母のこと 8 | あやちーゆるだらdiary

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自分の身の周りのこと、楽しんだこと、日々のぐちなどゆるくダラだらとかきつづってます。2011.11.17開始

11/24 受診の結果、緊急入院した母は、神経内科の病棟にいた。

面会、メール、電話の中で

母から検査の報告があった。

 

血液検査はもちろん

心電図、心エコー、腹部CT、骨髄検査など。

他にはF病院から取り寄せた胃カメラのときにとった細胞の細胞診など・・。

なかなか結果がでず、医師からの病状説明も結果待ちのためなく、母の病状というものの客観的な情報がありませんでした。

 

このS病院も下着は持ち帰って洗濯のシステムだったため

3日1回は面会に行って交換していました。

 

このころの母は体が思うように動かず

トイレに間に合うことができなかったため、パットと紙パンツを使っていました。

 

面会も自力で歩行することができず

車いすでラウンジに連れてきてもらうほど

体力も落ちていました。

マスク越しに見る母の顔は

元気そうにみえるけれど

痩せここけた頬がみえて、以前の面影は目元だけになっていました。

相変わらず、手足や腹部は浮腫んでいて・・・・。

話す声も弱弱しく、15分の面会が起きている限界になっていました。

 

その母から

転科するようだときいたのは、入院して10日ほどたったころでした。

〇階病棟から△階の病棟に移る話がでていると・・・・。

△階の病棟が何科になるのか、わかりませんでした。

 

そして、兄から

神経内科と血液内科から病状説明があるといわれたのは

12月のはじめでした。

 

12/8

午前中、神経内科からの病状説明

母、父、兄夫婦、姉、私が同席しての説明でした。

 

様々な検査の結果、

母の病気は血液由来の全身アミロイドーシスALという診断。

腸や腎臓にアミロイド(異質なたんぱく質)が沈着している状態。幸いなことに心臓には沈着している様子がないよ鵜に見える。が、心臓には負担がかかっている様子(BNP1235と高値)。

腸にアミロイドが付着しているため、腸の動きが悪く、下痢や便秘の症状をおこしている。

栄養の吸収も悪く、低栄養(アルブミン:2.3)貧血(ヘモグロビン:6.3)になっている。

こちらに対しては、点滴や輸血で対応している。

 

骨髄検査の結果、PLASAMA:34.8と高めであることから

多発性骨髄腫由来の全身アミロイドーシスと考えられる。

 

アミロイドーシスの進行は速めに感じるが

そういうケースは多々ある。

今後は、原発である多発性骨髄腫の治療を開始していく。

そのために血液内科へ転科しての治療になる。

 

午後、血液内科の担当医から病状説明。

 

貧血は夏からといわれているが、はっきりとした発症は不明。

今も貧血が改善できていない。

 

多発性骨髄腫は完治することはできない病気である

治療としては抗がん剤の投与か放射線治療があるが、母の場合は抗がん剤投与の治療を選択。

複数の抗がん剤をその時の体調や状況の応じて使用していく。

アミロイドが大腸に付着しているので、栄養が吸収されない。心エコーでは、アミロイドの沈着がみられないが、可能性としては否定できず、突然死もあり得る。

S病院での治療は1クール(4週間)のみで、2サイクルからは転院を検討していく。入院か外来通院になるのかはその時の状態によるでしょう。

多発性骨髄腫に全身アミロイドーシスを併発しているので

余命は3年ぐらいと考えられる

今後の治療によって、余命は変化していく。

ただ、70歳台という年齢を考えると高齢であるため

いつ何が起きてもおかしくない状態である。

 

今後はDLd療法(ダラキューロ:抗がん剤、レブラミド:免疫調節剤、レナデックス:ステロイド剤)を開始していく。

 

 

 

一日の短時間の間に

母の病気に対する情報が怒涛のように入ってくる。

余命も提示された。

母は淡々をそれを聞いていた。

 

「春くらいになれば、良くなりますか?」

 

母が発した唯一の言葉。

 

医師からは、薬の効果があれば、外来通院もできている状態になっているかも・・とのこと。

 

余談の許さない状況の話で、余命も告げられた中で

「春には元気なるように、私がんばるから・・・」

そう話す、母の姿が今でも忘れられません。

 

この日を境に母の闘病は厳しいものとなり

私もまた、家族として、娘として、葛藤と戦うことになるのでした。