母のこと 5 | あやちーゆるだらdiary

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自分の身の周りのこと、楽しんだこと、日々のぐちなどゆるくダラだらとかきつづってます。2011.11.17開始

 

私の実家側の家族はちょっとだけ複雑。

 

母と今の父は、私が20歳の時に再婚をしました。

 

私はある理由があって家をでて、寮生活中でした。

 

母からある日、突然「この人と再婚します」と告げられて

その一週間後には結婚式が決まっていて。

 

結婚に対する意見も言えずに2人の結婚は決定事項になっていました。

 

結婚の決め手は何だったのか、いまだに理由を聞いていないのでわかりません。

 

20才の私は

「私達姉妹も大きくなっていて、母としての人生より

一人の女としての幸せを考えても仕方ないな」と思って、

結婚に対して、賛成も反対もなかったのでした。

 

父側には私にとって姉兄になる連れ子がいて

姉は近所に嫁に行っていて

兄は近々結婚が控えている状況で。

 

母側には寮生活で母と離れて生活している私と母と住んでいる妹の連れ子がいる状態の結婚でした。

 

妹は16歳という多感な時期だったことやすでに精神的に病んでいたこともあり、

この突然の結婚式は後々まで影響を残しました。

 

この結婚自体、妹は反対だったようで、

母が結婚しても

自分が結婚して家をでてからも

ずっと父のことを認めず、「おじさん」と呼んでいるほど頑なに母の結婚というか、父を父と認めていませんでした。

傍からみると、母を父と妹で取り合っているような感じで・・。

 

父と母、妹の関係はいびつなまま改善されることなく、妹が亡くなるまで続いたのでした。

 
もちろん、兄や姉を姉兄としてお付き合いする事もなかったと思たのでは・・。
 

父と姉と兄と私はある程度大人だったためか

表面上というか、深入りすることなく、波風立たず、ある意味大人的なお付き合いをその当時から現在までお付き合いというか、家族として存在している状態が継続していて・・・。

 

母もY家に嫁にいってから

言葉悪いが、小姑の姉と兄夫婦に

気を使っていた部分が多分にあったのだろうと思う言葉が多々聞かれていた。

母なりに苦労していたようだった。

 

普段から、母も姉や兄夫婦に色んな事を頼みにくかった環境にあったようです。

 

認知症が始まり、物忘れもある父。

母が入院してからは、その生活のフォローもなくなり

母との会話などの刺激もなくなったためか

物忘れが進んでいった様子が所々みられていた。

 

一緒に住んでいない私が感じるのだから、それは生活に影響が及んでいたようでした。

 

鍋を焦がしたり

財布や鍵等の置き場所、病院受診の日を忘れたり・・

父の生活のフォローも母の入院生活が長引くと

必要になっていったのだと思う。

 

姉や兄夫婦に遠慮して

頼み事などしてこなかった母。

 

入院中の頼み事

最小限のことだけを兄夫婦のお願いしたいた様子。

 

その母が面会中のぽつりと

「じぃのこと(父のこと)を、姉や兄夫婦に面倒みてもらうように頼んだ。」

そう、寂しそうに、悔しそうに呟いた。

 

中々改善しない体調、先の見えない治療、父の生活の心配など

上手くいかないことに業を煮やしている様にも見えた。

 

私はその言葉をただただ、聞いてやる事しかできませんでした。