11/24 受診の結果、緊急入院した母は、神経内科の病棟にいた。
面会、メール、電話の中で
母から検査の報告があった。
血液検査はもちろん
心電図、心エコー、腹部CT、骨髄検査など。
他にはF病院から取り寄せた胃カメラのときにとった細胞の細胞診など・・。
なかなか結果がでず、医師からの病状説明も結果待ちのためなく、母の病状というものの客観的な情報がありませんでした。
このS病院も下着は持ち帰って洗濯のシステムだったため
3日1回は面会に行って交換していました。
このころの母は体が思うように動かず
トイレに間に合うことができなかったため、パットと紙パンツを使っていました。
面会も自力で歩行することができず
車いすでラウンジに連れてきてもらうほど
体力も落ちていました。
マスク越しに見る母の顔は
元気そうにみえるけれど
痩せここけた頬がみえて、以前の面影は目元だけになっていました。
相変わらず、手足や腹部は浮腫んでいて・・・・。
話す声も弱弱しく、15分の面会が起きている限界になっていました。
その母から
転科するようだときいたのは、入院して10日ほどたったころでした。
〇階病棟から△階の病棟に移る話がでていると・・・・。
△階の病棟が何科になるのか、わかりませんでした。
そして、兄から
神経内科と血液内科から病状説明があるといわれたのは
12月のはじめでした。
12/8
午前中、神経内科からの病状説明
母、父、兄夫婦、姉、私が同席しての説明でした。
様々な検査の結果、
母の病気は血液由来の全身アミロイドーシスALという診断。
腸や腎臓にアミロイド(異質なたんぱく質)が沈着している状態。幸いなことに心臓には沈着している様子がないよ鵜に見える。が、心臓には負担がかかっている様子(BNP1235と高値)。
腸にアミロイドが付着しているため、腸の動きが悪く、下痢や便秘の症状をおこしている。
栄養の吸収も悪く、低栄養(アルブミン:2.3)貧血(ヘモグロビン:6.3)になっている。
こちらに対しては、点滴や輸血で対応している。
骨髄検査の結果、PLASAMA:34.8と高めであることから
多発性骨髄腫由来の全身アミロイドーシスと考えられる。
アミロイドーシスの進行は速めに感じるが
そういうケースは多々ある。
今後は、原発である多発性骨髄腫の治療を開始していく。
そのために血液内科へ転科しての治療になる。
午後、血液内科の担当医から病状説明。
貧血は夏からといわれているが、はっきりとした発症は不明。
今も貧血が改善できていない。
多発性骨髄腫は完治することはできない病気である
治療としては抗がん剤の投与か放射線治療があるが、母の場合は抗がん剤投与の治療を選択。
複数の抗がん剤をその時の体調や状況の応じて使用していく。
アミロイドが大腸に付着しているので、栄養が吸収されない。心エコーでは、アミロイドの沈着がみられないが、可能性としては否定できず、突然死もあり得る。
S病院での治療は1クール(4週間)のみで、2サイクルからは転院を検討していく。入院か外来通院になるのかはその時の状態によるでしょう。
多発性骨髄腫に全身アミロイドーシスを併発しているので
余命は3年ぐらいと考えられる
今後の治療によって、余命は変化していく。
ただ、70歳台という年齢を考えると高齢であるため
いつ何が起きてもおかしくない状態である。
今後はDLd療法(ダラキューロ:抗がん剤、レブラミド:免疫調節剤、レナデックス:ステロイド剤)を開始していく。
一日の短時間の間に
母の病気に対する情報が怒涛のように入ってくる。
余命も提示された。
母は淡々をそれを聞いていた。
「春くらいになれば、良くなりますか?」
母が発した唯一の言葉。
医師からは、薬の効果があれば、外来通院もできている状態になっているかも・・とのこと。
余談の許さない状況の話で、余命も告げられた中で
「春には元気なるように、私がんばるから・・・」
そう話す、母の姿が今でも忘れられません。
この日を境に母の闘病は厳しいものとなり
私もまた、家族として、娘として、葛藤と戦うことになるのでした。