晩とお客様の食事を作り続けてるんですよね、自分の生活もかかってますし、家族を養ってますからね。雇われてる物と自ら生業にしてる人間の覚悟の違いですかね。



田盛との昼メシ対決は、、田盛と私と田中さんの対決?にはいろいろと気づかされました。


田中さんのペンションでは、ベットメーキングや雑用などもさせてもらい、お風呂まで頂き泊めてもらいました。


私や田盛と違い、田中さんは食品メーカーで長く会社勤めを経験しての調理師学校入学。歳は倍ほど離れていますが、リーダー的、模範的な生徒でした。

ペンション経営と言う仕事を伊豆高原でちょっと体験させてもらい、私達と田中さんの格の違いは衝撃的でした。


田盛との昼メシ対決の勝負は、、田中さんの勝ちでしょうか。その時は皆で楽しく食事を囲み、勝負の話などはしませんでしたけど、私の中では田中さんが勝者だな感じました。


一泊二日の伊豆高原のペンションでの体験で、横浜に帰る頃には一つの覚悟を決めていました。。



本日でゴールデンウィーク2024営業無事に終了!


子供の日ケーキは
こいのぼりロールが人気で
昼過ぎには完売しました🎏


GWはロールケーキにバスクチーズが

特に人気でした。


兜を付けたたぬきケーキも子供の日限定カブト


次は母の日に向けて
来週水曜から頑張りますよ♪

シェトミタカは
5月は月火曜連休をいただいてます






私の修業時代 第38話 昼メシ対決


ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。

横浜のホテルの菓子部門に新入社員として入社して数ヶ月、ある日深夜までケーキを焼き続け、騒動を起こしてしまったりしながら日々人生修業に励むのでした。


久しぶりにレストラン勤務の田盛と休日を合わせ、伊豆高原にドライブに向かいました。プチ夏休みですね。


私は当然クルマも持っていないので、いつも田盛から連れてってもらってました。今思えばガソリン代などは一度も私から払ったことなく、

『今月ちょっと厳しいからガソリン代寄付してよ〜』て言われた時に出すくらいでしたから、田盛には本当にお世話になってましたね。


調理師学校の時のクラスメートだった田中さんが、伊豆高原にオープンしたペンションに遊びに行くのが目的です。


ドライブしながらお互いの仕事の話や恋愛話にもなりました。


『俺、◯◯と付き合うことになったんだよなぁ〜』田盛は彼女が出来、その報告もしたくてドライブに誘ってくれたのかも知れません。

『冨高、坂下さんは?』と私にも聞いてきます。


『友達、友達やなぁ…。』坂下さんと電話をしたりしますが、、坂下さんとも伊南さんとも、なぜか女性とはいい友達になってしまうんですね笑
彼女とかはまだまだでした。日々の仕事で精一杯かな。



話は仕事の事についてに代わり、、


『ベーカーどうなの?、ケーキ屋になるの冨高…』


『あまり深く考えてねぇけど…。』私は新入社員で入社したホテルのベーカーに在籍して五ヶ月近くになってました。


『俺よぉ〜、早番の時オムレツ作れるようになったんだよ!◯◯さんが怖えから早く覚えたよ。』


『田中さんのペンションで厨房貸してもらって昼メシ作ろうぜ〜

…冨高、俺と勝負しようぜ〜!!』と田盛。



『お、おぅ、イイよ。』とノリで受けた私。



軽い気持ちで返事をしましたが、、、


気づいてみれば、私はベーカーに入った春から一度も料理をしてません。菓子ばかりな日々でした。

田中さんに連絡し、昼メシを田盛と私が作りご馳走する事になり、足りない材料を買い足して伊豆高原のペンションへ向かいました。。