ハート型ウイルス | teaMJ-Blog

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総選挙一位は宝物にしたい。

ハート型ウイルスに 
やられてしまったみたい 
どんな注射も効かないわ
(ハート型ウイルス/AKB48)


こんばんは。

見えないウイルスが禍となり自粛の日々です。
ちょこちょこ仕事はしてますが、厳しいですね。


あの時に似てるなぁと思うことがあります。
震災と原発事故のあった時期です。

殊に、津波で大きなダメージがあったこちらでは原発事故への受け止め方が難しかったのです。


こんな大変な時期に、見えないもの(放射能)を気にしている余裕はないという人から、近隣県だから怖いと早々に子供を連れて疎開する人まで、様々な極端を見てきました。
私は、5年後10年後もここに暮らしていけるためにどこに気をつけるべきか、どれが危ないかを学習し行政に請願するという、自分なりに正しく怖がるベクトルに身を置きました。


見えないものを正しく怖がり気をつけなければならないこと。
身体を健やかに保つこと。
5年後10年後、どうありたいかを考えながら、今を生活していくこと。
その上で突き当たる理想と現実においては、賢く取捨選択をすること。
それでも避けられない、どうにもならないことに遭遇することがあるということ


これらはあの時に学んだ精神です。
9年経って、いつのまにか何処かにしまっていた精神を引っ張り出したとき「あのときに思っていた5年後10年後って?」と考えました。


10年後はまだ先ですが、5年後は暢気に趣味にかまけていたのですよ。推しがドラマに出まくっていて、主演も決まって。


だから、未来はそんな悪くないよ、ってあの時の自分には言いたい。


さぁ、あの時に似てるなぁと思うのはそういうことだけではなく。
プロ野球の開幕は延期になり、あらゆるものが自粛になり、スーパーからは物資が消えたり、お店が限定営業になったり、廃業したってのも似てます。

しかし、弱っているところに人が助けに集まれないのだから今は今で辛さの質が違うか。
世の中なんとかしたいね、と知恵を集めるにも、対面でああでもないこうでもないと出来ない。あの時は、いろんな立場のいろんな考えの人たちが、先ずはネットでちらほらと探り合い、やがて集まったのでした。今はネットでしか集まれない。


おっと。話しが飛びました。


私の体感では、AKB48が世間に親しまれたのは震災の自粛期間に「見るものがないから動画でも」とYouTubeを見ているうちに掘り進んでしまった勢が多かったからだと思うのです。ヘビロテのヒットなどはその前なんですがそれは認知であり、好感を持たれたのは暇つぶしの動画と被災地訪問や復興支援などのフットワークの軽さが良いシナジーを生み出したからなのではと感じています。


あの頃の仙台には、AKBバスが走ってました。色眼鏡で見る人にも、見ない人にも、その光景は珍しいモノではありませんでした。宣伝だろうが、少なからず支援してくれてると感じ、善意に温まったものです。その年の秋の握手会でこちらに来た時の会場は、災害のピーク時に、身元不明の方々の確認をしに行く悲しい場所でした。半年経ち、握手会の会場になったわけです。黙祷を捧げるメンバーと、こんな僻地まで足を運ぶファンや地元ファンを見て、一つの大きなブームの定着を確信しました。


握手って、対面っていいなって、すごく感じたのです。


何気なくYouTubeを見て、単なる暇つぶしだったのに繰り返し見るようになって、曲もダンスもメンバーも覚えちゃった。テレビに出てきて、おっ?って親近感を持ち始めてきちゃった。それってもう好きってことだよね。


こんな人たちがほんとうに沢山いたのです。今思うと、感染ですよね。


しかし、いまは私の周りにはほぼいません。ワクチンが出来たのか、自然治癒したのか。おそらく殆どは後者でしょう。


今のこの時期も、暇を持て余してYouTubeを見ている人は沢山いるはずでうまく利用すればチャンスのはずなんですが、なかなかですね。OUC48ってのもやってますが、完全に既存ファン向けにしかなってません。グループのリリース情報で大きなものだと、分社化しましたよーって話題でしたっけ。ううむ。


握手もない、公演もない、再会の目処も立たない(正直収束は春先まで無いと思う)中でどうファンに向き合うのか、割とグループもメンバー個々も問われているとおもいます。