34 「文鳥と死体」ー神などいない② | エホバの証人(JW)について考えるブログ

エホバの証人(JW)について考えるブログ

弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

【大学院に進学する】

 

すでに書いた通り、大学を卒業したのち、私はいろいろ考えましたが、大学院に進学することにしました。

「どうせ周りの友人とは7年間の時間のビハインドがあるのだし、社会に出るのにもう少し遠回りしてもこの際いいか」という思いもあり、また、ちょうど私が大学を卒業するころに政府が新しく専門職学位(博士号)の教育制度を新設し、これがアメリカの制度に合わせたものであったので、「勉強したい、大学に行きたいと思っていたのだから、どうせなら博士号を取りたい」という思いもありました。

 

そのようなわけで大学院に進学したのですが、この新しい教育制度は、それまでの既存の修士課程・博士課程とは全く違い、朝から晩まで徹底的にひたすら勉強させられる、極めてハードなもので、まさにアメリカの大学院制度によく似たカリキュラムでした。

冗談ではなく文字通り朝から晩まで勉強し、大げさではなく酒を飲むのも年に1回か2回が限界であとはひたすら勉強、という生活でした。

 

そして、私にとって一番うれしかったことは、ちょうど大学1、2年の「一般教養課程」のときのように、この大学院でも、専門課程とは他に、相当高度に専門的なレベルの「一般教養」を再度履修できる(というかしなければならない)ことで、経済学や経営学、法社会学、統計学といった様々な分野について、一流の教授たちから徹底的に集約して詰め込んだ内容の講義を受講することができることでした。

 

そうした一般教養課程の1つに「法医学」があり、先に進学していた友人たちからは「IMは絶対に法医学を履修したほうがいいよ。なんていうか、君にあっているよ」と口々に言われ、実際に「法医学」を履修することにしました。

 

【法医学とは】

 

法医学とは、簡単に言えば、「犯罪により亡くなった方、犯罪により亡くなった疑いのある方のご遺体を解剖し、その死因を特定する」学問であり、まさしく「死体についての研究」そのものでした。

 

ご遺体の解剖にもいくつか種類があり、テレビのコメンテーターをしたり本を書いたりする解剖学者の医師の先生で有名な人がいたりしますが、そうした先生たちがするのは「行政解剖」という比較的簡易な解剖であることも多く、他方で「司法解剖」は「犯罪性がある」場合に実施される解剖で、想像を絶するほど徹底的な解剖がなされることが通常といえると思います。

実際、警察が取り扱うご遺体のうち、司法解剖が実施されるのは全体の5%以下である都道府県がほとんどですし、司法解剖を行うのは、大学医学部の教授か准教授にほぼ限られていると思います。

 

私が非常に幸運だったのは、数々の冤罪事件でDNA鑑定を行い再審無罪の立役者となり、大規模航空機の墜落事故において身元確認の総責任者などをしてきた、「日本の法医学の権威」ともいえる他大学の医学部長の先生から直接に講義を受けることができたことでした。

 

また、私は、大学院を修了してからすぐに最高裁判所の司法修習生になりましたが、裁判官の発布した令状に基づいて司法解剖の執行・立ち合いをするのは検察官であり、配属先の地方検察庁では、私に「法医学」の基礎知識が備わっているということで、司法修習生の時にもこの検察庁管内で行われる司法解剖に立ち会いをさせてもらうこともできました。

 

こうした経緯から、私は足掛け2年くらいの期間、「人の死」・「人が死に至るまでの経緯」・「人が死に至った場合の、残された人たちのその後の生き方」という、およそ考えうる最も深刻で重大なテーマと向かい合うことになりました

また、「宗教」や「哲学」などの机上の話とは全く異なり、「純粋に科学的な視点」でこうしたテーマに向き合うこととなったため、そこには何らのぼやかしや目隠しも存在せず、「眼前に横たわる圧倒されるような真の現実」に、日々、直接に向き合うことになりました。

 

この経験が、私の「死生観」「人生観」「神についての考え方」に根本的かつ決定的な影響を与えることになりました。

 

※次回以降、実際に私が目にした現実について書きたいと思いますが、すでに書いた通り、読む方によってはあまりにも衝撃的な内容になると思います。私自身、当時は極めて大きな底知れぬ悲しみの闇の中に引き込まれそうな感覚になり、友人たちから心配されるほどの経験でした。結局そのことが、「一人の人間として自分の足で自分の人生を歩む姿勢」を確立してくれましたし、「人生で最大の苦難に直面してる人と共にその困難の中を付き添って歩む『弁護士』という職業を続ける基礎」を据えてくれたとは思います。しかし、当時は本当に大きな衝撃を受けました。ですので、必ずしもお読みになることはお勧めしないです