乗らなくてよかった | teaMJ-Blog

teaMJ-Blog

総選挙一位は宝物にしたい。

こんばんは。


先週の脱退騒ぎの真っ最中、私は不謹慎な気持ちもありました。それがタイトルです。


サイレントマジョリティーがお披露目された頃、私は秋元系のアイドルに対しては割と熱心に肯定的にアンテナを張っていました。目を引くセンターの子に、少し虜になりかけていました。乗るなら早いうちだ、どうしようかなと迷いながらリリースされた2nd。どうしよう、いい曲だ。順調にリリースされた3rd。これもまたいい曲だ。好きにならない理由がない。


こんな人が多かったから、ファンが膨れ上がったのでしょうね。気づいたら乗り遅れ、楽曲を「いいものはいい!」と楽しむだけの外野ヲタクになっていたのでした。


丁寧に、時に挑発するように解禁されるMV、ハズレがない楽曲、競争に使われないまっとうな音楽。それを楽しみ楽曲の世界観の解釈が飛び交うファンダム、肯定のバンドワゴン。それらが恵まれているように見えてとても羨ましくもありました。


同時に、不動のセンターや出身地というアイコンが類似する推しと比較されることが沢山ありました。推しの抱いている葛藤や孤独を、あの子に重ねちゃいけない。あの子のストーリーは推しのストーリーとは違う。あんまり肩入れしちゃダメだな、と私は注意を払いました。彼女を好きになったら、めんどくさいアンチも無視できない。推しだけでいいや。


なので、突然の脱退の発表を受けて真っ先に、「乗らないでよかった」と思ってしまったのです。推しが休養を発表した時のような喪失感にとらわれずに済んだ。絶望しなくて済んだ。


私にとって推すとは、無責任で勝手な思い入れなのです。


推しのバカレア組のデビューの話をまたします。


出来上がったMVを目を潤ませて喜んで見ている姿や、カラオケで歌えるようになり、デビュー曲を嬉しそうに歌っている姿が折々でYouTubeで公開されていました。

市場に回るって、こういうことなんですよね。

対立を煽る売り方だろうが、音源が世に出る喜びとともに、これからはCDを売るのも仕事になるんだよなぁと。それって当たり前なんですけど、今までオリジナルの曲がたくさんありながら、ファン向けの番組やコンサートで歌うだけという特殊な環境を見ていたので、改めて実感したのでした。


ですから、緑色の坂道の脱退劇については、9月に選抜まで決まっていたCDを、報道のようにメンバーのこだわりで発売できないなら、それはそうなるよな、というのが冷静な感想です。CDを世に出す喜びと、売らなければならない世界線を見てしまった身としては、「卒業」じゃないよなって思います。1年以上新曲が出せない新潟のグループも同じです。


同様に推しがシングルの選抜にいるかどうかも、出てくるかどうかが安定していない今に期待をかけるのは違うなと思ってます。ちゃんと安定して大丈夫と言える時に、乗ればいい。そうなるまでゆっくり見守ります。