32 真理の嘘を確信するー『良心の危機』を読む⑩ 最大かつ決定的な影響 | エホバの証人(JW)について考えるブログ

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弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

『良心の危機』を読んで得られた、最大にして決定的な情報は、「1914年の教理についてのエホバの証人の教えの根拠は「虚偽」であり、かつ、統治体はそのことを認識しながら信者にこの教理を教え続けている」という衝撃的な事実についての詳細かつ具体的な記載でした。

 

・この点について『良心の危機』が暴露していた内容について紹介し、

・そしてこの動かぬ事実は何を意味するかについての自分の考えを書きたいと思います。

 

【1914年について暴露されていたこと】

 

いうまでもなく、エホバの証人は1914年という年代の決定的重要性について長年にわたり繰り返し教えており、しかも、この1914年という年代についての理解は、エホバの証人教理・エホバの証人組織が寄って立つ根本的な基礎であり、すべての始まりであり、彼らの言う正当性の絶対的な根拠になっています。

 

ところが、『良心の危機』の中には、

・1914年についての教理が全くの誤りであること、

・しかもその事実を統治体全員が認識していながら、信者にその事実をひた隠しにしつつ、なんとかこの教理に基づく年代計算で、信者の数を維持しようとしていたこと、

これらが詳細かつ具体的に書かれていました。

 

①執筆委員会にいたレイモンド・フランズの徹底的調査

 

『良心の危機』には、1965年にレイモンド・フランズがノア会長によりブルックリンの世界本部に呼ばれ、「聖書辞典」を作成するように指示され、この作業を行ったことが書かれています。

 

この「聖書辞典」というのが、後に「聖書に対する洞察」として、世界中のエホバの証人にとっての「難解ながらも絶対の聖書理解のための権威的書籍」とみなされることになる本で、当時はその原型である「聖書理解の助け」という本で、英文でしか発行されなかったものでした。

 

最初はこの仕事をしたのはレイモンド・フランズ一人でしたが、後に統治体員になるライマン・スウィングルと、ギレアデの教訓者エドワード・ダンラップ(ヤコブ書の注解の執筆者)、そしてさらに2人が参加して合計5人で5年間を費やして作成したとの事でした。

そしてその作成の際には、「キリスト教世界」の出版した多くの聖書事典や注解書を参考にし、聖書をヘブライ語とギリシャ語の原典から読む作業も行ったようでした。

 

その過程の中で、レイモンド・フランズは「年代計算」という27ページの記事を書いた際に、「1914年に終わりの日が始まった」という教理についても言及することとなり、その際に、「ダニエル書4章の『七つの時』、つまり2520年の期間が始まったのが西暦前607年(ネブカドネザル王がエルサレムを滅ぼした年)からスタートする」という教えについて徹底的な調査をしたことが書かれていました。

 

レイモンド・フランズによれば、607年という数字が、「何故かものみの塔協会の出版物にのみ出てくる協会特有の数字であることに薄々気がついていた」そうですが、何ヶ月もの間古代史の文献や資料を調査し、歴史資料を探し、執筆部門の秘書チャールズ・プレーガー兄弟を使ってニューヨーク中の図書館を探し回らせたものの、西暦前607年を支持する史料は何一つ見つけられなかった、とのことでした。

 

それどころか、どの信頼できる資料にも、「ネブカドネザル王がエルサレムを滅ぼした年は西暦前587年である」ということですべて一致していたことが、『良心の危機』では率直に書かれていました。

 

そして、レイモンド・フランズはブラウン大学の考古学の教授で古代楔形文字の権威であったアブラハム・サックス教授に直接この点を質問したそうですが、「ものみの塔協会が言うようにエルサレムが紀元前607年に陥落したことが史実であるためには、古代の書記たちが示しあって多くの楔形文字で書かれた文書を一斉に同じ様に書き換えなければあり得ない」といわれたことも記されていました。

 

ブラウン大学というと日本ではなじみが少ない名前かもしれませんが、この大学はアメリカではハーバード大学やイェール大学などの超一流トップ大学である「アイビーリーグ」の1つであり、全米屈指の大学、世界最高レベルの大学の1つと言って間違いのない大学です。

その大学の教授、つまり古代史の世界最高権威の教授からこのような事実を告げられ、愕然とした事実が書かれています。

 

なお、レイモンド・フランズ自信は、『良心の危機』の中で、次のように述べています。

紀元前六〇七年を裏付けるものはまるで何も見つからなかったのである。歴史家たちは口をそろえてその二十年後の年代を示していた。私は『聖書理解の助け』で「考古学」の項目を書くまでは、メソポタミア付近で発見され、古代バビロンにまでさかのぼる粘土板に記されたくさび型文字の記録が何万という数に及ぶことなど知らなかったが、その何万という記録のどれを見ても、(ネブカドネザルが統治を行なった)新バビロニア帝国の期間は、エルサレム破壊の年が紀元前六〇七年になってくれる長さにならない。どれを見ても、協会が言っているよりも二十年短い期間になる。」

 

ブラウン大学の教授が言った、「古代の書記たちが示しあって多くの楔形文字で書かれた文書を一斉に同じ様に書き換えなければあり得ない」という言葉は、少しわかりにくい表現かもしれません。

レイモンド・フランズ自信が述べる通り、現存する古代バビロン時代の楔形文字は数万にも及び、想像を絶するほど正確に記録がされており、しかもそれらは相互に正確性を補完しあっています。このような、非常に長い年代にわたり記録され続け、莫大な数に及び、しかも相互に正確性を担保しあっている粘土板につき、「書記たちが示しあって多くの楔形文字で書かれた文書を一斉に同じ様に書き換えなければあり得ない」と表現するということは、要するに、「万が一にも絶対にありえない」ということです。

(楔形文字資料の信用性についてはカレブさんが非常に専門的に正確に指摘されています。)

https://www.jwstudy.com/ja/bc607_1914/conclusion1_clear_chronology/  など

 

これらの書記たちが作り続けた各記録の作成期間・その書記たちが存在していた地理的範囲・それら当時の書記たちが相互に連絡する連絡手段の不存在などを考えると、こうした表現をされたということは、「エホバの証人の年代計算は完全に間違いである」とはっきりと言い切られたことに等しいといえると思います。

 

結局、レイモンド・フランズの徹底的な調査(しかも洞察の本の原型を執筆するためになされた調査で、かつ、キリスト教世界の文献も含めたあらゆる調査)の結果、エホバの証人の教える「1914年」の年代計算を導き出す根拠は、要するに1つもなく、すべての証拠がエホバの証人の年代計算と史実は20年のずれがあることを示していた旨記されていました

 

②統治体は間違いを認識した上で無視する

 

さらに、レイモンド・フランズが統治体のメンバーになった後に統治体会議でもこの点が話題となったことも書かれていました。

 

すでに1977年には、その当時はまだ熱心な現役長老であったスウェーデンのカール・オロフ・ジョンソンが、善意から1914年の根拠となる西暦前607年の教えが間違っていることを示す論文をブルックリン・べテルに送っていたようですが、1979年の統治体会議で、レイモンド・フランズがこの1914年の年代計算の根拠に関する論文をコピーして配布し、1914年という年代の教義が歴史的・客観的根拠を持たないことについて疑問を提起したことが『良心の危機』に書かれています。

 

そして、こうした指摘にもかかわらず、統治体からは冷淡な反応が示され、結局、統治体はこの1914年の教義を変更しないことに決定したことも書かれていました。

 

当時の会長のネイサン・ノアが、「1914年について私はよくわからない。1914年はずいぶん長いこと語られてきた。われわれは正しいかもしれない、正しいと希望するよ」という名言を吐いたのも、この時であったようです。

 

このように、

・統治体全員が、1914年という年代を導き出す根拠に間違いがあることを十分に認識する場を持っていたこと、

・1914年の教理について統治体の中にも確信を持たない・よくわからないと考える人物がいたこと(しかも会長)

・それにもかかわらず、その後も1914年の教理について、エホバの証人は強調し、教え続けてきたこと

が『良心の危機』にはストレートに示されていました。


【この動かぬ事実が意味すること】

 

このように『良心の危機』を読み、「1914年に関するエホバの証人の教義は嘘である」と知った時、

私が持っていたエホバの証人教理に対する信仰は、まさに根幹からすべて覆され、完全に「ゼロの状態」になりました

 

・なぜ私はエホバの証人教理に信仰を持っていたのでしょうか。

それは、霊感を受けているとまではいかなくても、神に導かれ、神に唯一用いられているエホバの証人組織と統治体の教えが「正しい」と信じていたからでした。

 

・ではなぜ、私はエホバの証人組織と統治体の教えが「正しい」と信じていたのでしょうか。

それは、「1914年」という終わりの日の始まりについて理解し、その日の意味について宣べ伝えていたのがエホバの証人だけであり、

それゆえにエホバの証人組織は1914年以来、神から特別に用いられる組織となり、

特に1919年以降、神に選ばれた唯一の真の組織となった、と教えられ、それを信じていたからでした。

 

・ではなぜ、私は「1914年」の意味について理解する組織が真の神の組織であると信じていたのでしょうか。

それは、

〇西暦前607年に地上の神の王国が滅ぼされたこと

〇ダニエル書4章によれば、その時から「7つの時」が過ぎると神の王国が復活すると予言されていたこと

7つの時とは啓示の書によれば2520日であること

〇2520日とは民数記によれば2520年であること

〇したがって、西暦前607年から2520年後の1914年が「神の王国の復活の年」であること、

このようなことを教えられ、そしてそれを信じていたからでした。

 

私のみならず、論理的にエホバの証人の教えを受け入れ、真にエホバの証人教理を研究して理解し信者になったのであれば、誰しもが、全員が全員、こうした理解に基づいて、エホバの証人は真の宗教だと信じていたのではないでしょうか。

 

しかし今や、この教えの最も肝要な、起点となる年(西暦前607年)についての教えが、事実と全く反するということであれば、

エホバの証人の教え、エホバの証人教理に対する信仰は、すべてが根本から覆るはずですしこの情報を知った私は、まさにそう思いました。

 

あまり陳腐な例えは使いたくないですが、

 

・仮に自分がどこかの不動産からどこかの土地付きの家を買い、3000万円をすでに不動産屋に支払ったとして、

支払い後に、実際にその家があるはずの場所に行ってみたら、「買ったはずのその土地」自体がもともとそこには存在せず、地図にも最初から載ってなく、あるべきはずの家ももちろん存在しなかったとしたらどうでしょうか。

「いや、この不動産屋からは土地の測量図をもらっている!」

「家の図面ももらっている!」

「設計図ももらっている!」

「建築中の家の写真も何枚も何枚もらっている!」

「建築許可証のコピーだって、登記申請書類のコピーだってもらっている!」

と叫んだところで、

そもそもその土地自体が最初から存在しなければ、そうした書面をいくつも持っていることに何か意味があるでしょうか

 

そのような、期待と夢を持ちながら眺めていた測量図・図面・写真・法的書面を何度見たところで、

それらを手にして「自分の土地と家は存在するんだ」と信じこもうとしたところで、

 

そもそもその土地と家自体が最初からこの世に存在しないという事実があり、そしてその事実が動かぬ事実であれば、

それまで信じていたこと・それまで信じてきたことの「証拠」だと思っていたものには、全く何の意味もなく、それらをたくさん持っている意味は「ゼロ」なのではないでしょうか。

自分が信じてきたもの、信じられると思っていたものには何の意味もないのが現実ではないでしょうか。

 

・さらにもっと簡単な別のたとえで言えば、

オセロの盤面の真ん中部分をどんなに白い牌で埋め尽くしていても、両端・または四隅に黒い牌を置かれたら、

連鎖的にすべてが黒にひっくり返されるのではないでしょうか。

両端・四隅に黒い牌を置かれたという事実があれば、それまで状況がどうであったとしても、盤面は一気にすべて黒で埋め尽くされ、何をどうしたところでその状況は動かしようがない、否定のしようがないものなのではないでしょうか。

 

私の信仰についても、まさにそのような状況でした。

 

・どんなに愛ある兄弟姉妹に囲まれていると感じていたとしても、

・どんなに王国会館・大会ホール・海老名べテル・ブルックリンべテルの建物や施設が立派だと感じていたとしても、

・どんなに集会や大会で感銘を受け、真の宗教としての満足感のようなものを長年実感してきていたとしても、

・そして何よりも、エホバの証人教理の深さや素晴らしさにそれまでずっと感銘を受け続けていたとしても、

 

そのような思いや経験がいくらあったとしても、

 

西暦前607年にエルサレムが滅びたという事実はウソで、実際に滅びたのが587年であることがすべての考古学的証拠で動かぬ事実として確証されている以上、この年を起点に計算された1914年についてのエホバの証人の教えは崩れることになります。

→そして、1914年の教えが崩れる以上、1919年にエホバの証人が神に選ばれ、その後に真の組織として用いられてきたという事実もまた崩れます。

→そして、「エホバの証人が神に選ばれた真の宗教である」という命題が崩れるのであれば、その組織が教える教えについても、その正しさの根拠が一気に、まさしく一気にすべてゼロに戻されることになります。(ましてや、1914年の間違いについてエホバの証人組織は一切の反論をしていないばかりか、この事実を指摘する人を排斥し、『背教者』として異常なほど信者に近づけようとしていないい状況を考えると、なおさらということになります。)

→このように、エホバの証人が神に選ばれた組織であるとする最重要根幹の根拠が崩れる以上、エホバの証人が教えていた一つ一つの教えが、1から100まで、そのすべてが連鎖的に崩れることになります。

 

・なぜ「血を避けるように」と聖書に一言書かれているだけで輸血を避けないといけないのでしょうか?

聖書に文字通り明確に書かれているから従わないといけないのであれば、同じようにはっきりと書かれている、パウロの言った「水を飲むのをやめ、ぶどう酒を飲むように」という教えにも従わないといけないのではないでしょうか?

→「統治体がそう教えているからそうなんだ」という理由で兄弟姉妹たちはエホバの証人の教えに従いますが、そもそも統治体の教えに従う根拠の根本が崩れる以上、なぜこのような線引きがされるのか、合理的理由はすべて消え去ります。

 

・ソロモンは数百人の妻がいたのに、なぜ「淫行は絶対の罪」とされるのでしょうか?

ロトは娘二人と近親相姦したのに、なぜ「淫行は絶対の罪」とされるのでしょうか?

ユダは行きずりの娼婦と思う女性と関係を持ったのに、なぜ「淫行は絶対の罪」とされるのでしょうか?

→「統治体がそう教えているからそうなんだ」という理由で兄弟姉妹たちはエホバの証人の教えに従いますが、そもそも統治体の教えに従う根拠の根本が崩れる以上、なぜこのような線引きがされるのか、同じく合理的理由は全て消え去ります。

 

・もっと言えば、そもそもなぜ、1914年の年代計算の際に、全然文脈と関係のない啓示の書がいきなり出てきて「1年は360日」とされ、またその後に再度、同じく全く脈絡のない民数記がいきなり出てきて「1年は1日」とされ、7つの時が2520年だとされるのでしょうか?何の根拠があるのでしょうか?

→「統治体がそう教えているからそうなんだ」という理由で兄弟姉妹たちはエホバの証人の教えに従いますが、そもそも統治体の教えに従う根拠の根本が崩れる以上、なぜこのような全く関係のない場所にある聖句がいくつか突然に引っぱり出されて、そこだけもっともらしい「字義どおり」のあてはめがされ、その一方で、別の聖句については字義通りのあてはめがされずに「比ゆ的な表現だ」とされるのか、もはや全く説明がつかなくなります。

 

このように、『良心の危機』で知った、

1914年の教理についてのエホバの証人の教えの根拠は「虚偽」であり、かつ、統治体はそのことを認識しながら信者にこの教理を教え続けているという衝撃的な事実から、論理的・合理的な考え方をすれば、何をどのように考えたとしても、エホバの証人の教理についての信仰が、その小さな1つ1つの知識に至るまで、とりあえず全て「ゼロ状態」にオールリセットされることになりました。